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四国遍路日記 第4期 7日目 2003年3月12日(水)


 7日目、つまりは1週間ということになる。毎回そうであるが、どうしても終わりが気になってしまう。あと数日ということで、踏ん張れる部分もある。しかし、そうではない通し打ちの遍路をやりたいという気持はどんどん強くなってきている。歩き遍路の人と旅の途中で話をしていても、旅が暮らしの一部になっているみたいで、どこか違った感じがある。1週間や10日ではどうしても、限りなく旅に近い旅行という感じが抜けないような気もする。例えば、マラソンなどでランナーズハイという言葉がある。苦しいところを超えると、特別な安らかな気持になったりすると言う。この四国遍路も、実は「四国歩き遍路ハイ」という状態があるのではないかと思うのだ。区切り打ちではと通し打ちとでは、やっぱり違うのだろうなと考えてしまう。

 6時に起きる。この日は少し早めの6時半に朝食を取り、6時50分に宿を出る。朝食も、夕食と同じように部屋に運ばれてきたのだが、大きな玉子焼きが印象的だった。

 ほぼ真っ直ぐの道を歩いていく。まだ早い時間のために、人は少ない。住宅地を抜け、少し建物の間隔も空いてきたところ、歩き始めて30分ほどのところに第56番泰山寺はあった。誰もいなかった。僕がこの日最初の参拝客のようだ。お線香も、まっさらのところに立てる。何だか気分が良かった。そこへKさんが来て少し話をする。前の日は宿に入ってから洗濯をしたりして、ゆっくりと時間を過ごしたということだった。Kさんとは、この日の宿である栄家旅館でも一緒になることを確認する。それにしてもこのKさんは元気だ。定年退職している人なのだが、見るからにスポーツをしているという感じで歩き方に力強さを感じる。何度も一緒に歩き始めることがあったが、すぐに僕より速く先へと行ってしまっていた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 泰山寺を出て、郊外の住宅や田畑のある風景の中、3キロほど歩いて第57番栄福寺へ。とてもこじんまりとしたところだった。先に着いたKさんの他、一昨日の太田屋旅館で一緒だったHさんもいた。それに歩き遍路の女性もいた、この女性はスケッチブックを持って、あちこちで立ち止まって絵を書いているらしかった。

 次の第58番仙遊寺への道は山の中の遍路道を通る。特別厳しくもない。良い景色だ。特に大きな池の脇を通った景色は素晴らしいものだった。その後は舗装された車道になる。上りがかなり急に感じられ、足にとってはなかり厳しいものとなる。上を見上げながら歩いてたような気がする。けれど、遠くを見回す眺めは確かに素晴らしい。今治市内。その向こうに見える海。海の近くで見るのとはまた違った趣があった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 長く辛い石段を上り、9時半くらいに仙遊寺へと着く。先ほどの栄福寺にいた歩き遍路の人達がそのまま揃っていた。特に上り道では僕の歩くスピードは急激に遅くなる。そんなに焦る必要もないのだが、同じ宿に泊まる人が先に行っていると不安になる。特にこの日は厳しい1日だろうと踏んでいた。ここまでの上りでかなりへたばっていた。Kさん達が休んでいるところ、僕は先に出発することにした。

 ここからの30分ほどは下りということもあったが楽しい道のりだった。下りだから楽というようには一概には言えない。疲れる筋肉が違うだけなのだろう。でこぼこの道、特に岩場などは下りの方が大変である。雨のときにも転ばないように注意が必要だ。これど、ここの下り遍路道は土があまりでこぼこもしていなく、歩きやすかった。また、普通の山の遍路道というのは、高い木などの深い森というような中を歩く。しかしここはあまり高い木という印象ではなく、やや草原の中を歩いていくような感覚もあった。何よりも、晴れた青い空と遠くの方に見える海の景色がよかったのだろうが。10時くらいに山の遍路道を出て、田畑の中の舗装された道を歩く。車の量はあまり多くなく、のどかな雰囲気だ。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 街中に入り、JR予讃線の線路を渡る。途中でKさんが先に行き、Hさんも先に行く。11時10分程に第59番国分寺に着く。かなりへとへとになっている。この日は宿まであと17キロほど。かなり厳しい。

 Hさんとはあまり話をすることはなかったが、ここで少し話をする。一度八十八箇所をまわっている。区切り打ちで2回目の旅をしているという。区切り打ちについて質問をすると、自分で決めればいいのではないかという返答。Hさんの1回目の旅はJR伊予寒川駅で区切りとしたということだった。また、このHさんは納経帳も他の人とは違ったこだわりを持っていた。通常であれば、同じ納経帳に朱印だけを押してもらうところ。Hさんは、できるだけきれいな状態の納経帳でいたいというのと、もうひとつの理由があった。自分の子供、ひとりに一冊を渡してあげたいのだという。3人の子供がいるということで、まだまだ四国の旅は続いていくようだった。

 KさんとHさんと僕と、3人でほぼ同時にこの国分寺を出発する。けれど僕の歩く速度は遅く、しだいに後れをとる。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 12時10分頃、「アストロ」という名前の喫茶店のような店を見つけ、そこで昼食を取る。漫画が多く置かれている店だった。560円の日替わりランチは値段の割にはボリュームがあって美味しかった。

 それにしてもこの日の午後は自分でもよく歩いたものだと関心した。ただ、宿までひたすら歩くだけである。ややあちこち曲がったりはするが、そんなに間違えるような道となっているわけでもない。何もトラブルのようなこともなかったのだが、それだけに気持も平坦で、何度も時計を見て、あとどのくらいだろうかと確認したりもした。

 宿まで3、4キロに近づいた道だった。一台の車が泊まって、中から女性が声を掛けてくれた。お接待をさせてください、ということだった。何も持ってないものでと断りながら小銭を出してくれた。僕のこの日の宿が栄家旅館であることを確認すると、自分はこの宿の知り合いなのだと言う。宿の奥さんに言ってみてくださいね、と言われる。今回の旅でこのようなお接待を受けたのは初めてだったので、疲れがどこかへ飛んでいくような嬉しいお接待だった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 あとほんの1キロくらいだろうというところで少し買い物をすることにした。スーパーに入り、爽健美茶とパン(十勝スティック、北海道つぶあん)を買う。翌日の昼食がどうなるかわからないので、その分を買っておこうと思ったのだ。遍路の体験記などによれば、栄家旅館でお昼のおにぎりなどを作ってもらったような話もある。でも、どうなるかわからないし、パンだったら数日はもつし、必要なかったらそれはそれでよい。とにかく安全策を取ることにしたのだ。

 4時20分頃に栄家旅館に着く。看板は小さく、民宿風というかよくある普通の家でもあった。案内されて2階の部屋へ。女将さんにお接待してもらった話をすると、彼女は友達なのだと、嬉しそうな表情をしていた。相部屋となる男性は60歳を過ぎた年齢だろう。お遍路というよりは、歩くことが目的なのだと言っていた。よくよく話を聞くと納経帳も書いてもらってないよ、ということだった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 この宿は小さいけれど、とても面白いというか、ひとつひとつ工夫を重ね手づくりしていったというような良さがあった。あちこちがきれいで掃除も行き届いている。まわりにあまり宿がないわけで、多くの歩き遍路の人はここに泊まっているのだろうが、この宿がそうした人を支えているのだろうと強く感じるものがあった。

 お風呂に入り、部屋で少しくつろぐ。布団が畳まれてあったので、そこを背もたれにして寝そべる。同じ部屋の男性はずっとテレビを眺めている。

 翌日の宿の予約をする。どこまで歩けるかわからなかったので、最後までどの宿にしようか悩んでいたのだ。結局Kさんも泊まると言っていた「ビジネス旅館小松」というところに予約の電話を入れる。でも、満室だという返事。少し待ってくださいと言われて、相部屋になるかもしれませんがいいですか、という話がありなんとか予約を取ることができた。これまでの遍路の旅でも、宿が限られていて早く予約を取らなければならない、ということがあったが、改めてそのことを実感する。とにかくホッとした。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 夕食で一階の食堂に下りていく。この宿のほぼ満室の状態らしいが10人近くがいた。みんな歩き遍路の人だという。わりと平行して歩いていた者たちが、これまではあちこちの宿に散らばって泊まっていたのに、ここでは大集合したという雰囲気だった。ほとんどの人は顔なじみになっているみたいで和気あいあいという雰囲気で語り合っていた。スケッチをしている女性もいた。料理は、旅館とはまた違った家庭の味みたいな雰囲気があり、とても美味しく食べることができた。まわりの人も何倍もおかわりをしていたように思えた。普段以上に腹が減ってどんどん食べられるよ、と誰かが大きな声で言っていた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 食事の終わりくらいに、ご主人から話があった。荷物を次の宿に車で運んでくれるという話。僕はそんなに重くもない荷物、しかもパンなども入れている、あとサイドバックのようなものは持っていないので自分でそのままリュックを背負っていくことにする。でも、多く人はリュックをお願いしていたようだ。あと、翌日の昼食のおにぎりは勘弁して欲しいとのこと。人数の少ないときは作るときもあるということだが、この日は人数が多く出きないという話だった。しかし、すぐ近くに24時間のコンビニがあるのだという。以前は無かったらしいが、そこでお昼を買ってくださいということだった。

 実はこの日寝たのは7時半だった。簡単に言うと、7時くらいに夕食を食べ終わって部屋に帰り、相部屋の男性が寝てしまったので、そういう状態になってしまった。他の部屋も8時くらいには電気が消えていたようであった。翌日は早い時間なので、早く寝た方がいいのであったが。


◎ 第4期 7日目:約31.2キロ / 2003年3月12日(水)
◆ 第56番 泰山寺
◆ 第57番 栄福寺
◆ 第58番 仙遊寺
◆ 第59番 国分寺
◇ 昼食:「アストロ」 日替りランチ 560 円
◇ 宿泊:栄家旅館 6000 円





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