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四国遍路日記 第5期 前夜
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四国遍路日記 第5期 前夜 2004年6月9日(水)


 今回の日記は四国から帰ってきて、ほとんどすぐに書いたものだ。しかし、数日前の記憶でも、1年前の記憶でも、四国に関して言えばあまり変わらないような気もした。もっと時間が経ったところで、あれこれ思い出されてくることもあるかもしれない。

 とにかく、やっと旅を終えることができてホッとしている。


 なかなか四国行きの日を決められないでいた。

 なんとか行けるという状況になり、四国までの交通手段の検討も行い、バスのチケットも購入した。それでも、自分の身体の状態に不安があった。けれど、6月のこの時期を逃してしまったならば、暑い真夏の季節になる。それは最初からできないと思っていた。秋になったら、ちゃんとした時間が取れるかどうか全くわからない。途中で立ち止まってもいいだろう。そういう気持で僕は四国へと出発した。

 本来、四国への旅は前年の10月に行なう予定だった。スケジュールを立て、高野山まで行くことまで考えた。新幹線で移動することを考え、チケットの予約を取ろうとしたときだった。職場において、あるアクシデントがあって、この四国行きは断念しなければならなくなった。

 その後、僕は身体を壊してしまう。入院とかということではないが、数年間からの高血圧の状態が酷くなり満足に仕事ができない状態となった。春と秋に四国遍路を歩くということは、その頃の僕の生活にとっては必要なことだったのだろうと思う。バランスを崩してしまった僕は、なかなか回復することも出来ずに、会社を辞め、実家に帰りしばらく休養するという選択をした。

 ゆっくりと引越しの後片付けを行い、無理をせず身体の回復を待った。

 もっとも酷いときには、2、3階の階段を上がるのにも息切れしている状態だった。血圧に関してはほぼ正常値になり、体力もだいぶ元に戻ってきていた。やっと具体的に四国行きを考えられるようになったのが、5月の半ばを過ぎた頃だった。

 第1期から第4期までの旅のスタートは東京だった。けれど、今回の第5期は山形県からになる。どうやって、四国まで行けばいいのか、その検討がけっこう大変だった。結局のところ、一度東京に出て、というのが最も無難なようだ。とりあえず東京までは新幹線で移動し、その後、深夜バスで四国に行く。

四国遍路の景色

 大まかな日にちを設定する。夜行バスの予約を入れる前に、宿に予約をした。今回の旅はJR伊予三島駅から始める。本来の区切り打ちのルールからいうならば、札所で終って札所から始めるのだろうが、前回の旅で最後まで歩いたJR伊予三島駅を区切るにすることにした。一応自分の気持の中では決めていたが、実際にそうしようと結論を出したわけだ。最初の日に行くのは第65番の三角寺となる。この近辺は宿の少ないところだった。前回の旅で、ほとんどの歩き遍路の人は雲辺寺に登る前にある民宿岡田に泊まるという話を聞いていた。それだけに予約が取りにくいという話も。

 そこで、まずこの民宿岡田に電話を入れることから旅の準備が始まったのだった。出発のおよそ1週間前だった。それからJTBに電話をして、JRバスのドリーム高松・松山号の予約を行う。インターネットで空席状況は確認していた。あとは荷物などの準備をして用意は完了だった。

 けれど、この数ヶ月悩まされている頭痛は、まだ良いという状態とは言えなかった。内科医院で新しい薬を処方してもらう。正直なところ不安はあった。でも、四国に行くことによって、頭痛は治るかもしれない。そういう考えもあった。とにかく、僕は出発することに決めた。

 旅をすることで、何かを克服しようというような考えはまるでなかった。ただ、僕の身体の原因となることの半分は精神的なところにあるのでないかと思われ、四国を歩けば治るのかしれない、という気持はあった。

 四国を歩くということは、自分自身の身体とうまく付き合うようなことだと考えていた。ひょっとしたら、僕はこのまま高血圧や、頭痛というものを一生抱えていかなければならない。うまく、馴染むためにも、四国を歩くことが必要なのではないかと。病気に「勝つ」なんて言葉を聞いたりすることがあるが、そうではない。「馴染む」「慣れる」というような感覚。もっと別の言葉で言えば、「調和」とか「中庸」とも言えるのだろうか。

 東京発の夜行バスは、東京駅八重洲口20時20分発である。しかし、新幹線に乗り、かなり早めに東京に着いた。数ヶ月東京から離れていたもので、ちょっとばかり都会の風に当たりたかったのである。有楽町で1本映画を観て、ビックカメラなどを覗いてしまう。ある意味で、こうしたことも旅のひとつの準備だったのかもしれない。僕の人生がこれから先どうなるのかはわからないが、20年ほど暮らした東京生活という土台の上にある四国遍路の旅だった。

 それにしても東京を経由するということはお金の掛かることでもある。荷物をコインロッカーに預けたわけだが、600円も使ってしまう。金剛杖を邪魔にしてしまっては申し訳ないのだが。

 夕食は東京駅八重洲地下街にあるイタリアントマトCafe Jr.で、モッツァレラチーズのトマトクリームスパゲッティを食べる。そして、バス乗り場の近くにあるNEWDAYSで爽健美茶とおにぎりを買う。

 前にも乗ったことのある夜行バスなのだが、乗り場が若干移動していたような気がした。リュックを預け、バスへと乗り込む。9Aという座席はすぐ見つかったのだが、落胆することになる。このバスは2階建なのだが、ちょうど階段を上がったところが9Aだった。つまり、足を前に出すスペースが無いというか、かなり少ない。しかし、この落胆も、すぐにキョトンとした不思議な感覚と変わる。バスは動き出したのだが、どう見ても乗っている乗客の人数が異様に少ないのである。3分の1も埋まっていない印象だった。少ししたところで身体を伸ばせる席へと移動した。

 乗る人の少ない夜行バスというのは嬉しいような辛いような、複雑な気持である。満員の場合はトイレに行くのも大変で辛いことが多いのだが、こうも少ないと、この路線は無くなってしまうのではないかという不安が出てきてしまう。四国の遍路宿でも同じようなことを思うころがあったりするが。

 首都高に入り、東名自動車道に入る窓からの景色はもう見慣れたものとなっていた。この日の東京は夕方から雨になっていた。今回の日程を決めるにあたり、天気のことはほとんど考えていなかった。梅雨という時期なので、一般的には避けるのが普通なのかもしれない。けれど、どの時期に歩いたとしても雨は降るものだという考えが僕にはあった。遍路旅のどこかが雨となれば、どこかは晴れる。たとえ梅雨の時期であったも、ずっと雨ばかりということも無いだろう。仮に雨の日ばかりだったとしても涼しい気候の中を歩けるのではあればいいのかもしれない。けっこう軽く考えていた。いや、考えても仕方が無いことだと思っていた。なるようになる。

 バスは休憩所を過ぎ、車内の照明は消された。近くにいた人ははじめて夜行バスに乗ったのか、カーテンを閉めずに外を見ていた。時おりオレンジ色の灯が瞼の上を通り過ぎる。

 あまり「眠ろう」と力むような気持もなかった。夜行バスではぐっすり眠ることはできないと諦めていたこもある。身体を休めて、明日を乗り切ろう。そうしれば何とか軌道に乗ることができるだろう。暗闇を移動する空間の中で、僕は目を閉じて、静かに時間の流れるのを待った。


◎ 第5期 前夜:0キロ / 2004年6月9日(水)
◇ 新幹線 JR米沢駅−JR東京駅 乗車券 5250円 新幹線特急券 4080円
◇ JRドリーム高松・松山号(東京駅八重洲口〜坂出駅前) 10100円
◇ 夕食:「イタリアントマトCafe Jr.」パスタ&コーヒー 900円





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