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四国遍路日記 第5期 4日目 2004年6月13日(日)


 5時くらいには起きて準備をしていた。誰かが起こしにきてくれるわけではないので、自分で余裕を持って起きなければならない。5時半ちょっと前に着くように、部屋を出た。しかし、このフロアーの団体客は誰一人として部屋にはいなかった。かなり早い時間から、お勤めの場所へと移動したようだった。急いで、1階に下り、矢印の方へと歩いていく。

 迷路のような通路を歩いていくと、そこは御影堂だった。団体客はすでに前の方に正座をしている。僕はその後ろに座る。お坊さんは何人もいるようだった。

 ほぼ5時半ちょうどに、静けさが走る。お坊さん達が行列をつくり、我々の前のそれぞれの位置に、規律正しく座って行った。たぶん全部で10人くらいはいたかと思う。前の日に宿の受付をしていた女性の方もいる。とにかく、これまでの宿坊にはなかった厳粛な風景だった。

 お勤めが始まった。お経が唱えられる。詳しくない僕は、ただじっとしてこの行為の中に身を置く。テレビカメラのスタッフが撮影をしていた。昨日見かけた人と同じだった。どうやらこの宿坊に泊まっていたらしい。正座をしている足はかなり辛くなってきた。しかし、テレビカメラがあるとどうしても我慢してしまう。崩している人もいるので、そんなに頑張らなくても構わないのだろうが。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 長いお経が終わり、和尚さんのお話となった。この善通寺がどういう寺かといった話、弘法大師の名前の話、中国へ渡っての話などがあった。その後でまた般若心経などのお経を唱えた。僕は途中で足を崩す。最後までがんばってそのまま座り続けていることもできたのだろうが、その後立つことができなくなる。ひとりひとり前の方に出てのお焼香もあったりするわけで、それに備えて立てる状態に準備をする必要もあった。

 詳しくは覚えていないが、最後の方には、国宝と言われるもので、お祈りをしてくれた。そして、このお堂の奥の方に行き、なにやらこれも貴重なものだというものに、拝むということもできた。ほぼ、1時間が掛かっていた。外には、もう参拝している人も来ていた。シンとした朝の空気が、なんとも言えない気持ちよさを与えてくれていた。

 終ったところで食堂で朝食を取る。僕はもちろん元気に2杯のご飯を食べる。隣にはテレビカメラを持っていたスタッフがいた。

 この食堂での僕の座った位置は端の方であった。だいたいひとりの場合、こうした端の席になることは多い。その隣には、お酒のワンカップのグラスがいくつも置かれていた。昨晩のときもあったのだ。これは何かと不思議に思っていた。この朝食の途中で、係の人が水が必要な方はこちらにどうぞ、と言っていた。どうやら、薬を飲む人のために、お茶ではなく水を用意しているようだった。確かに、僕も毎朝薬を飲む身だ。特に団体でのお遍路ツアー参加者の年齢というのはかなり高い。朝食のときに、何らかの薬を飲む人の方が普通かもしれない。長く宿をやってきたからこそのサービスかもしれない。しかし、世の中のお年寄りには元気な人が多い。あるおばあさんは、「あっ、わたしにも水をちょうだいな」と言ってきた。そしてその水をペットボトルに入れはじめたのだ。当然水を用意している目的が違うわけで、係の人は何らかのことを言おうとする。するとこのおばあさんは、「あっ、だいじょうぶよ、このペットボトルはちゃんと洗ったから」と答えるのであった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 7時過ぎに宿を出る。山門の方から善通寺の街の中心を歩いていく。昨日とは全く違った街並みだった。古い造りの家が多いようだ。静かな商店街。静かな空。暑くなりそうな青空だった。長袖の白衣を肩のところまで上げて僕は歩いていた。

 家の裏庭のような遍路道に入る。国道を真っ直ぐ行く道もあるのだろうが、四国にはあちこちにそうした狭い道がある。暮らしというものが感じられて、なんとも嬉しい。

 8時を少し過ぎたところで第76番金倉寺へ着く。広く、大木の緑が活き活きと生い茂っている。しばし、深呼吸する。どこかで何かを燃やしているようで、煙が出ていた。その白く霞んだ風景がまた静けさを深くしていた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 田んぼの中を歩いて次の道隆寺へと進む。そんなに広い田んぼではなく、住宅地と隣接しているようなところだ。田んぼは、ひとつひとつが違った光を放っている。まだ、田植えがまだで土が耕されただけのものもあれば、水が張られて田植えを待つばかりのもの。田植えが済んだものでも、その稲の育ち具合で雰囲気はまるで変わってしまう。特にこの日はあまりにも快晴だったことで、その景色は素晴らしく見ていて楽しいものだった。  こうした田んぼの道は、どうしても間違えやすくなる。少し離れたところから、なんだか声が聴こえた。どうやら僕の行こうとしている道が違ったことを教えてくれているみたいだ。指摘されたであろう道に僕が進んでいくと、そのおじさんは、立小便をしていた。言いようのないのどかさではあった。

 住宅地の道へと入りどんどん歩いていく。郵便局があったり、学校があったり。考えてみればこの日は日曜日だった。

 第77番道隆寺へ着いたのは9時20分頃だった。ここも人が少なくとても静かなところだった。なんだか、善通寺周辺の寺は、どこも人が少なかったような気がしたのだが。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 道は国道21号。あまり広い道とは言えないが交通量は多い。しだいに丸亀市の中心へと近づいていく。建物は高くなってきた。小学校のところでは、お祭りか何かをやっているようでかなり賑やかだった。右手の方には、お城が目に入ってきた。丸亀城である。ここでどうしようか少し悩んだ。余裕を持った日程にしたことで、この日はそんなに無理をすることはない。ここでちょっと寄り道をしたところで何ら問題はないはずだった。

 丸亀城の手前にある公園でこの日の宿の予約を入れる。この時点で携帯電話の通話はなんとか可能だった。メールの送受信はあいかわらずダメだったが。国分寺の近くに予約をしたことで、この日は残り17キロくらいだろうか。余裕だろうと判断して、丸亀城へと向かった。

 丸亀城のお堀は、よくある城の雰囲気と言っていいのだろうか。何よりも特徴的なのはその高さだ。標高66メートルを一気に坂を登って行く。ほんとうに急な坂なのだった。石垣がとても趣きがある。海の近い平地で、このような山の上にある天守閣。楽しみながら、坂を登っていった。後からわかったのだが、パンフレットによるとこの坂の名前は「見返り坂」というものだった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 本丸のある山上はとても広い場所だった。四方を見渡せるその眺めは特別なものだった。雲辺寺のあった山の風景がある。自分の歩いてきた行程を、このように立体的な風景として見るのは嬉しい。あの山を越えてきたのだという達成感のようなものがある。

 そして、圧巻は瀬戸内海の風景だった。この丸亀城に登ることがなかったならば、この辺りで海を感じることはできなかっただろう。ほんとうに、すぐそこに海が、青が、輝いていた。遠くの方には瀬戸大橋も見える。これまでの遍路でいくつかの城へと登り、その景色を楽しんできたが、この丸亀城からの景色が一番だったと思う。季節や、快晴だったということも大きかったのだろうけど。

 せっかく来たので天守閣にも入ってみる。そんなに大きくはない。1660年に完成したという日本一小さな現存木造天守ということ。天守閣はやはりコンクリートではなく、木造の古さが良い。階段があまりにも急で登り降りが大変だったが。僕の他には誰もいなかった。静かな天守閣での、木枠の窓から見る景色の中で、しばしの時間を楽しんだ。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 11時20分頃にまた歩き始める。この日はほんとうに暑く、菅笠をリックに縛りつけて、風に当たりながら歩いた。両手の腕はかなり妬けているようだった。

 地図の上では、この丸亀城のあたりは遍路道のコースからは外れている。しかし、お堀の脇の道にも、道しるべは立っていた。その表示にしたがって歩いていくと、地元のおじさんに声を掛けられる。次の郷照寺に行くのであればその道は違っているよ、ということ。丁寧に、道を教えてもらう。道は国道33号に入る。交通量の多い、賑やかな通りだった。

 この日はずっと携帯電話のことが気になっていた。メールのチェックを何度かするが、今だに繋がらずにいた。まるまる1日はメールができない。雨で濡らしてしまったこともあったので、故障したのではないかという不安があった。ボーダフォンのショップがあったので、聞いてみようかと思い、道路を横切った。店に入る前に、もう一度メールの送信をしてみる。なんとかうまく出来た。たまたまなのかどうかのか、よくはわからないがそのまま歩いていくことにする。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

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 そろそろお昼ご飯を食べたい。12時にはなっていなかったが、もう腹が減っていた。食べるところはけっこうあったが、やはり本場の讃岐うどんというものを食べたかった。どこの店がいいかなんてもちろん知らない。知っていたとしても、この道から遠く逸れてまでも行こうとは思わない。そんなときに、流行ってそうな讃岐うどんの店があった。「手打ちうどん さぬきや」という名前だった。ちょうど、バンから数人のお遍路さんが降りてくるところ。店の中へと入る。とても広いところだった。なんとか席は空いていた。壁に貼られているメニューを見て、ひやしうどんを注文する。とにかく暑かったので冷たいものを食べたかった。なんと399円という値段だ。テーブルの反対側に座っていた夫婦は、釜揚げを注文していた。

 客はどんどん入れ替わっていた。隣に座った地元に住んでいるらしい人は、自分の食べ方を決めているのだろう。注文の仕方もスムーズで、うどん以外のセルフの食べ物の取り方も様になっていた。当然なのだろうけど。

 ひやしうどんが運ばれてきた。氷の入った水の中に、引き締まったうどんが入っている。歯応えがあり、確かに美味しい。しかし、困ったことに直面する。1本1本のうどんが長いために、うまく食べられないのだ。箸で取っただけのうどんを汁につけようとしても、そのうどんが切れない。そんなわけで、テーブルの上を汚しながら、食べるというよりも、格闘していたという感じだった。

 会計はレジのところでみんなが自己申告をして支払う。何人も並んで、店員さんはてきぱきと対応していた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 炎天下の中をまた歩き始める。そして30分ほど歩いたところで第78番郷照寺に着いた。ちょっとゆっくりしていると、歩き遍路の男性が来た。少し話をする。彼はKさんといい、通し打ちで歩いてるとのこと。この日は曼荼羅寺近くの宿から出発したという。朝食の前に捨身ケ獄禅定にも登っていたと言っていた。この日の宿の話をすると、同じところだった。後で話をしましょうということで、いったん別れる。

 ちょうど、郷照寺の山門を出て、細い通りに出たところだった。ワゴン車が止まって、中から人が降りる。その人は運転手の指示により、電柱に遍路シールを貼っていた。四国のあちこちで世話になった遍路シールを貼っている場に、遭遇するとは。歩き遍路の数多くの出会いの中でもこうしたことはあまり無いように思うが。

 僕が少し先を歩いたときに、ワゴン車が僕の脇で止まった。「これ、よかったらどうぞ」と遍路シールをもらった。香川県に入ってからよく見る遍路姿と手を合わせているイラストのある大きめのシールだ。これはとても嬉しいものだった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 次の高照院までの道のりは、ほぼKさんの後姿を見ながら歩くこととなった。信号などで、近づいたり離れたりということもあったが、その姿はずっと視界の中にあった。

 道は、坂出市内となる。今回の旅は、夜行バスでこの駅に着いたところから始まった。駅前とはちょっと違った雰囲気の商店街を歩いていく。けれど、このアーケードのある商店街というのは、寂しい感じのところだった。いくつもの店が閉店しているようだった。JRの線路を越えて、やや山の方へと歩いていき、第79番高照院はあった。

 しかし、どこが高照院なのかよくわからずに、しばし悩む。白峰宮という寺と隣り合わせのような感じになっていたのだが、この白峰宮の方が立派というか、訪れている人も多そうな雰囲気があった。高照院は本堂も大師堂も、こじんまりとしたところだった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 再び歩き始めたのは2時半ころ。今度はKさんより、僕の方が先へと進んでいった。JR鴨川駅を越えてからは、河原の脇の静かな通りを歩いた。かなり疲れてはきていたが、それは良い景色だった。とにかく、この日は何度も水分を補給していた。この6月という季節は夏と言ってもいいだろう。これまでの春や秋とは違ったものだった。これまでだって、このような炎天下はあった。しかし、もう一歩踏ん張れるかというと、厳しいものがある。これは僕の体調にもよるものだったのかもしれないが、とにかく慎重に、無理をしないで歩くことにしていた。

 毎朝、血圧の薬を飲んでいたのだが、この日あたりからやや頭痛を感じることもあり、数日前に処方してもらった頭痛に効くという薬も飲むようになっていた。

 この日大変だったのは最後の数キロ、国道11号に入ってからだった。ほぼ自動車専用道路のような感じのこの道は、陽の光がほんとうに強く照らされていた。道が単調なこともあり、疲れは倍増しているかのように感じられた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 4時少し過ぎたところで第80番国分寺へと着く。どこの寺でも言えることだが、陽の光がとてもよく調和しているように思えた。緑の色がよりいっそう際立っている。

 この寺の大師堂は、建物の中にあった。正確には外にあるのだが、建物の中でロウソクを立て、お線香をあげる。その場所から外にある大師堂に手を合わせるのだった。すぐ隣には納経所があり、巡拝グッズなどが売られている。僕がここに来たときには、人は少なかった。これが団体が来たときにはどうなるのだろう、なんて思ってしまった。

 この国分寺の特徴として、「良縁えんむすび」という神社があった。絵馬がいくつもあった。受験などではよく見るが、縁結びのものを見るのは初めてだった。実はこれが面白く読み入ってしまった。「良縁に恵まれますように」というのが標準的なものだが、「今年は最高の女性になって最高の人と出会います」という決意表明のようなもの。そして、「オリックス生命のTさんの彼女になれますように」という極めて具体的なものもあった。

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 国分寺ではけっこうゆっくりしていた。4時50分くらいに、この日の宿である民宿あずさというところに。入り口がわからず、その建物の前で電話をしてしまった。ご主人が出てきたところで、Kさんも宿に着く。一緒に部屋に案内してもらう。

 部屋は2つしかないようだった。洗濯をして風呂へと入る。部屋では、納め札を書き、このあとのルートを検討する。3日で大窪寺まで行こうと、泊まるところ、ゆっくりと見物できるところなどを考える。

 少したったところで、ドアを叩く音が。隣の部屋のKさんが、話をしましょうと声を掛けてくれたのだ。Kさんの部屋で話をする。最初は区切り打ちのつもりで歩いたのが、途中から最後まで行くことにしたのだという。あさってには、大窪寺に行きたいと言う。ここからは距離的にみてもなんとか行けないことはない。たぶん10歳は年下の僕が3日かけるというのは、なんだか申し訳ないような気もした。

 食事が運ばれてきた。それぞれの部屋での食事なのだが、Kさんの部屋で一緒に食べることにした。翌日の朝食については、Kさんは朝早く出たいのでおにぎりにしてもらえないかと言う。僕も同じくおにぎりをお願いした。

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 Kさんの話を聞いていると、通し打ちが羨ましく思えてくるものがあった。同じくらいに歩き出した人と、同じ四国を歩いているという感覚を強く持っているようなのだった。1日か2日ばかり前か後ろいるのだろうけど、それでも一緒に歩いているという感じがしているのかもしれない。この旅で10キロは痩せたと言っていた。これも、通り打ちだからこその良さだろう。

 部屋に戻り、しばらくしたところで布団に入る。しかし、どうにも外の音がうるさい。この宿は道路沿いにあるので、交通量の多い外の車の音が鳴り止まないのだ。前の日のBGMとは大きく違ったものだと考えているうちに眠りについたが。


◎ 第5期 4日目:約27キロ / 2004年6月13日(日)
◆ 第76番 金倉寺
◆ 第77番 道隆寺
◆ 第78番 郷照寺
◆ 第79番 高照院
◆ 第80番 国分寺
◇ 昼食:「手打ちうどんさぬきや」冷やしうどん 399円
◇ 宿泊:あずさ 5000円





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