< 目次 > WEBマガジン VOL.056 2008.1.8
◆ 羽柴梨歌 【PRESENT −いまここのあなたへ−(2)】 琴線
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羽柴梨歌 【PRESENT −いまここのあなたへ−(2)】 琴線 |
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今村さんとの出会いもあって、最近でこそ本をよく読むようになったが、ほん
の少し前の私には読書の習慣がなかった。幼いころは読書家だったのに、小学校
高学年くらいからか本から遠のいてしまったのだ。もしかしたら私は、心に触れ
る「琴線」というものが少なかったのかもしれない。それが少ない人間は、本な
んか読んだって感動しないから面白いわけがない。
人は、一つ何かを経験して感じ取るごとに、一本の琴線を心に張る。
悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと。そういうものを感じ取るたびに、心の
琴に、弾けばきれいな音を出す糸をぴんと張る。そして、他人とか著書とか、
「自分ではないもの」に共感するやさしい感情をひとつずつ増やしていく。
「琴線が少ない」ってことは、私は感じ取るということを拒否して生きてきた
のだろうか?
ただあるがまま、感じるがままに生きる児童期から、他者を意識し、自己とは
何かを模索する思春期に入ったころ、青臭い繊細さゆえに私は感じるということ、
自分を生きるということが恐くなったのかもしれない。だって、「我思う、故に
我あり」じゃないけど、何かをビビッドに感じ取れば、それだけ自分という存在
を意識しなければいけないもの。自分とは何かを見つけるという大切なステップ
をうまく踏めずにおびえながらも、私は人真似をすることでどうにか「自分」を
保ってきた。
アイデンティティ拡散症候群?いや、それからの防衛機制?
そのころの私は、本当は張り巡らされていた琴線に気づかない振りをすること
に慣れすぎて、慢性の不感症みたいになっていたのかな。それでも一人前に、
「この場面でどうするべきか」を察することや、他人の期待を汲み取ることは苦
手じゃなかったから、外から見てのぎこちなさはなかったとは思うけれど、感性
を封じ込めた私は、ただただ不自由だった。
かといって、そういう自分の経験を決して無駄だとは思わない。私は職業柄、
自分を生きるということにおびえているであろう思春期の子達と毎日のように接
している。ともすれば忘れてしまいそうな、「私でいること」が恐かった経験を、
仕事の上でも活かしていきたい。
きっと、本当は、共感する準備はできていた。ただ、臆病で自分の琴線に気づ
かない振りをしていただけ。
本。友達の話。風景。テレビドラマ。
今は、共鳴して心が震えることがたくさんある。
「私でいる」ということが少しずつできるようになってきた今、これまでの
「琴線の蓄積」がもしあるのだとしたら、それをこれからに活かしたい。本を読
んだり人と接したり、いろいろなことを経験する中で自分の琴線をもっともっと
増やしたら、誰かが弾くきれいな心の琴に共鳴しアンサンブルを奏でられるだろ
う。そして、そうすることで周りの人たちを安らかな気持ちにさせる、陽だまり
みたいな存在になれたら、と思う。
WEBマガジン VOL.056
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2008.1.8
メールマガジン第56号(2007.10.24)をベースとして作成
編集 : 今村洋一/リーディングフィールズ
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