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WEBマガジン VOL.058  メメント・モリ
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WEBマガジン VOL.058        2008.02.19



< 目次 > WEBマガジン VOL.058   2008.02.19
◆ 羽柴梨歌 【PRESENT −いまここのあなたへ−(3)】 メメント・モリ



羽柴梨歌 【PRESENT −いまここのあなたへ−(3)】 メメント・モリ


 メメント・モリ(死を想え)。
 藤原新也氏の写真集のタイトルにもなっているこの言葉は、自分がいつか死ぬ 存在であることを忘れるな、という警句だそうだ。死ぬ存在だから、「どうすべ し」? ラテン語のこの言葉は、ある時代には「今を享楽的に生きるべし」と、 また別の時代には「来世に目を向けるべし」と、全く異なる意味で使われてきた ようだ。
 しかし、「今を享楽的に生きるべし」と言っては刹那に過ぎるし、「来世に目 を向けるべし」と言っては今が疎かになってしまうように感じられる。語り継が れてきた言葉の背後には、私には推し量れない深遠さがあるのだろうけれど、ど ちらも何かを軽視しているようでなんだかしっくり来ない。

 私なりの「こうすべし」は、シンプルで月並みだけれど、「人はいつか死んで しまうから、今を一生懸命生きるべし」。いつか失われる生を思えば、今を大切 に慈しむことができる。死という概念を受け入れてこそ、人は本当の意味で生と 対峙できる。
 生と死は表裏一体のものだと私は思う。

速読のイメージ・旅  先日、ある少年が生きることにあまりにも投げやりな様子だったので、お説教 よろしくこの言葉を教えてあげようと、「ねぇ、もし君の人生が明日で終わって しまうのだとしたらどう思う?」語りかけてみた。すると、少年からはこんな言 葉が返ってきた。
「まぁしょうがないと思います。それはそれで別にいいです。」
 ショックだった。彼がそんなふうに思っていることも、私が彼の言葉を予測で きなかったことも。

 しかし、考えてみれば当然なのだ。「生」に投げやりな人間は、「死」に際し ても一生懸命になれるはずがない。360度回転して、やはり「生と死は表裏一 体のものだ」、と私は逆に少年に教えられた。藤原氏は本書の中でこう述べてい る。「本当の死が見えないと、本当の生も生きれない。等身大の実物の生活をす るためには、等身大の実物の生死を感じる意識をたかめなくてはならない。」

 私の好きな物書きさんは、「いいことも悪いことも交互に表れて、それらを味 わってこそ心電図みたいな波ができる。味わえるってことは、生きているという 証拠」というような言葉を教えてくれた。これを今の文脈に置き換えたら、こう いうことだろう。「等身大の実物の生死を感じる」人は、躍動感のある心電図を 持っている。そうでない人は、生と死の境目が曖昧で、今にも生の動きが止まっ てしまいそうな、振れ幅の小さな心電図を持っている。

 積極的に「死」を選ぶようなことをしないにしても、少年の「生」の火が消え 入りそうなことを感じ、私は心を痛めた。そして、彼の半生を思う。辛かったろ うね。辛いということさえ感じ取る気力がなくなるほど、辛かったろうね。
 それでも私は、彼の言動に、表情に、一差しの光を見つけることが出来た。自 分の生を生きたいという、仄かな生の灯火を。そうやって見つけ出した生の灯火 に、私は新鮮な酸素を送り込みたい。小さな火種を消してしまわないように、そっ と、そっと。

 「わたしは、あきらめない。」
 藤原氏の本書の最後は、こんな言葉で締めくられている。

 メメント・モリ。
 うん。私も、あきらめない。


 羽柴梨歌  心理職ライター ブログやってます。よろしくお願いします。 
          http://blog.so-net.ne.jp/mymery/




WEBマガジン VOL.058
2008.02.19
メールマガジン第58号(2007.11.22)をベースとして作成
編集 : 今村洋一/リーディングフィールズ




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