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WEBマガジン VOL.066 2008.05.13
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< 目次 > WEBマガジン VOL.066 2008.05.13
◆ 羽柴梨歌 【PRESENT −いまここのあなたへ−(7)】 信念
◆ 田中 聡 JCDA認定 CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
「日々のネジマキ」 File No,4【会話】
◆ 安藤利貞 スキーとオートバイを愛するアウトドア派人間の読書日記(1)
村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで
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羽柴梨歌 【PRESENT −いまここのあなたへ−(7)】 信念 |
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私は、人の心に関わる仕事をしている。人に良くなってもらいたくて、形はそ
れぞれでも幸せになってもらいたくて、この仕事をしている。そういうメッセー
ジを、自分が担当する子供たちに向けて語ったら、上司にその青臭さを揶揄され
た。上司のことは好きだし、きっと、悪気があって言ったわけじゃないんだろう
けれど、一瞬、心がくしゃっと縮まったような気がした。
みんなそうじゃないの? 誰かの幸せのために、この仕事をしているんじゃな
いの? それが、当たり前だと思ってたのに・・・。
私はそういう思いをごまかすかのように、あいまいに笑った。
後日、友達にその話をしたら、「なにそれ?!うざいね。」と憤慨してくれた。
それは軽佻な語り口だったけれど、それでもその言葉に「癒された」ように感
じた私は、そのとき初めて、「あぁ、私、あのとき傷ついてたんだ」、と気づい
た。
他者を思う優しい心に欠ける行動を見たとき、私はときおり、悲しみや怒りの
入り混じったごちゃごちゃの感情に見舞われる。でも、その裏にあるのは、「傷
ついた心」なのかもしれない。
私の根底にあるのは「性善説」で、人はみな、誰かを思う優しい心を持ってい
るんだという信念があるみたい。そして、それが崩されたように感じたときには、
うろたえ、そして傷ついてしまう。心の奥底を覗いたら、小さな私が
「うそだうそだ、そんなのうそだ。」
って、不安そうな顔で言っている。
「安」定や「安」らぎが崩されたときの心情を、「不安」と言う。
「私の信じた世界を壊さないで。不安にさせないで。」
子供みたいな信念を持った私が、泣きべそをかきながら叫んでいる。
傷つくことは辛い。でも、そういう傷ついた心を認めたら、逆説的だけれど、
なんだか楽になれるような気がする。心の奥底に触れることは、本当の自分と対
面することでもある。そのことよって弱さを認めたら、やはり逆説的だけれど、
少し強くなれた気がした。
他人が何を言おうが何を思おうが関係ないんだ。
そして、「自分の正しさ」を必ずしも主張する必要なんてない。
ただ、くだらないものに感化されずに生きていきたい。
負けない、揺るがない、太陽みたいな自分でいたい。
そう思った。
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田中 聡 JCDA認定 CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
「日々のネジマキ」 File No,4【会話】
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突然ですが、あなたは「会話」をしていますか?
多くの方が「している」答えるのではないかと思います。
しかし、それは本当に「会話」いると言えるのでしょうか?
人と人との会話は「キャッチボール」に例えられる事があります。確かに、相
手からの言葉を受け止め相手に返す様子はキャッチボールのそれによく似ている
と言えるでしょう。
では実際にキャッチボールをするの場合、あなたは相手にどんなボールを投げ
ますか?(投げようと思いますか?)
普通はなるべく取りやすくなるように相手の体の近くに投げようとするのでは
ないでしょうか。そうして、相手に届いたボールに対しては、相手も取りやすい
ボールを投げ返してくれているような気がします。
会話も同じ事が言えると思います。
あなたが発した言葉(話題)に対して、相手が言葉を返してくれる。これがお
互いを想いながら発せられた言葉だった時、その会話はとても充実したものにな
るでしょう。
一方で、野球のノックのように一方的にどんどん言葉を投げかけ相手が言葉を
返す「間」さえ与えないような会話やお互いに暴投ばかりのちぐはくな会話、そ
して投げかけられた言葉を無視してしまう会話(最後のは「会話」にはなりませ
んが)。こういったものはどう感じるのでしょう?
話を聴いてもらえなかった、寂しい想いがした、不快に思ったなどという「充
実した会話」からは程遠い印象を受ける事でしょう。
具体的に考えてみましょう。私たちは日々の生活で、友人、家族、会社の同僚
や上司など様々な人と話す機会を持っています。一日誰とも話をしなかったと言
う日は少ないはずです。
例えばこんな会話はどうでしょう。
友人Aさんが、初めての海外旅行でハワイに行ってきた話をBさんに語ってく
れました。
<例1>
Aさん「ハワイに行ってきたんですよ」
Bさん「綺麗で良かったでしょう」
Aさん「ええ、特にダイヤモンドヘッドからの眺めは良かったですよ」
Bさん「そうですか?わたしはビーチの眺めが好きですね」
Aさん「そうなんですか・・・」
<例2>
Aさん「ハワイに行ってきたんですよ」
Bさん「へぇ、ハワイですか。どうでした?」
Aさん「ええ、特にダイヤモンドヘッドからの眺めは良かったですよ」
Bさん「ダイヤモンドヘッドですか。どんな眺めなんですか?」
Aさん「そうですね、青い空や綺麗な海が一望できてとても綺麗でした」
もちろんこれは端的な例ですから実際の会話とは少し異なるかもしれません。
しかし、どうでしょう?最初にAさんが発した「ハワイに行ってきたんですよ」
と言う言葉に対して、Bさんが返す言葉によってはその後の話の内容がまったく
変わってしまう可能性があると言う事は分かっていただけるのではないかと思い
ます。
例1はよく見ていただくと、途中から話の中心がAさんからBさんへ移ってい
ます。これではAさんとの会話をしているとは言えません。「ビーチ」がすきな
のはBさんであって、ハワイに行ってきたAさんの想いでは無いのです。
例2は話の中心がAさんのまま進んでいます。こういう状況であれば、Aさん
はハワイに行って来た感想をいろいろと語ってくれる事でしょう。
どちらの状況が、「充実した会話」だったと言えるでしょう。
今までのあなたの会話はどうでしたか?
人は、無意識に自分の事を話したくなるものなんだそうです。それを、抑えて
他人の話を聴くと言うのは、簡単そうで実はなかなか難しい事のようです。特に、
身近な人の話ほど「聴く」のは難しいと言われます。
この話は、次の機会に。
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田中 聡 JCDA認定 CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
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安藤利貞 スキーとオートバイを愛するアウトドア派人間の読書日記(1)
村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで
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村上春樹を読むと、子供のころ住んでいた家の周りのシンとした雰囲気を思い
出す。
都心のビル街・住宅密集地に住んでいたので、庭などは誰の家にも無く、休日
の午後は家の中も回りも静かで、ぼんやりと過ごしていた。
小学生のころ1日の時間の進み方は遅く、やることが何にも無く、隣のビルの
壁に軟式ボールをぶつけて、別に好きでもない野球の真似事をして時間をつぶし
ていた。
ひっそりとして、懐かしい。それが僕にとっての村上春樹を読むということだ。
村上春樹「走ることについて語るとき僕の語ること」は、村上春樹自身の作家
としてどう生きてきたか、これから自分はどうやって生きていくのか、を語った
1冊だ。
著者の後書きでも「この本は「メモワール」のようなものだ。個人史というほ
ど大層なものではないが、エッセイというタイトルでくくるには無理がある。」
と述べているように、村上春樹自身の生きる基準、原則が述べられている。
無論、走るということが多くを占めている。だが、走るということの意味、走
ることを通じて生き方を変え、小説を書く力となったこと。それがテーマだ。
まず、作家論がある。
なぜ小説家になったのか、小説を書くということはどういうことか。才能の力
で、泉が湧き出すように小説が書けたわけではない、こつこつと岩をのみでうが
つように書いてきたという。毎日決まった時間に机に座り、原稿をかくという習
慣は、できるようでできないものだ。
「4月のいい天気の神宮球場の外野芝生席でスワローズの試合を見ていて、デー
ブ・ヒルトンが打った瞬間に、小説を書こうと思った。」そう、ある日天啓に導
かれたかのように決意する、そのくだりがいい。だれでも、あるとき天啓が降り
て気がつくのだ、「僕は…さんが好きだったんだ」とか、「体重を減らさなくて
はいけない」とか。それを実行できるかどうかはその人次第ではあるが。
そして走るということ。中年を過ぎつつあるアスリートとして、これからどう
走りつづけるのか、の宣言でもある。
小説を書くには才能だけでなく、持続力、集中力が必要で、走ることは、その
ための原動力になった。だが、年とともに体力は必ず落ちていく。マラソンの高
橋尚子が、名古屋マラソンで敗れたように。それでも、村上春樹にとっては、最
後まで歩かず走り続ける姿勢、それはまさしく彼にとっての生き方そのものなの
だろう。
「人はそこまでして長生きしたいのかと問うが、生きている間は十全に行きた
いのだ」ぼんやりと長生きしても、充実感がなければ意味が無い、と。
「少なくとも最後まで歩かなかった」、格好良すぎる墓碑銘だ。でも、走るとい
うことと小説を書くことが等しく意味を持つ著者にとっては、当然なことなのだ。
僕の墓碑銘は何にしようか? 飲んだ、食った、滑った ではなあ・・
今回より、ゲストコラムとして安藤利貞さんに登場していただきました。彼は、
私の飲み友達でもあります。村上春樹のこの本は私も好きな一冊です。
どのようなコラムを書いていただけるか、これからとても楽しみです。
* * * * *
今回のゲストコラムライターの紹介は、羽柴梨歌さんです。あっという間に今
回で7回目となりました。
彼女を見ていると、「速さ」というものを感じます。昨年の最初にこの講座を
受講してもらったので、知り合ってまだ1年ちょっとです。その間に仕事その他
に多くの出来事があり、もの凄い速さで、人生を走っているような印象を受けま
す。
どんどん走って、違う景色を見ているけれど、地面にしっかりと足をつけてい
るということを感じます。それは、「書く」ということなのだろうと思うのです。
あっちこっちに、旅をしているけれど、自分はここにいるんだ、と確認してい
るような。「書く」ことによって、柱を太くしていることを強く感じます。
WEBマガジン VOL.066
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2008.05.13
メールマガジン第66号(2008.3.28)をベースとして作成
編集 : 今村洋一/リーディングフィールズ
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