秩父にこうした巡礼の道があるということを知ったのはわりと最近のことだ。その存在を目にはしていたのだろうが意識したこはなかった。もともとの僕は特に信仰ということにも、歩くということにも興味があるということではなかった。
2001年の10月と2002年の3月と四国遍路を歩いた。最初はかなりの思い切りが必要だったが歩いてみるとけっこう面白い。何が面白いかという説明は簡単には言えないのだが、決められた札所を、目標を持ちながら、苦しい思いをしながらも歩いて前へ進むというのは特別なものがあった。
東京から四国というのは長い距離がある。夜行バスに乗ってしまえば一晩で行けるのだが、週末に行って帰ってというわけにもいかないわけで、年に2回行くことが精一杯だとうと諦めの気持になっていた。その頃、僕はもっとも四国に行って歩きたいという気持になっていたのだろう。そこで、東京の近郊で同じように歩いての札所巡りのようなところがあったならと思い、秩父三十四所観音巡礼という存在を知った。
僕は西武池袋線沿線に住んでいたわけで、駅にある広告などでその存在を見ていたことはあったのだ。けれど、意識するのとしていないのとでは全く違う。この2002年という年は12年に1度、午歳総開帳を迎える年でもあった。普段は観音さまは閉じられた扉のなかにあるのだが、この年では観音さまを拝することができるのだという。
さっそくこの秩父札所巡りについてインターネットなどで調べてみた。けれど、ほとんど情報はない。西武線の売店に売っていた秩父札所連合会編『秩父三十四所観音巡礼 法話と札所案内』(朱鷺書房)という本を買い、そのおおまかなことを知った。
三十四の札所とその地図が書かれていて、わかりやすいものとなっている。最後までの距離としては約100キロ弱、四国を歩く感覚から言えば3日ほどとなる。日帰りで行くことが十分可能で休日を利用すれば、こんなに適当な場所はないと言える。
けれど、実際に行くとなるとこの地図だけで歩くことは可能なのか、よくわからない。本に書かれている歩きの日程では「徒歩巡礼の場合六日間」と書かれている。秩父はこれまで2回ほど行ったことはあったが、歩くということは考えたこともなかった頃だ。
とにかくまずは行ってみることだ。この『秩父三十四所観音巡礼 法話と札所案内』』という本を持ち、西武池袋線の特急の時間を調べ、ゴールデンウィークのときの休日にとにかく行ってみることにした。
6時頃に起き、練馬から池袋へと電車に乗る。6時50分発の特急レッドアロー号「ちちぶ」に乗る。一番早い時間に出発する特急である。この時間だというのにけっこうな人だった。格好がこのゴールデンウィークらしい。多くの人がリックを背負ってのハイキングスタイルである。秩父は巡礼だけということではなく、歩きやすいような山がいくつもある。週末には秩父で山歩きをするという人も多いのかもしれない。満席まではいかないが、それに近いような状態だった。
いつもこの西武池袋線に乗っているわけだが、特急レッドアロー号は座席も通勤電車とは全く違ったもの。ほとんどの駅を通り越していくわけで、いつもの窓からの景色とは当然違っている。ときどき案内本を見て、どこかまで歩けるのかなど、この日のことを思い描く。
途中の駅である飯能に着いてから、この電車は逆方向に走っていく。椅子は全て前方向に向けられているのだが、ここからは後ろ向きになってしまう。何人かは椅子を回転させて前方向に直すような人もいた。この飯能駅のホームでは白衣姿に菅笠、金剛杖のスタイルの人が電車に乗り込んでくるのを見かけた。本格的に秩父札所を歩く人もいるのだと、嬉しい気持になる。
この日の僕はリックを背負っただけで、特別なことは何もなかった。普通に四国行き以来休みには履いているウォーキングシューズを履き、あとはリックに雨具を入れたくらいだ。お線香とロウソクも一応中には入れていたが。
巡礼という言葉は僕にはやや重過ぎるという感があった。そんなに熱心に観音さまを拝もうという気持もない。それでは失礼だよと言われたならそれまでなのだけど。ハイキングのような感覚、いや散歩ということにしたい。景色を楽しみながら、途中で少しは道に迷ったりしながら、歩くということをしたい。観音さまに手を合わせるというのは、授業が始まる前に姿勢を正して挨拶するような感覚とでもいうのだろうか。
8時10分頃に西武秩父駅に到着する。駅の前には「秩父札所午歳総開帳」という垂れ幕が張られていた。さっそくバス停に行き、1番の札所四萬部寺へ行くバスの乗り場を探す。バス停では「札所○番」というように、けっこうわかりやすく札所めぐりができるようになっているという印象があった。「札所1番」というバス亭の名前になっている。
駅前の広場では数人の集団があった。案内人について札所巡拝を行なう1日コースではないかと思ったが。
バスに乗り込む数人はその会話から札所を歩くような雰囲気だった。20分ほどはバスに乗っていたのだろうか。札所1番で多くの乗客がバスから降りた。9時を過ぎていた。四国遍路を歩いた感覚から言うと、もうだいぶ歩いているような時間である。この秩父でも納経は8時から受け付けているので、出来ればもっと早くから歩きたかったが、という思いもあった。
バス亭を降りても、どの方向に行けばいいのかはよくわからなかった。何人かの歩いていく方向にそのまま着いていった。まわりに家などはあるがいくらか寂しい通り、小さな橋がありそこからの川の眺めは四国を思い出させるものだった。
実は四萬部寺よりも僕の目を惹いたのはその前に位置する旅館だった。とても古いたたずまい。木と白い壁、屋根は当然のように瓦である。普通であればどこかしらサッシが入ったり手が加えられていてもおかしくはない。それなりに補強なりはしているのかもしれない。けれど外見上は遠くの時代を思わせるものだった。それでいて特別さがない、普通の旅館であるというような。
この旅館以外にもあちこちの札所の近くなどに旅館があったりしていた。こうしたところに泊まりながら、歩き巡礼を行なっている人はいるのだろうか。案内本には宿泊施設までは載っていない。この秩父札所を歩く人はどのような旅をしているのだろうか。
1番札所である四萬部寺は賑わっていた。四国の札所と同じように一休さんのような人形の案内がある。そんなに大きな寺ではないが、参拝をし、記念写真を撮ってる人が何人もいた。この秩父ではどのような手順で参拝をしたらいいのかはわからない。とりあえず、線香とロウソクは立て、お賽銭を入れ、手を合わせた。
売店で納経帳を購入する。そんなに多くの種類はないが、どれも見た目は豪華で中のページにも寺の名前の他、いろいろなことが書かれてあった。
いくらかベンチに腰をかけ休んだりもした。これからがこの日の本格的な始まりなのだと、自分自身に言い聞かせる時間でもあった。
来た道を戻りバス亭の方へ。バス通りに出ると大きな案内の看板が出ていた。「巡礼道 1.8km 札所2番 真福寺」とかなり目立っている。どうしても四国と比べてしまうのだけど、四国以上に案内はしっかりしているように感じた。しかし、それは観光地化されすぎているようでやや面白くないという印象もあったりした。勝手で、わがままなだけかもしれないが。
前後を見れば、10人くらいは真福寺までの道を歩いていたと思う。この日はほとんど、こうした混雑した状態だった。ゴールデンウィークの祭日である。人が多いのは当たり前のことであったが。田畑の中の舗装された道を歩く。楽しかったのは、いたるところにある案内だった。新しいマーク入りの巡礼道を書かれた案内は普通にあったのが、木で作られた案内、石に刻まれた古くからのものなどもあった。
札所2番真福寺はいくらか登り道を歩いた山の中腹にあった。古くお寺だった。古いという言葉はお寺という存在にとっては、実はプラスの言葉なのかもしれないが、やや寂しい古さを感じた。1番の四萬部寺と比べると、ほんとに普通の山の中にあるあまり人のいないお寺という雰囲気のところだった。実はここからお線香やロウソクは省略することとなる。
やや小雨が降ってきたことなどがあったのだが、悩んだ末、お賽銭を入れ手を合わせるという巡拝(と言えるのかどうかはわからないが)でこの先も通すこととなる。納経所はずっと離れた場所にある。緑に囲まれた自然の景色の中を降っていく。小川の流れている風景など、とても良いものだった。東京から少し電車に乗っただけでこうところがあったのだ。
雨は少し強めになってきた。傘を差して歩く。晴れていたなら、もっといい景色なのだろうけど。
事前に地図を見るということはほとんどしていなかったのだが、この真福寺周辺の道がこの日唯一と言っていいような山を歩くような道だった。
納経を終え、次の札所3番常泉寺へ。札所の間隔は近く、4番金昌寺、5番語歌堂と、どんどん進んでいく。10分から20分くらいで次に着くので、実はけっこう忙しいという印象だった。雨は晴れ、青空が見えてきている。ぞろぞろと、多くの参拝者が歩いている。ハイキングをしているという雰囲気にも感じられた。
札所6番卜雲寺はやや離れている。道がわからなくなり、初めて地元の人であろうおじさんに道を聞く。よく聞かれているみたいな様子でわかりやすい答えだった。
遠くの方に鯉のぼりが見える。晴れてきたとはいえ、風はけっこう強かったので鯉のぼりにとっては最高の日だったのかもしれない。
歩いている先には山が見える。けれど、あまりいい印象ではなかった。多分、僕の秩父の一番の強い印象というのはこの山にあったのかもしれない。それは大きく削られた山だった。秩父といのは、鉱山、セメントなどで有名なところでもある。そうした中で山は削られたのかもしれない。詳しいことはわからない。しかし、自然の姿の象徴である山の景色が、何か違ったもののように思えてしまった。
そんなに距離を歩いているわけではないが、いくから疲れてきた。7番法長寺では座って少し休憩を取る。ここは広く落ち着いたところで弁当などの昼食を取っている人もいた。
時間は午後の1時を過ぎたが、これまで食べるようなお店も、コンビニのようなところも見当たらなかった。この後、飲食店はいくつかあったのだが、なぜか食べたいような店はなく、ずるずると時間が過ぎていった。かなりの空腹になっていたのだったが。
国道299号を歩き札所8番西善寺へと向かう。国道から逸れていった道には、純朴な緑の風景があった。ちょうど太陽の陽射しが強くなり、春の心地よい山を歩いているという感じだった。西善寺はとてもきれいに手入れされた庭があった。この1日の中では最も感激した時間でもあった。
西武線の線路の脇、そして巨大な三菱セメントの脇を歩いて進む。9番明智寺は小さなところだったが、何とも特徴的なお寺の建物だった。
食べる処がないかと西武線横瀬駅前を通るが、ほとんど無いようだった。再び国道299号に入る。その通りはコンビニその他、いくつも店があるようなところだった。右へ曲がり少し歩いたところに中華料理屋があり、そこに入る。食べ終わったのは2時40分、なんとも遅い昼食だった。
札所10番大慈寺から11番常楽寺へは、やや道を引き返す形となる。相変わらず、歩いている人は多く、見慣れた顔の人とすれ違ったりもしていた。
常楽寺から12番野坂寺までの道がなぜか印象に残っている。民家の細い通りを抜ける道は、昔懐かしいという風情があった。やや道に迷ったが、野坂寺もその重厚な山門は、とても印象的だった。
この時点で3時40分。十一箇所もの巡拝というのは、歩くことでの体力的な疲れではない別の疲れがあったように思える。とにかく、次から次へと、忙しかった。本来ならば、一箇所にもっと時間を掛けて巡拝するべきなのかもしれない。体力的にはまだまだ大丈夫なのだが、気持的には正直なところそろそろ飽きてしまっていたのかもしれない。
それでも納経の締め切りの5時までの時間をギリギリまで歩くことにする。札所13番慈眼寺、14番今宮坊、15番少林寺というのはいずれも秩父の市街地という場所にあった。こうやって歩くことによって秩父の街がどうなっているのか、わかったような気もした。
大きな通りもあれば、駅前のきれいに舗装された小さな商店街もあり、その夕方の景色を楽しんだ。最後の頃は少し急いで歩いていた、少林寺で納経を済ませたのは4時45分だった。
西武秩父駅は少林寺から歩いて数分のところ、次回は少林寺から始めることにする。特急に乗って帰ろうと思ったが、次に出るレッドアロー号もその次も満席となっていた。仕方が無く、普通電車に乗り込む。ハイキングから帰るという格好の人達でかなり混んでいる電車だった。
このまま秩父巡礼道を歩くことを続けるつもりでいた。ただ、この連休ではなく、月に1回くらいの間隔で少しずつにしよう。今回はその近さを確認することができた。いつでも来ることができる。そう考えていた。
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