いつの間にか長い時間が過ぎていた。2002年は終わり、2003年も終っていた。四国にはその後、2回行ったのに、秩父はとても遠いところとなっていた。
ある意味での挫折と言ってしまっても仕方のないものだった。原因は自分でもわかっている。どうしても、四国遍路と比べてしまっていたことがあった。秩父には秩父の良さがある。四国と比べるようなものではない。それに、2年も前に歩いた秩父というのは三十四箇所の前半戦に過ぎなかったはずだ。
どうして秩父へ行くことを再開したのか。実はその理由は単純な、あまり格好のいい理由があるものではなかった。住んでいたところを引越すことにした。もう日帰りのような感覚で四国に行くことはできない。泊りがけでということになれば、それなりに費用も掛かる。引越しまでの残り日数を照らし合わせ、ぎりぎりのところで再開する日を決めた。札所34番水潜寺まで行くのに何日かかるのかはわからない。とにかく、やろうと思ったことを最後まで行いたい。
実は四国遍路も最後の10日弱の旅を残して足止めを食っていた。何もかもが中途半端な状態の中にいた。近いところにある秩父巡礼道を、なんとか歩きたい気持になっていた。
前回の秩父行きで気になっていたのは朝の始まりの時間であった。一番早い時間に着く特急で行っても8時を過ぎた時間からの始まりとなる。しかも、当然のように西武秩父駅が始まりということではない。そこからの移動時間がある。できれば、もっと早い時間に秩父に入りたかった。時刻表を見て検討する。何のことはなかった。特急に乗らなければもっと早く着く。もちろん乗っている時間は特急レッドアロー号の約1時間20分程に対して、普通電車であれば1時間50分程の時間がかかる。当然だが練馬から池袋に、戻るという時間が必要ない。そして、早朝の時間が全然違う。一番早い時間では5時15分に練馬駅を出発し、7時13分に西武秩父駅に着く。ただ、この日の少林寺からの始まりを考えればもう少し遅い時間でも大丈夫だ。それで5時38分練馬駅発、7時31分西武秩父駅着というスケジュールで行くことにした。
さすがにこの時間はまだ薄暗かった。そして何よりも寒い。天気は気になったが晴れの日に限定していたなら、秩父を最後まで歩くことは無理なような気がしていた。駅に着いてみると、時刻表に書かれてあった5時38分という電車は無かった。時刻表といってもインターネットに出ていたもので、時刻表の改正があったのかもしれない。ただ大幅に違っているわけではなく、若干時間がずれているという感じだった。5時45分の準急電車に乗る。飯能でもすぐに乗換えができるようで、予定とそんなに変わらない時間で着くようだった。
早朝の電車ということで空いているとばかり思っていたのだが、座席は7割ほどが埋まっている状態だった。前の日に飲んでの朝帰りなのだろう。これからこの日は仕事をするのだろうか。とにかく、こんなに多くの人が下り電車に乗るのかと驚いていた。
当然のように眠い。そして寒い。強く腕を組み、目を閉じて、長い時間を過ごした。飯能駅で乗り換える。立ち食い蕎麦でもあれば、食べてあたたまりたかったが、そうしたところなかった。あまり時間も無く、自動販売機でミルクティーを買って西武秩父行きの電車に乗り込む。この電車には朝帰りらしい人はもういない。ひとつの車両に乗っている人は数人という状態だった。座席は通勤電車のように横向きになっているタイプではなく、前後向き合ってのボックス席になっているもの。深く背もたれによりかかり、景色の変わっていくのを見守った。
それにしても、どうしてこの日に僕は秩父に来ることになったのだろうか。いくらでも時間があったのに。初春の暖かな風景を思い描いていたのに。なんと、窓の外は白い景色となった。
西武秩父駅前も白い雪だった。山の中が雪でも市街地は違うだろうという僕の予想は簡単に裏切られた。傘を差し、みぞれの降る中を少林寺へと歩いていった。僕の服装は普通の春の装いだったに。地面のところどころの白いところを避けて歩く。
少林寺には、ひとり参拝している人がひとりいたが、さすがに地面は雪のところが多かった。僕は次へと急いだ。
駅前の商店街を通り、市街地を歩いていく。手が冷たい。駅前のどこかに開いている店があれば朝食を食べようと思っていたが、どこにもそうした店は見当たらなかった。札所16番西光寺では僕が最初の巡拝客だったようだ。天候ということは別として、考えてみればこの日は平日である。休日と平日とでは参拝客の数が全く違っているのかもしれない。
ここで案内図を貰った。13番から18番までかなりわかりやすく書かれている地図である。こうした案内はこの日、16番から25番まで書かれたものもあとで貰った。途中にあるお店の名前なども入っており、とても役に立つものでありがたかった。
札所17番定林寺は小さいながらも風情があった。雪化粧できれいと言えばきれいなのだけど。
途中の道の途中、おにぎりと軍手、そしてホッカイロを購入する。おにぎりは歩きながら食べる。ホッカイロというものを買ったのは初めてのことのような気がする。温かくて、とても助かった。
秩父鉄道の線路を渡り国道140号沿いにある18番神門寺に、やや道に迷いながらまた線路を渡り19番龍石寺へ。この時点で時間は10時半だった。
三十四の秩父札所をその雰囲気、景色の点からあえてふたつに別けるならば、1番から19番までが前半戦で、20番から34番が後半戦となるのではないだろうか。龍石寺の少し先、荒川にかかっている秩父橋を渡ると、これまでの忙しなさがいくらか収まったような気がしてきた。もちろん、忙しないという気持は勝ってに自分が持っているものである。でも、どうしても市街地にあり、札所間の時間が数十分というのは歩くことでの、目的、その良さが無くなってしまっているようでもあった。
秩父橋を渡り、少ししたところに札所20番岩之上堂はあった。ときおり川の見える細い小道があり、とてもいい雰囲気ではあった。岩之上堂に行くのにちょっとした石段もあって、その景色も情緒がある。しかし、数センチほど積もっている雪の上を防水機能のないウォーキングシューズで歩くのはやや辛いものがあった。こういう雪化粧の景色はどうめったに見ることのできるものではないけど。
札所21番観音寺では、納経所の人に「歩いているの。大変でしょう」と声を掛けてもらった。やや晴れてきてはいたが、まだまだ地面は雪が多い。それにしても不思議な景色だったのは、桜である。3月の後半ということで、もう咲いているのもある。その桜が雪を被っているのだ。こんなことはめったにないことだと思うが。
次の札所22番童子堂では、ちょっと休んでくださいと言われ、お茶や漬物などをご馳走になる。なんでも、僕の30分くらい前に若い女性の参拝客が来ていて、歩いて次に行ったという話を聞く。この雪の中を歩いているのが僕だけでなかったのかと、少し安心する。
ここから次の札所23番音楽堂までは、約1.4キロ。道に出ている案内の通りに歩いていったのだが、途中で引き返そうかと思うようになってしまう。ほんの少しだと甘く考えていたのに。小鹿坂という狭い道を登っていく。最初はそうでもなかったのに途中から完全な山の中の歩行だけの道となってしまった。深い森の中を、雪を掻き分け歩いていたのである。登りということでけっこう汗も出てきた。街中の景色にうんざりして、こういう自然の中を歩きたいという気持は持っていた。歩くのにはいいところであることは確かだ。雪さえなければ、だが。
なんとか登りきり音楽堂へ。もしろいことに、ここには演歌歌手のポスターが貼られていたりしていた。この時の時間は12時ちょっと前。この秩父札所の場合、12時から午後の1時までは納経所が閉まってしまうらしい。お昼休みということなのだろうが。こうした時間の兼ね合いもあり、山道を急いで歩いたのだがほんとうによかった。できれば、参拝を終えたところですぐに温かな蕎麦でも食べることができたら最高だったのに。一応お店らしきものはあるようだったが、閉まっていた。平日と休日とではまた違うのかもしれないが。
ここからは山を降ることになる。地図では山道を歩くちょっとしたハイキングコースがあるみたいだった。けれど、いくらなんでもこの雪の中で歩くのは無理だと判断。自動車道路を降りていく。この辺りは大きな公園となっているようで、音楽やスポーツの施設があったりしていた。何よりも秩父市内を見渡すことが出来る最高の眺めがあった。この降り道、実はけっこう大変だった。かなり滑りそうになり、ゆっくりゆっくりと歩いた。履いているウォーキングシューズは買ってから2年半以上になっている。履きやすくてとても良いのだが、底の方はかなり減ってしまっているのかもしれなかった。
山を降り、道は車の交通量の多い広い道となる。傘はもう必要ない状態となっていた。1時過ぎに坂口屋という蕎麦屋に入る。この秩父では蕎麦が名産のようだった。街のあちこちには蕎麦の美味しさを謳う看板があったりしている。手打ちの素朴な蕎麦を味わいたいものだと思っていた。この坂口屋という店は、そうした雰囲気を漂わせている風情があった。
お腹も減っていたので蕎麦だけではなくご飯もついた蕎麦定食を注文する。天ぷらと小鉢2皿も付き、値段もとても安いものだった。これは実に美味しいものだった。この日の苦労がこれでやっと報われたような気持になった。
少し歩き札所24番法泉寺へ。見事な石段があった。かなり急で手すりにつたわり最新の注意を払って歩いたが。それにしても、この秩父でやっと「歩いている」という感覚になってきていた。札所の間にそれなりの距離がある。景色もその都度違ったものがある。そんなに広くはないところなので、山の景色などは同じといえば同じであることには変わりないのだが、それでも市街地と比べれば大きく違ったものがある。
札所25番久昌寺に着いたころには、空もいくらか青さが出てきていた。久昌寺の前には大きな池がある。この池の脇を歩いていく小道が、とても印象的だった。三脚をセットしてずっと写真を撮っている人もいた。三十四の札所はそれぞれ特徴があり、絵になるものを持っているのだが、特にこの久昌寺から後の、札所には周りの景色を含めての、写真に撮りたい場所が多かったように感じた。
この久昌寺を出たのが2時半頃。そろそろこの日の終わりがどの辺りなのかを考え出す。道はこの先、荒川を渡り、秩父鉄道の線路を越える。やや市街地に入る。歩けるところまで歩いて、秩父鉄道のどこかの駅を区切りの場所にしようと考える。3日目をその駅から始めれば、残り2日で34番まで行けそうな気がしていた。距離的には十分大丈夫なのだが、あとは区切りとする場所までの交通機関の関係にもよる。
荒川を越えるところで大きく時間をロスしてしまう。道を間違えたと思い込み、一度戻ってしまったのだ。よくよく地図を見て間違ってなかったことに気づき、また同じ道を歩く。20分ほどは無駄にしたような気がする。でも、歩くということはこうした失敗もその一部なのだ。
地図というのは、この時3つほどを見比べて歩いていた。ひとつは案内本に載っているもの。秩父札所連合会で出しているチラシのもの。インターネットの西武鉄道のページにあったものをプリントしたもの。どれも微妙に違っているところがあったりして、よくわからない部分もあった。
札所26番円融寺、27番大渕寺と、市街地のやや忙しない雰囲気の中を歩いていく。実はこの辺り、地図を見ると12番野坂寺とそんなに距離は離れていない。この秩父はあっち行ってこっち行ってと、戻るようなこともあるのだ。2つの札所とも、のんびりとした感じがよかった。
28番橋立堂へは少し山道となった。自然いっぱいの景色は嬉しいのだが、道路の上の木には数匹の猿がいた。襲ってきたらどうしよう、などと不安になる。暗い山の雰囲気のところで、ほんとうに恐かったのだ。
この札所はその景色も驚くものだった。高い岸壁の脇にあるため、幻想的な雰囲気が漂っていたりしていた。
札所29番長泉院への道は1.8キロという距離以上に長かったような気がした。かなり疲れてきていたのだろう。4時45分頃になんとか長泉院に着くことができた。残りはあと5つの札所だけである。しかし、これからの札所間は距離が長く、大変そうである。
この日の札所はここで終わりとし、後は秩父鉄道の駅へ行き、そこを区切りの場所にすることにした。武州中川という駅を目指して歩く。もし行けたらその次の武州日野駅まで歩きたいと思っていたがこれは甘い考えだった。駅と駅の間になかり長い距離があったようだ。札所巡り用の地図というのは、概念図になっている。市街地が拡大している。よって、郊外のところは地図の上ではそんなに距離がないように見えてしまうということがあった。武州中川駅へ歩く途中には清雲寺というところがあった。しだれ桜の名所ということで、ちょっとだけ道を逸れて見てみることにした。全く咲いている様子はなかったが、確かに咲いたら凄い景色になりそうだった。けれど、その場所は観光用のお花見宴会の場所ともなっているようで、何かちょっと違うんじゃないかな、というものがあった。長泉院から約40分ほど歩いたところで武州中川駅へと着いた。やっとこの日の歩きは終わりとなる。疲れた。けれど、ここから電車に乗って自分の部屋まで帰ることを思うと、まだまだ1日は終らないのだが。
当然のようにすぐに電車が来るはずもなく小さな駅のベンチで少し待つ。この駅から電車に乗りお花畑駅で降り、少し歩いて西武秩父駅へ。飯能行きの電車に乗り、飯能から池袋行きの電車に乗り換えて練馬駅まで。この後、2日こうした電車に乗ることを繰り返したのだが、歩くことよりも電車に乗ることの方が大変だったような気がする。
この日はできれば西武秩父駅の仲見世通りで何か食べたかった。けれど、電車の時間の関係で、売店で弁当を買う。弁当は巻き寿司が残っていただけで寂しいものだったが。それに缶チューハイを2本買って、飯能行きのボックス席で飲んで食べた。
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