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四国遍路日記 第4期 2日目
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四国遍路日記 第4期 2日目 2003年3月7日(金)


 6時半に起きる。携帯電話の目覚まし機能を使ったのだが、時間をずらして2回のセットができるのでかなり安心だ。それにしても、朝起きて「熟睡したな」と心から思えた一夜だった。遍路だから疲れて眠れるかというとなかなかそうでもない。普段とは寝る時間などが大きく違うわけで、早く寝て夜中に目を覚まし、それで眠れなくなってしまったらそれはそれで辛いものだ。計算してみると、9時間ほどは寝たことになる。なんだか嬉しい。

 7時に朝食を食べに行く。モーニングは「和」と「洋」があり、僕は「和」の方を食べた。鮭、玉子焼き、漬物、梅干、冷奴、海苔(食べなかったが)、ご飯と味噌汁。いろいろとおかずがあるのは楽しいが、久しぶりの7時という早い朝食で、食べるのも大変なのである。美味しかったけど。食後にはコーヒーも出てきた。

 部屋で出発の準備をするが、カメラのバッテリーが無くなっていることに気が付く。予備にもうひとつ持ってきているのだが、その予備としていたものが充電されていなかったようだった。ひとつのバッテリーは充電していたところなので、大丈夫なのだがこの日は予備なしでデジカメを使うことになる。普通であれば、予備がなくても大丈夫なのだが、日によって沢山撮ったときにはバッテリーが無くなり予備を使うこともある。この日は少しセーブしながらデジカメを使うことにする。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 会計を済ませ、7時半に出発をする。この日の予定は小田町というところまで、約32キロ。もう少し歩けるのだが、ちょうどいいところに宿があるということもなく、歩き遍路では1日の距離というのは自ずと決まってきたりする。

 外はまだ薄暗い。もちろん寒い。この日も、いくらか雨だ。一応カッパを着たが、途中で必要ないと脱いだり、何回か繰り返すような1日だった。

 歩き始めてすぐに、女性の歩き遍路の人と出会う。軽く挨拶しただけで通り過ぎる。前日は寺以外では遍路の人を見かけなかったので嬉しかった。

 市街地を過ぎるとあとは田んぼのある景色の中の車道を歩いていく。国道56号、昨日から同じ道をずっと歩いているわけだ。またちょっとした店の多い通りとなる。地図もざっと見ているだけなので、歩いている先がどういうところかなど、何もわからない状態で歩いているのだ。でも、これはまた楽しかったりもする。何があるのかわからない景色だから、歩いていこうという気にもなるのかもしれない。

 トイレに行きたくなってくる。朝の起きる時間など、生活のペースが普段と違うわけでこういうこともあるわけだ。8時半頃、モスバーガーがあったのでそこに入り少しの休憩を取ることにする。用を足し、ホットココアで温まった。なんとも良かったのは店員さんの雰囲気だった。近所のおかあさんがパートをしているという感じだったのだが、若いアルバイトの人とは違った笑顔が印象に残った。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 雰囲気としては郊外のバイパスのような道路を歩いていく。この先に内子という町があるのだが、そこを通るのを楽しみにしていた。ある四国遍路の本では、情緒のある町と書かれていて、大洲の街並みに感激した僕としてはこの内子の街並みを見てみたかった。地図では歩行者だけの遍路道というのがあるみたいだ。その道に入りたかったのだが、よくわからないまま結果としてずっと車道を歩くことになってしまった。目に入ってくるのは普通のビルなどの建物であり、情緒豊かな雰囲気とは全く出会うことなくこの町を通り過ぎることとなってしまった。これにはとても残念だった。

 雨は止んでいた。この後、ぽつりぽつりと降ることがあり、またカッパを着ることはあったが小ぶりの雨だった。それでも寒いことには変わりはない。トレーナーと軍手を買うつもりになっていた。途中に洋服の売っているスーパーなどがあり、トレーナーを買うことはできた。けれど、もう少し先にもあるだろうという甘い気持があり、結果として買うことなくこの日が終ることになる。これは大きな失敗だった。

 軍手は途中のサンクス内子店で購入する。10時半頃だった。歩き遍路としては軍手は必需品なのだが、僕のリストからは落ちていた。軍手をしているのとしていないのとではこんなにも違うのかと、軍手はその後、僕の身体の一部となっていた。

 そのコンビニを過ぎ国道56号から別の道へ入ったあたりで、男性の歩き遍路2人と出会う。たまたま、同じようなところを歩いているらしかった。この2人とは、後になっても、ちらちらと会ったりすることとなった。今回の旅のルートは、どうしても宿の関係で1日の歩く距離が決まってくるようだった。ひとりの男性は、Kさんと言い、金剛杖の他に同じような長さの木の棒を持っていた。片手の金剛杖、もうひとつの手に木の棒の杖を持ち、スキーのストックのような感じにして歩いていた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 道は、山の中の車道となる。民家は次第に少なくなってくる。車もそんなには通らない。晴れていたならば、気持のよい雰囲気だ。歩きながら、この日のもう一つの失敗に気が付く。これから先に飲食店というものは無さそうなのだ。先ほどのコンビニで昼食を買っておけばよかったのだ。地図の上では全く店がないわけでもないので、そこでパンでも買えることを期待する。

 この2日目はさすがに初日と違って歩くのに疲れてもいた。いくらか歩いたところで、座り込んでの休憩を取ったりもした。出会った歩き遍路の人とは、適度に距離を保りながら、、追い越し、追い越されての関係となっていたようだった。道のそばには川が流れている。とてものどかでいい雰囲気だ。

 そんな中、僕の携帯電話が鳴る。出てみると「住宅に興味はないか」という内容。家の電話をこの携帯に転送させているので、こういうこともあるのだが、この山の景色の中でこうした話をされても困ってしまう。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 12時半頃だった。途中に、ある商店があった。そこでパンを買うことにする。おばあさんがひとりで店番をやっているようなところだ。昔はこうした店がよくあった、という雰囲気。どのパンを買おうかと悩む。おばあさんは僕のこの選択をずっと見ている。ここで困ったことを発見してしまう。サンドイッチなどの調理パンがあるのだが、明らかに、大幅に、賞味期限を越えた日付になっている。まあ、文句を言うような状況でもないし、笑って受け入れるしかないのだが。

 いろいろと賞味期限を見て、まだ期限に余裕のあるソーセージパン(130円)と玄米パン(100円)の2つを購入した。合わせて230円というのが、この日のお昼ご飯だった。自動販売機で今回の旅で3本目となる爽健美茶も買った。

 この場所から少し歩いたところのバス停のベンチでこのパンを食べる。それにしても、ソーセージパンというのは小学生の時以来のような気がする。懐かしい味を堪能した。嬉しいのはこのバス停だった。ちょっとした小さな家みたいなボックスになっている。しばらく座ってぼんやりとしていた。

 また歩き出す。歩くことがメインの旅なので、とにかく歩くしかないのだが。小さな町の小さな商店街を通る。数件の店があるだけなのだが、どの建物も昔風の木の家で、窓もサッシでないのが普通だったりする。タバコの看板も昔のまま。タイムスリップしたかのような感覚だった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 途中で歩き遍路の人と出会う。向こうから歩いてきたのだ。話を聞くと、逆打ちをしているのだという。道はまたのどかな山村の風景となる。そして、2時50分頃、突合というところに着いた。ちょうどこの場所には、さかえや旅館という宿があった。最初に地図を見て泊まるところと検討していたときには、この宿に泊まることを考えていた。しかし、ガイドブックをよく見ると「休業」と書かれていた。

 遍路道はこの突合で別れている。左の道をずっと歩いていくと、ひわた峠というところを通る。車道はない、歩きだけの遍路道だ。正確なところはわからないが、本来はこのコースが遍路道だという話を聞いたりもした。距離から考えてもいくらか近道になる。さかえや旅館に泊まれるのであれば、このひわた峠を行くコースもあるのだろうけど、現在ではほとんどの歩き遍路の人は右側の車道を歩いていくようだった。4、5キロほど先に小田町というところには4軒ほどの宿があり、そこに泊まって新真弓トンネルを通っていくのが一般的なコースのようだった。僕もこの日は小田町に泊まる。あと少しだ。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 実は小田町という町に入ってから、宿までが遠かったような気がする。高校や小学校の脇を通るのだが、普通の鉄筋コンクリートの大きな建物。そんなに小さな町ではないみたいだ。僕がこの日泊まる若竹旅館というところは町の外れの方にあったのだが、交番に聞いたりして、やっと辿り着いた。それは古い木の家だった。4時半、玄関を開けると笑顔がいい感じのおばあさんがでてきた。

 さっそく2階の部屋へと案内される。実は階段を上ってからの廊下はかなり軋んだ。足を置く毎にギシギシと音がした。最初はちょっと恐かった。例えば100キロ以上の体重の人だったら壊れてしまうのではないかという雰囲気だった。でも、柱の色は趣きがあり、ほんとうに昔懐かしい家というところだった。廊下の突き当たりにある洗面所も趣がある。部屋に入ると、おばあさんはストーブを付けてくれた。名前は旅館となっているが、おばあさんがひとりでやっている民宿といった感じのところだった。ほんとに古いところで最初は驚いたのだが、この宿こそはもう一度泊まりたいところだと、後から振り返ることになる。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 部屋の隣からは声が聞こえてきた。どうやら夫婦が泊まっているみたいだ。隣の部屋とは襖で仕切られているだけとなっている。でも、こういう宿がちゃんとあるということが、なぜか嬉しかった。

 お風呂は、普通の家のものよりは少し大きくしてあったのだろうか。もちろん、古さみたいなものが感じられる。でも、どんどん沸きあがるお湯には不思議なあたたかさがあった。首までゆったりとこのお湯につかり、この日の疲れを取った。

 浴衣を着て、部屋でのんびりと過ごす。時間が止まっているかのようだった。 夕食は6時半になって一階の食堂というか、土間のようなところで取った。サンダルを履いて椅子へと座る。となりには、大きなストーブがあり、あたたかい。てんぷら、肉炒め、うなぎ、栗、黒豆、くだもの。むかし、小さかったときに、おばあさんが作ってくれたような料理だった。懐かしい味だった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 僕以外の客は隣の部屋の夫婦だった。歩いているのだという。急がず無理しないでゆっくりだよ、と言っていた。年齢は50前後くらいだったろうか。子供の話などもしていた。 食事が終ってからは、翌日のコースについて宿のおばあさんに話を聞く。最初はこの夫婦がどのように歩いたらいいのか聞き出したのだが、僕もわからないので地図を見ながら教えてもらうこととなった。

四国遍路の景色

 道のこと以外でもいろいろな話をこのおばあさんから聞いた。昔はこの町に大雪が降って大変だったこと、自分は歳を取ったけれどまだスクーターに乗っていること、この免許の更新をどうしようか迷ったけど周りの人にまだまだ大丈夫だと言われたこと、遍路の宿が少なくなっていること……。とても楽しい語らいの時間だった。

 9時くらいに布団に入る。この日も夜はぐっすりと眠ることができた。


◎ 第4期 2日目:約32キロ / 2003年3月7日(金)
◇ 昼食:途中の店でパンを購入 230 円
◇ 宿泊:若竹旅館 6000円





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