四国遍路日記 第4期 6日目 2003年3月11日(火)
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朝は6時半に起き、7時に朝食となる。生卵、漬物、ご飯に味噌汁までは普通なのだが、ここでは湯豆腐があった。温かくこれは嬉しいものだった。
この宿の人と僕が話をしたのは、女将さんというか奥さんだけだった。この人はどちらかというと無口というか、とにかく必要なこと以外、ほとんど話をしなかった。けれど、出発するときにとてもあたたかな声を掛けてもらった。そして、店の前でずっと見送ってくれたのだった。
しばらく歩いたところで、海の景色が広がってくる。地図の上では海の向こうは広島県となるのだろうか。陸の景色、いくつもの島、ゆっくりと走る船が、嬉しい。11時前くらいだったのだが、海水浴場のようなところに来る。砂浜のところで波打ち際まで行き、ゆっくりとした時間を過ごす。高知の太平洋とはやはり違った海なのだ。とてつもなく広いという感じはしないが、海という自然の中で生活しているのだということを強く感じた。
この日歩く距離は27キロほど。今回の旅において後半の難所と言えるのが、第60番横峰寺だった。それなりに高い山にあり、登りの遍路道は2時間くらいはかかる。地図を見ても、その日のコースは良くわからない。歩き遍路の人の話でも、この横峰寺の前にある宿に泊まり、そこを早朝に出発して山を越えたほうがいいという。途中にいくつもの宿があるわけではないので、どうしてもコースが決まってくる感じだ。
僕は栄屋旅館というところに予約を入れた。でも、実は電話では満員でぎりぎりと言った雰囲気だった。「相部屋になります」ということ。四国を歩いている限りは当然相部屋は覚悟しているが、ほんとにこの宿は相部屋が当たり前というところの雰囲気だった。後になって、Hさんから話を聞くと、もう一軒少し手前に民宿ビジハウス国安というところがあり、ここに泊まっても十分に大丈夫ということだった。Hさんはこちらの宿に泊まるということだった。
そんなわけで、この日の歩く距離は短いものとなった。こういう日もある。僕はこの砂浜で30分以上のんびりしていた。この日は何度かKさんと一緒になったりした。僕よりもKさんの方がずっと歩くのが速いので、そんなに話をするようなことはなかったが。
12時半くらいに、「オレンジハウス」というハンバーグをメインとしているレストランへ入る。歩いている途中にはそんなに食べるようなところがなく、不安な気持ちにもなっていたのだが、とても良さそうな店があったのだ。ハンバーグのような洋食もそろそろ食べたいところだった。
内装はとてもこだわりの感じるアンティークとなっている。古い家具のようなものもあり、東京の青山にあるカフェみたいな雰囲気。車でお昼を食べに来ているビジネスマンが多そうだった。何だか汗だらだら白衣姿の僕は場違いのようにも思えたが。美味しいハンバーグだった。お店の雰囲気も料理も、そして珈琲も特別な美味しがあった。
50分くらい歩いたところに第54番延命寺があった。多くの参拝客がいて賑わっている。出店でお茶のお接待があった。使っていたライターの油が無くなっていたので、ここでライターを買う。普通の100円ライターよりも、少し先端の長いものを買う。風が強くても、これで線香に火をつけるときに困らないだろう。
次の第55番南光坊まで約3.6キロ。少し変わった遍路道というか、巨大な墓地のようなところを通る。今治市内は川が流れ、素朴ないい雰囲気のところだった。しかし、こうした大きな街というのは、案内がよくわからなかったりする。特にここでは札所である南光坊よりも、隣になる寺の方が有名というか賑わっているような感じがあった。
3時頃にこの南光坊で参拝をする。平地に広く建てられているというところだった。静かな午後の寺の景色があった。Kさんも先に来ていて、一緒に納経をした。別れてKさんは旅館へと向かった。
この日の僕が予約した宿は松里旅館といい南光坊のすぐ後ろになる。場所だけ確認して、ちょっとした今治観光で時間を費やすことにする。
前回の四国の旅で、宇和島城、松山城という2つの城を見ているのだが、城を見るのが面白いと思うようになっていた。城の中を見るのも面白いし、その天守閣から街を眺めるのも特別な面白さがある。城下町であれば、ぜひ城の上り、その街を感じたい。幸いにしてこの日は時間があり、今治城はここから少し歩いたところにある。
かなり疲れてはいたが、迷いながら今治城へと向かう。お堀といい、石垣といい、天守閣といい、その景色は立派なものだった。正直なところ、きれいすぎて歴史の重みに欠けるような気がしないでもなかったが。1980年に復元されたものなので、仕方が無い。300円の観覧料金を払い、天守閣へと入る。他に櫓の方も美術館となっていて入ることは出来たのだが、そこまでは行かなかった。
天守閣へはスリッパに履き替えて階段を上っていく。かなり急な階段で辛いものがあった。そして地面がコンクリートとなっていることで足が冷たい。中は美術館になって多くの歴史関係のものが展示されていた。一番上の展望台からの瀬戸内海を見下ろす景色は素晴らしかった。遠くの方には、しまなみ海道が見える。景色はいいのだが、正直なところ風が冷たくとても寒かった。それだけ高い場所にこの天守閣はあったのだが。
下に降り靴を履き替える。そこには、観光案内のパンフレットがいくつかあったので、それを見ていた。受付のおじさんに声を掛けられ少し話をする。だいたいは何処から来たかということだったりするが。僕は今治からしまなみ海道を走るバスについて興味が湧き、いくらかおじさんに質問していた。そろそろ、今回の旅の終わりを考えていたのだ。JRの駅の近くにある札所で終ればそれが一番いい。けれど、地図を見る限りではそれは難しいようだった。ならば、少し前で旅を終わり、最後の1日を観光にあてる。これまで通ったことのない、しまなみ海道を渡り瀬戸内海の景色を見るのも楽しいのでは、と思い始めてきた。これまでの旅も最後の1日を観光に当てていたりしていた。桂浜の坂本龍馬記念館、松山城といったところは普段遍路を歩いていたのではなかなか行けるところではない。まだこの先のことを決めたわけではないが、しまなみ海道に心が惹かれていた。
市内をゆっくり歩きながら宿へ行く。5時少し前に着いた。旅館というよりは民宿という感じのところだった。ほんとうに普通の家の2階の部屋に泊まるという感じ。ここのおじいさんがほとんど対応してくれたのだが、いつもすまなそうな表情をしていた。でも、一生懸命に気を使ってくれていた。部屋は2部屋を使う。コタツのある部屋と、ベッドの置かれてある部屋とがあった。お風呂に入り、部屋のコタツで温まる。翌日になってやっとわかるのだが、この2階には別の部屋に歩き遍路の人が泊まっていたようだった。顔を合わせることは無かったが。
食事は6時過ぎ。部屋におおきなお盆でおじいさんが運んできてくれた。煮魚、天ぷら、ブリの刺身などが並んでいる。四国の遍路宿では、ほとんどで刺身は出る。こうした民宿のようなところでは、値段的にも大変なのだろうではないかと思うのだが。毎日刺身を夕食に食べているわけなので、何だかんだ言って、旅とは贅沢なものかもしれない。でも、この夕食を楽しみに、苦しく辛い1日があるのだ。
夜は9時半頃に眠りに着く。朝方5時頃に一度トイレに起きた。
◎ 第4期 6日目:約27.1キロ / 2003年3月11日(火) ◆ 第54番 延命寺
◆ 第55番 南光坊
◇ 昼食:「オレンジハウス」 おろしハンバーグ+コーヒー 940円
◇ 宿泊:松里旅館 5500円
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