四国遍路日記 第4期 9日目 2003年3月14日(金)
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6時に起きる。6時半に朝食を食べ、7時に宿を出発する。前の日と同じに何人かの歩き遍路の人たちが同時に出発するような感じのため、前か後ろの視界には常に遍路姿の人がいるような状況だった。道を迷うこともないのだが、迷いたいような気持も少しはあったりと、やや複雑なものがあった。
20分ほどで第63番吉祥寺へと着く。ここも街中にある小さなお寺だった。不思議なことに早朝の参拝というのは気持が引き締まるものがある。大学生Rくんの参拝はちゃんとお経を詠み、時間を掛けた立派なものだった。
住宅地の中の少し細い道を歩いていく。3.3キロで第64番前神寺へ着く。広く趣きのあるところで、何枚も写真を撮って過ごす。何度か会っている80歳を超えているであろうおじいさんを見かけ、軽く挨拶を交わす。おじいさんの旅はこの札所を区切りとして終るのだという。これから帰るのだと言っていた。
この日は宿までひたすら歩くだけ。地図を見ても特に目立ったところはない。途中の道端で、地元のおばさんに声を掛けられ缶ジュースのお接待を受け、「よいお参りを」と声を掛けてもらう。それは9時頃の時間で、とにかくこの日は長い1日だった。ほんとうに歩くのが飽きてくるという感覚だった。そうした気持がめげているときにお接待を受けるとほんとうにありがたい。
10時半頃には、またまた呼び止められ、ゆで卵2個のお接待を受ける。考えてみると、ゆで卵などはたまたま持っているというものではない。いつも、遍路の人が通るということを意識しているのかもしれない。
途中で国道11号を歩くこともあったが、平行して走っている旧道というか、民家、商店街のあるような少し細い道をずっと歩くことが多かった。途中でいくつかの橋を超える。そこで地図を見て自分の位置を確認して先へと進んだ。国道などでは、座り込んで休むというのはなんとなく難しい。やはり橋のあるところで、川の土手に下りて休んだりもした。ここでゆで卵をひとつ食べたのだが、美味しいものだった。そして、歩いた。ただただ歩く。
12時くらいにちょっとした商店街を歩いているときだった。店の人から声を掛けられる。そこは林フードセンターというところだった。店の中でお接待ということでウーロン茶とパンなどいくつかの食べ物を袋に入れてくれる。とても恐縮してしまった。この地域はお遍路さんにみんなあたたかいのだろうか。お店をしながら、いつもお遍路さんの様子を見てくれているような気がした。
もうお昼の時間なので、どこかに座りたいと場所を探しながら歩く。もらったパンを昼食にしようと思ったのだ。しかし、商店街はアーケードのなにやら凄いところに入る。善光寺商店街というところで、とになく長い商店街だった。しかしここは何とも寂しいところでもあった。シャッターの下りている店があまりにも多いように思えた。郊外にある車の止められるような大型の店へと客を奪われてしまっているのかな、などと想像を巡らす。商店街の途中に小さな公園を見つけ、そこのベンチでお接待のゆで卵とパンの昼食を取った。
途中でKさんと一緒になり少し話をする。この日の宿はどうやら別のようだった。Kさんは事前にインターネットで宿の評判などを詳しく調べているみたいだった。遍路というのが面白いと思うのは、親しさの距離みたいなものではないかと感じている。宿の話をするけれど、一緒に泊まりましょう、みたいな話をすることはあまりない。過去にあることはあったが、例外になるかもしれない。たまたま、同じ宿になったり、先に進んだり遅れたり、自然にそうなれるところがいい。
Kさんと一緒に歩いているときに、自転車に乗ったおじさんから現金のお接待を受けた。この日は3度目のお接待ということになった。Kさんには、この日が今回の僕の旅の最後で明日帰るのだと話をして別れた。
宿まであとほんの少し、1キロほど手前のところに延命寺というところがあり、時間もあったので参拝し少し休憩することにした。お寺に入らないと落ち着かないという気持もあったのかもしれない。けれど、小さいながらもきれいでいいところだった。ここは番外霊場となっている。
よく2順目の四国遍路のことを考える。これから先、この四国遍路は続けて行きたいと思っているのだ。全く同じやり方ではおもしろくない。できればなんらかの変化を持って2順目の旅をしたい。旅で出会った人の中には、番外霊場も全てまわっているという人もいた。出会うことの無かった風景を見ることができる。番外霊場というのは、強く考えるところである。
この延命寺では東京からの大学生であるRくんも休んでいた。少し話をする。僕は昨晩の夕食の豪華なことについて彼に語ってしまった。食事抜きでも金額的にはあまり変わらなかったようで、彼はとても残念そうな表情をしていた。けれど、通し打ちの彼にとって、残り後数日では金銭的に少しでも無駄にはできないのだろう。大学のときにこういう旅を行うということは僕には考えられなかったことだ。でも、あまり早いうちにこうした社会とは違った時間を経験してしまったなら、ただの言われるままのサラリーマンは勤まらないような気がした。いくらかこうしたことも彼と話をしたが、本人も考えているようだった。
4時10分頃にこの日の宿である松屋旅館へと着く。まだ泊り客はほとんどいないみたいだった。部屋に案内されテレビを見て、ぼんやりと過ごす。今回の旅ではたとえ部屋にテレビがあってもできるだけ見ないようにしていた。宿に泊まるのも今日が最後ということで、そうした決まりごとも、もういいだろうという気持だった。
フロントから電話がかかってきてお風呂に行く。一番風呂でとても気持が良かった。ここのお風呂は2、3人が入れる広さだったのだが、後から聞いた話では泊り客の多いときには、他の大浴場を使ったりもするのだそうだ。
夕食はテーブル席の食堂で、5人ほどが一緒になる。ひとりはRくん。この宿では素泊まりではなく、食事付きにしたみたいだった。後から、初めて会った歩き遍路の人が来た。隣のテーブルには年配の夫婦が。この夫婦は遍路ということではなく、ウォーキングとしてこの宿を出発点として雲辺寺の方を歩くのだという。ウォーキングの会のようなところに属していて全国のあちこちを歩いているのだと言っていた。僕の正面に座った歩き遍路の人は翌日の宿が満室ということで取れなかったらしく、翌日は伊予三島でゆっくりするのだと言っていた。Rくんとは同じ東京に住んでいるということで、どの辺に住んでいるとか遍路に至った動機などの話をしていた。
実はこの宿、食事を終えて部屋に帰ろうとしてからが面白かった。ちょっとしたことでこの女将さんと話をすることになったのだが、何でも気さくに話をしてくれて、それはとても有意義なものだった。例えば高松に行ったならば、有名そうな店ではなく、地元の人に美味しいうどんの店を聞いて入った方がいい、というような話だ。美味しい店は人通りの多いところではなくいくらか目立たないところにあるのだと。それに、次の宿となる民宿岡田について。雲辺寺の近くには宿泊できるところがなく、今ではこの民宿岡田に泊まるしかないということ。いろいろな遍路客について、宿をやっていくということについて。女将さんの話を通して、四国遍路を支えている人の方の側面というのがほんの少しだが感じることができた。
部屋に戻ってから、翌日の天気予報のことが気になっていた。この日は夕方からやや空の様子がおかしくなってきていた。どうやら翌日は雨らしい。この地域だけでなく、四国全般が。僕が考えていた翌日のスケジュールというのは、四国遍路の歩き旅はこの日で終了し、翌日JRで今治に移動し、そこからバスでしまなみ海道を渡り新幹線に乗るというものだった。けれど、雨の中の景色を見てもあまり面白くもないだろう。翌日は午前中だけ歩き、JR伊予三島駅まで行くということを考え始めた。この方が時間の旅のスタートを考えた場合、ずっと楽になる。夜行バスで四国に来てそこからJRの駅に行くのだって時間が掛かるのだから。
食堂の方に戻り女将さんにJRの時間を聞いたり相談をさせてもらう。もし行けたら次の札所である三角寺まで行ってもいいのではと言われる。この三角寺を区切りとして、タクシーを呼んでJR伊予三島駅まで戻ってくる人もいるということだった。東京に帰る新幹線の時間があるため、そこまで行けるかどうかはわからないが、翌日は歩く気持に半分ほどなってきた。もし仮に晴れていたならば、最初に考えていたちょっと観光コース、雨だったならば午前中だけ歩いてJR伊予三島駅まで行くというコースにすることにした。最後の最後まで決まらないというか、決められなかったというのは、僕の優柔不断のところなのだが、考えていた以上に長い距離を歩くことができた今回の旅であったので、仕方が無いようなぁと自分に言い聞かせる。
文庫本をパラパラと読み返し、眠りについた。
◎ 第4期 9日目:約31.8キロ / 2003年3月14日(金) ◆ 第63番 吉祥寺
◆ 第64番 前神寺
◇ 昼食:お接待でいただいたパンとゆで卵
◇ 宿泊:松屋旅館 6500円
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