四国遍路日記 第4期 5日目 2003年3月10日(月)
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6時半に起き、7時からの朝食を食べに行く。新館のレストランでのバイキングとなっている。ちょっと早めに行ったので、ほぼ最初に席に着く。このバイキングも嬉しいものだった。出来たての美味しそうな料理が何種類も並んでいる。あれも食べたいこれも食べたいという誘惑を抑えて、和風で量も少なめに取る。鮭、玉子焼き、肉じゃが、レンコンサラダ、煮豆などをご飯と味噌汁で食べる。炊き立てのあたたかなご飯も美味しかった。
いつかまたこのホテルに来ようと思う。その時は歩くことなどは考えずに、食べることとお湯に入ることのために。でも、歩いているからこそ、食もお湯も、いいのかもしれないが。
7時半に出発、少しひんやりとした感じはあるが、空は晴れていて、いい気持である。8時過ぎに第50番繁多寺へと着く。ここは少しばかり高台にあるのだが、市内を見下ろす眺めがとても良かった。早朝だからこそ感じられる気持なのだろうか。言い過ぎかもしれないが、晴れ晴れとした気持だった。
住宅街を通り、狭い車道を通り、いよいよ松山市内に入る。かなりごちゃごちゃした街の雰囲気になってきた。9時少し前に第51番石手寺に入る。ここには驚くほどの観光客がいた。遍路とは別に、けっこう有名なお寺のようだった。長い回廊を通って本堂の方へと向かう。お店がいっぱいあり、とても賑やかな雰囲気が漂う。団体の観光客も多くいる様子。僕はガイドの説明の脇で少し聞いたりしていた。
せっかくの観光名所のようなので、少し見てまわろうという気になる。入場料を払い、マントラと呼ばれる胎内洞窟に入ってみた。とても狭い洞窟でやや身体を屈んだりもした。中は驚くほどの仏像。暗く、長く、僕の他に歩いている誰もいない。正直なところ怖かった。ぜんぶで40分ほどこの石手寺の中にいたのだろうか。楽しい観光を味わった気分でもあった。
道は道後温泉と呼ばれるところを通る。前回の旅の終わりに、ここで温泉に入ったりしているので、少しは道に慣れている感じもあった。同じ宿に泊まっていたおじいさんに出会う。年齢が高いだけあって、歩き方はとてもゆっくりと大変そうだった。
道後温泉本館の前を通り、商店街のお土産やさんの集まったところを通る。ここでお土産を買うことにした。四国に来たときには、職場にくだものを送ることにしていた。みかんなど、ダンボールの箱を送るのが一番喜ばれるようだった。できれば、直売所みたいなところから買って送りたかった。その方が確実に安いからだ。お土産やさんではなぜか値段が高くなってしまう。しかし、これまでそうした直売所はなかった。この先もあるかどうかはわからない。悩んでいるよりも、早く送って楽になりたかった。そうすれば、仕事のことはより忘れることができる。このことだけが、ちょっとひっかかっていたのだった。
みかんの木というところで、宮内伊予柑とデコポンの2箱を送る手続きをする。送料がどうしても高くなってしまうのだが、合計で11940円だった。大きな出費ではあるが、長く休みを取り、またこの後も四国に来ることを考えるならば、このくらいは仕方がない。今回もかなり美味しいと評判だった。
別の店でもうひとつ買いものをする。この日のような天気であれば問題はないのだが、このあとまた山登りもある。トレーナーを買うことにする。お土産やさんなわけで、あまり選択の余地はなく、胸にぼっちゃん電車のプリントされたものを買う。
道は松山市内を横断するような形になる。しかし、よくわからなかった。地図を見て、自分がどの場所にいるのか確認したいのだが、人に聞いても、持っていたガイドブックの地図を見て「これだとわからないよね」という答えばかりが返ってきた。遍路姿で自転車に乗っている人がいて、その人にも聞いてみた。ベテランの遍路の人のようで、僕の抱えている問題をよくわかってくれているみたいで、かなり丁寧に道を教えてくれた。それでも複雑すぎる道はよくわからなかったが。 たぶん、最短のコースより、2、3キロは多く歩いてしまったのかもしれない。何とか遍路マークのあるところまでは来た。それでも田畑を通る道が長く続き、ほんとうに着くのか不安になりながら歩く。かなり近いところまで来たみたいなのだが、案内が無いので右へ行ったらいいのか左へ行ったらいいのかよくわからない。ほんとうにやっとのことで、第52番太山寺を見つけることができた。12時半頃だった。山門までの静かな道がとても風情があっていい雰囲気だ。この日参拝した石手寺の賑やかさは全くない。田んぼの向こうにある静かなお寺だった。
ここから次の第53番円明寺へは車道をほぼ2.3キロ歩いたところ。昼食を取る店がないかと、とぼとぼと歩く。少ししたところで、道後温泉のところで会ったおじいさんとすれ違う。やはり道がわからなくて、円明寺の方から来ることになったのだと言う。ほんとうに歩き方はゆっくりで大変そうな雰囲気だった。たぶん、街中のこうした車の脇を通るコンクリートの道が気持の点でも足への負担という点でも一番こたえるはずだ。
40分ほど歩いて円明寺へ着く。1時半を過ぎてしまった。途中で飲食店がないわけではなかったが、このときはうどんを食べたい気持で、もう少しもう少しという気持でここまで来てしまった。食事をするタイミングとしては、できれば参拝を終らせたところでとった方がゆったりとした気持で食べることができる。この日は円明寺が終れば、あとは宿まで歩くだけ。だいたい11キロほどなので、そんなに大変な距離ではない。
円明寺は街中の道路の脇にある、比較的小さなところという印象だった。でも、どこのお寺もそれぞれの景色があり、しばらく佇んでいたい気持になる。入り口のところに猫がいた。大人しく、可愛らしかった。
どちらかというと狭い道から、新しく作られたような広めの道を通り、国道196号へと歩いていく。まわりには、コンビニがあったり日本全国変わることの無い景色となる。途中にあった「手打ちうどんかまはち」という店で昼食とする。腹が減っていたので、かけうどんと天どんのセットメニューを食べる。食べ終ったときには2時半となっていた。
しばらく歩いたところで嬉しい景色が広がってきた。海だ。今回の旅は雨の中で始まった。雪が降ったり天候としてはあまり恵まれなかった。けれど、こうやって青空の下で青い海を見ることができるとは。特に海の脇、ぎりぎりに道路のあるとことは最高の気分だった。歩道があるのだが、その部分の隣はすぐ海。ほんとうにギリギリのところで、数メートル下で水の音がしている。道ややや右方向へと曲がっている。つまり、視界の左半分以上、6割くらいは海が見えるという景色を前に歩いていることになる。
前の方に歩いている人がいる。少しずつ近くなってきた。遍路スタイルではない。リュックを背負っていたのでハイキングといったところだろうか。けっこう年配の夫婦のようだった。僕の方が歩くのは速いので、追い抜くのは時間の問題だったのだが、僕はこの2人の歩いている姿をもう少し見ていたい気持だった。特に会話を交わしている様子はないのだが、この景色の中で気持が通じ合っているように思えた。
そして、空と海と、人間の作った人工的な道路と、老夫婦の歩いている姿が特別な景色のように僕の眼には映っていた。
道路は海からは少し離れてしまう。すぐ近くでときどきは見えるのだが。なんだかもったいないような気持でもあった。小さな街があり、お店もある。あまり変化の無い中を歩いていく。こういう時は、疲れも余計に感じてくる。ちょとした港のようなところで海に近づくときもあった。そこで少し休んだりした。
5時少し前にこの日の宿である太田屋旅館に着く。部屋はツインとなっていて、少し広めのところだった。別の部屋の人も歩き遍路の人で少し挨拶をする。その人を待って次にお風呂に入る。お風呂は2、3人は入れそうなところだったが、泊まっている人も少なく、ひとりひとり入っているようだった。
ここは旅館ではあるが、割烹料理屋でもあるような雰囲気。夕食はお店のテーブルのようなところで取ることとなった。煮魚や刺身が美味しかった。なかなかの料理だったのではないだろうか。席はバラバラだったが、食事をしている泊り客は僕も含めて3人いた。先ほど挨拶をしたHさん、もうひとりは何度か顔を合わせているKさんだった。Kさんは美味しそうに焼酎を飲んでいた。席は離れていたが、食べ終わったところで、軽く3人で話をする。ちょっとしたこれまでの経過について。あと、僕はこの後のコースについて教えてもらったりしていた。
部屋に戻り翌日の宿と、その次の日の宿の予約をする。本を読み、9時に寝る。夜中に2度ほど目を覚ましトイレに行った。旅はなぜか慣れてくると眠りが浅くなってしまうのだろうか。
それにしても、天候だけでなく、景色もがらりと変わるところが、この四国の面白さと言えるのか。これまでの四国では高知県の海の景色が印象に残っている。山を歩いたりということもあったが、海の景色が中心だった。それがこの愛媛県の方では、山もあり海もあり、その景色の変化がとても極端なように思えた。この日の夕方の景色と、前の日の朝の景色とは、信じられないほど違った場所である。昨日という日が一週間くらい前のことのように思えていた。
◎ 第4期 5日目:約31キロ / 2003年3月10日(月) ◆ 第50番 繁多寺
◆ 第51番 石手寺
◆ 第52番 太山寺
◆ 第53番 円明寺
◇ 昼食:「手うちうどんかまはち」かけうどん天丼セット 850 円
◇ 宿泊:太田屋旅館 7350円
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