四国遍路日記 第1期 1日目 2001年10月8日(月)
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どうやら朝になっているのだろうか。カーテンの向こうは少し明るくなっているような。トイレに入る人もいる。ごそごそと音もする。カーテンを開ける人もいる。本州から四国へと海を渡るのである。できれば海を見てみたい。いつの間にか前方運転席の方のカーテンが開かれ、前の景色が見えていた。全てのカーテンが開けられ、気持ちも朝になる。
テレビがつけられた。見慣れない司会者。地元の朝の情報番組。テロップが流れる。アメリカ・イギリスがアフガニスタンに軍事攻撃を開始したというものだ。なんだか凄い日に出発することになったようだ。
海は見ることができた。でも、どこの海なのかもわからない。静かな道路を淡淡とバスは走る。鳴門撫養という高速道路にあるバス停で3分の1くらいの人が降りた。徳島駅まではもう少しだ。
徳島駅前は静かな場所だった。大きな建物はあるけれど、なにしろ朝の7時前である。日本のどこの町でもあまり変わらないのだろう。よくある県庁所在地の駅前の風景だった。
徳島駅で坂東駅までの切符を買う。思ったよりも小さな駅だった。駅ビルとしては大きいのだが、入口など駅本来の機能のあるところはとても小規模。考えてみるとここは四国だ。数年前までは、本州と繋がっていなかった。「線路は続くよどこまでも」といっても続いていなかった場所である。
普通列車は2両編成、乗っている人もほんの数人という状態だった。走り出してからの外の景色がとても面白かった。東京の電車からの景色と違うのは当然なのだが、僕の知っている田舎の方の風景ともまた違っている。近い景色といえば江ノ電のようなものだろうか。高架線のような雰囲気なのだけど、すぐ民家の傍を走っていたりする。のんびりと、走る。時間の流れがちょっと違っているかのように思える。もちろん、寝不足の朝7時、不安がいっぱいでけっこう興奮しているという状態だったからなのかもしれないが。
お寺でのお参りのときのやることを確認する。本堂があって大師堂があって、納経帳というものも何なのかこのときは、全くといっていいほどわかっていなかった。今この文章を書いていて、ほんとうに何も知らずにこの旅をやったものだと改めて関心してしまう。だいたいにして、この寺の呼び名が「りょうぜんじ」ということさえ知らなかったのだ。
30分ほどで最初のお寺のある坂東という駅に着く。それにしてもほんとうに静かな駅だった。列車の車掌さんに切符を渡し、この駅を出た。「第1番札所・霊山寺」という案内が書かれてあった。一応地図を取り出して確認する。駅前のタクシー会社、食堂。地図に載っている坂東駅であることに間違いはない。
小さな、町というような駅前の風景だった。今回の旅の全行程で感じたことでもあるが、こうした風景はうちの田舎の方と似ている、ということだった。家家の並ぶ狭い道も、田畑の景色も、山に登る景色も、僕の実家のある山形とよく似ていたのだ。もちろん、ミカンがあったり気候的に違う木木だったりしているのだが、懐かしいような気持ちでこの四国の道を歩くことになる。
小学生や中学生らしき子供達とすれ違う。体操着を着ている。そうか、よく考えてみるとこの日は10月8日で体育の日であった。運動会があるのかもしれない。
道を右に曲がるといくつかの旅館が見える。その先にお寺のような雰囲気が。あれほど不安だったのに、今も不安であることには変わりはないのだけど、ここまで来てしまった。昨日の夜までは東京で晩御飯を食べていたのに。
霊山寺である。まずは山門の前で一礼する。白衣を着ている人が何人もいたりしている。右手の駐車場には何台かのバスも停まっている。
おそるおそる中の方へと歩いていく。似たような建物が奥の方と右手の方と2つある。このときの僕にはどちらが本堂でどちらが大師堂かわからないのである(笑)。恥ずかしくなるくらいウロウロとした状態で、水屋で口をすすぎ手を洗い、とりあえず奥の方へと歩いていった。
しかし、今から振り返ってもこの日はとても良く晴れた日だった。何気ないお寺なのだけど、その庭がきれいで思い出してもほんわかとした気持ちにさせてくれる。本堂の奥の方には「巡拝用品」という文字がある。とりあえずそこに行くしかない。何人もの人が丁寧にお参りをしている。みんな慣れているように感じられる。中にはひとりふたり立ち止まって、他の人の様子を見ている人もいただろうか。女性が一人いた。ちゃんと白衣を着ている。実はこの女性とは翌日話をすることになり、別れる時には送別会まですることになる。
巡拝用品の売り場では、「はじめてで何もわからないんですが」と言って係のおばあさんに任せることにした。でも、この人の話し方は早口というか何を言っているのかよくわからなかった。ハイハイとただ頷いていた。白衣、金剛杖、菅笠、納経帳、納め札、線香、ロウソクなどを購入。白衣なんかはどれにしまう?と言われて僕が悩んでいると、ハイ、じゃあこれね、と決められてしまった。数珠はもっていないが、買わないことにする。全部で12260円(税込)の値段だった。そして「四国遍路」という小冊子を渡され(これは購入だったのだろうか、よくわからない)作法について説明してもらう。早口でよくわからなかったのだけど、「お線香は3本、ロウソクは1本」と言われたのが印象に残っていて、これはちゃんと守ることにする。
ここで白衣を着て、本堂でお参りをし、大師堂でお参りをした。このあたりは何かを忘れていたのかもしれない。お参りというよりも、他の人の作法などが気になって横目で見ていたという感じだった。
お寺の脇にうどん屋さんがあったのでそこで朝食を取ることにする。「ひやしうどん」を食べる。
さていよいよ。白衣を着て、菅笠を被り、金剛杖をついての歩き遍路の始まりである。でも、どっちに歩いていけばいいのかわからない(笑)。少し前の方に歩き遍路だと思われる人がいる。本堂で見かけた女性だった。同じに行けば間違いはないだろうと歩きはじめる。
まずは一般道である。広い国道を、車の通る横を歩いていく。靴は数日前に買ったばかりのものでやや不安だったのだが、そんなに違和感はない。遍路ツアーだと思われるバスが通り過ぎる。この頃の時間は8時過ぎ、9時かそのくらいだったろうか。いつもはまだ寝ていたりもする時間で、歩いていることが少し不思議だったりもする。でも気持ちのいいことは確かだ。第2番礼所極楽寺までの距離は1.2キロ、疲れることもなく元気にこの行程を歩いた。
この極楽寺は、色使いの派手な、霊山寺とはちょっと趣きの違った寺だった。水屋で口をすすぎ手を洗う。本堂に行き、線香を3本立てロウソクを1本立てる。納め札を納札箱に入れ、お賽銭をあげ、合掌する。大師堂でも同じことを繰り返す。納経所へ行って納経帳に朱印をもらい300円を支払う。四国に来る前はこの一連の巡拝というものが何をやっていいのかわからなかったのだが、この第2番礼所に来てようやく落ちついてこの一連の流れを行うことができた。少しリラックスしてくると、周りの人人の様子も落ち着いて目に入るようになる。そう、良く見ると、本堂、大師堂、納経所のところには一休さんのようなイラスト付きの矢印が書かれてあってわかりやすくなっている。
極楽寺を出てからの道がおもしろかった。歩行だけの遍路道になっている。道というよりも正直なところ、田畑のわき道というか民家の裏道というか、まあちょっと変わったところを歩く。しかし、足にとってはこうした道はとても楽しかった。コンクリートの道を歩くよりも負担は少ないし、なによりも土の感触というのはいいものだ。その後、国道というよりもわりと細い民家のある通りを歩いて行く。車一台が通るような道といったらいいのだろうか。こうした道を歩くことが多かった。白衣を着ていることで少し恥ずかしい気持ちもあったかもしれない。僕なんかが着ていいのだろうか、という気持ちでもある。一応すれ違う人には軽く頭を下げる。2.5キロの道のりを順調に歩き、金泉寺へ到着する。残念ながらこのあたりあまり記憶にはなかったりしている。札所の間隔が近いこともあったらだろう。とにかくここまでは難所もなく、けっこう快適な歩きだったのかもしれない。
次の第4番礼所大日寺まではけっこう遠かった。国道を歩き、それからちょっとした小高い山の遍路道も歩くことになる。こうしたところでは白地に赤で書かれた「へんろ道」という道標がとてもありがたい。道の別れるようなところには必ずといっていいほどあって、迷わないようになっている。
楽しくなって写真を撮ろうと思い、カメラを探した。ない。どうやら無くしてしまったのかもしれない。第1番礼所のところであることは確認しているので、ウェストバックに入れ替えたのか。あちらこちらと何度も探したのだけど、どこかで落としたかしたのだろう。しかし、そんなにがっかりすることはなかった。つまり、カメラがないという状況は、自分の目でしっかりと景色を見なさいということなんだろうな、と変に納得してしまうところがあった。
あとになって、他の歩き遍路の人と話をしたことなのだが、例えば荷物が重くなってしまったら「これも修行なんだ」と割り切ってがんばるという人もいた。何事も修行、つまりは良い方向へ転ずるように考えればカメラを無くしたことくらい別にどうということでもない。でも後でちょっとだけあったほうがよかったかな、とも思うのだが。
この頃になるとさすがに足は疲れてくる。なにせ普段、歩くということはほとんどしていないのである。この遍路のために特別なトレーニングをするということもなかった。大日寺までの4.9キロはけっこう遠かった。それにそろそろお昼の時間である。どこか食事のできるところがあれば入ろうかとも思うのだが、全くそれらしき店はない。
それにしてもこの第4番礼所大日寺は静かな、寂しいところだった。もちろん参拝している人はいるけれど、華やかな雰囲気というのはなかった。もちろん、そうしたものは必要でないと言えばないのだけど。それにしても不思議なものだ。八十八箇所の寺があり、参拝する人は全ての寺を回るはずである。なのに、人の賑わうような雰囲気を持った場所とそうでない場所とがある。訪れている人の数に違いはあるのだろうか。
とにかくお腹が減ってきた。でも食べるところはない。次の地蔵寺までは2キロの距離。そんなに遠くはない。今回の旅では一番スタンダードと言える『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協会編)を持っている。メールフレンドに貰ったものである。この地図にはかなり詳しく、道だけでなく旅館や食堂なども載っている。予想としては食べるところなどはこの地図以外にも数多くあるのではないかと思っていた。しかし、逆にこの地図よりも少なかったというのが感想である。逆に言うならばこの地図はそれだけ小さなところまで詳しく書かれているということになるのだが。
第5番礼所地蔵寺まで来ると参拝の手順はもう慣れたものとなっていた。少しばかり座って休んでいると、見知らぬおじさんに声を掛けられた。いろいろな出会いがあるよ、と言われていた遍路旅であるが、こんなふうに声を掛けられた出会いは初めてだった。この日が初日だったのだが。
なんだか僕を見て心配になったと言っていた。この人は住職さんでもあり車でまわっているとのことだった。納経帳を見せてもらったのだが、朱印で真っ赤になっていた。ありがたいことにこの人は僕に錦のお札をくれると言うのである。知っている人からもらったもので、その人は歩いてまわっているとても素晴らしい人だから、お守りにしなさいと。この錦札というのは100回以上遍路をした人が使うものである。お札というものがつい数時間前までよくわからなかった僕がもらっていいのだろうかと思いつつ、ありがたく受け取ることにした。
実はこの後、このおじさんからいろいろと話を、というかほとんどお説教のような状態になる(笑)。まあ、いろいろと僕のことを褒めてくれたりしてくれたのだけど。家族のことなども言われて、「半分は当たっているでしょう」というのだが確かに半分以上は当たっているのである。そして、僕の短所と言えるようなところにも何度も繰り返しアドバイスをしてくれた。実は実は、その話の大半は恋愛とかまあそういう話だったのだけど。
地蔵寺を少し歩くと大きな国道へと出た。食べる店はありそうである。「水源」という食事処に入る。13時半くらいだったが、この時間でもけっこう混んでいた。遍路の人も何人かいた。「親子丼」を注文する。注文のときお姉さんに(とても感じのいい人だった)に「味噌汁」と「蕎麦の実の入った汁」が付きますが?と聞かれ、後者の方を選択する。どんなものかわからなかったのだけど、地元のものを積極的に食べようと思ったのである。ちなみにこの汁は6日目の宿、龍山荘でも同じようなものが出てきた。蕎麦の実というのはちょっと変わったものだったが、けっこう美味しかった。何よりも普段食べないものを食べるのは四国にいるんだ、という感じがして嬉しいものだった。
「親子丼」も美味しく食べた。でも、ちょっと不思議に思ったのはツユがけっこうびしょびょしょの状態。なんだか雑炊のような気がしないでもない。とにかく美味しく、店員さんもよい感じで、楽しいお昼ご飯だった。
実はここでちょっと悩むことがあった。この日に予約している宿まで地図を見るとあと3キロくらいなのである。四国に来る前の段階で3日目までの宿を予約していた。なぜなら、3日目に大変だと言われている焼山寺への「遍路ころがし」と呼ばれる難所をまず考えたからである。3日目には出きれば第11番の藤井寺からすぐに歩き出せるようにしたほうがよい。その為には2日目の夜の宿はそのすぐそばの「ふじや旅館」がいいと。ふもとにある宿はここしかないので、まずはこの宿を予約してそれから、2日目に歩く距離を考えた。そして決めたのがこの日の「民宿寿食堂」というところだったのである。
初日は慣れないわけであまり歩けないと思っていたので余裕を持ったスケジュールにしようと思ったのである。ところが、このままだと3時前には宿についてしまう。これはいくらなんでも早すぎるだろう。だからといって、うまく時間を潰すようなところもない。翌日のためにも少し歩く練習でもと思い、宿のある場所を越えて第6番礼所安楽寺まで行くことにした。
この頃になってくると歩くのもかなり慣れたものとなってきた。すれ違う人がいると、コンニチハとちゃんと言えるようになる。特に小さな子供などはちゃんと返してくれて嬉しくなってしまう。年配の人にはご苦労様です、と頭を下げられることもあった。
時間の大分あったということに、少し油断があったのかもしれない。道に迷ってしまった。それでも時間はあったので、特に困ったことはなかったのだが、さすがに足は疲れてきた。たぶん、マメもできているようだった。
第6番礼所安楽寺は小さいけれど、明るくキレイなところだった。ここから宿まで戻る。後から考えると、「戻る」という行為は初日だからこそできたのかもしれない。ちょっともったいないというか、この後は戻るということはすることはなかった。疲れてきたというのもあるのだろうか、宿までの道のりはとても長く感じた。
4時ちょっと過ぎにこの日の宿である「民宿寿食堂」に到着。何しろ、宿というところに泊まること自体普段あまりないことで、この時間がどういう時間かさえわからなかった。けっこう早い時間かとは思ったが、後であちこちの宿に着いた時間を考えれば妥当な時間だったのかもしれない。それでもこの宿では僕がこの日の最初の客だったようである。
玄関に着くと、女将さん(夫婦でやっているところだったので、お母さんですね)が金剛杖をくださいと言う。この宿では杖を洗ってくれるのだった。こういうものかと感激してしまう。でも、今回の旅で9軒の宿に泊まったのだが、こうしたことをしてくれる宿はここだけだった。実は後から振り返ると、この「民宿寿食堂」はとてもよい宿だった。ご主人が何度も歩き遍路をしているみたいで、歩き遍路のかゆいところに触れるような雰囲気があったりした。通された部屋は8畳で広くきれいだった。コインランドリーもある。お風呂もすぐに入ってよいとのこと。さっそく今日の疲れを癒す。
一番風呂はとても気持ちがよかった。湯船は6人くらいは同時に入れるくらいの広さだった。洗い場も4人分あり、温泉のよう。ちゃんと男女別になっている。ちょっと熱くて冷ますのに大変だったけど(笑)、いい風呂だった。風呂から上がり、洗濯をし、部屋でくつろぐ。そして、この日からの日課となる足の手入れ。マメに針で穴をあけ、中の膿を出す。終わってから、ノートに今日の日記のようなものを書き綴る。
6時半になり食事の時間となる。食堂へ移動。他の泊まり客も席についている。車でまわっている3人の男性。夫婦。僕と同じテーブルには歩きだという男性が座っていた。全員が遍路の人である。前の日は満室の状態だったらしいのだが、連休も終わりということでこの日は少なかったとのこと。
同じテーブルの男性は仕事を辞め、30日で八十八箇所回るつもりで来たのだという。初日でかなり疲れている様子だった。計画の甘さに気づいたという。宿の主人にも30日という日数では無理だと言われている。今回の旅が最後の旅で、次に来るのは無理だろうと何度も何度も強調していた。この男性はどうして旅をすることになったのか。「呼ばれたから」だという。彼は「自分はどうしても内に篭ってしまって、何でも溜め込んでしまうほうで……」と自分のことを話していた。
僕の後ろ側にいる男性がその話を聞いて、語りかける。「俺もさ、昔はそうだったんだよ。内気で人と話をすることはなかった。息子が死んでからだね。それからだね。どんどん話をするようになったよ」20歳前半でこの人の息子さんは亡くなったのだと言う。
食事は鴨鍋とデザートのフルーツだった。既に鍋でぐつぐつと材料が煮られている。大きな皿に肉と野菜とうどんが乗っている。同じテーブルの男性は小食ということで最初から皿に盛られた食材は食べられないと言う。
正直なところ鴨肉は苦手だったが、お替りもして美味しく残すことなく全部を食べた。ほんとうに美味しかったのだ。疲れて歩いているときには、とにかく宿の夕食のことを考えていたのである。どんなものが出てくるのか。初日から鍋料理というのはとても嬉しかった。ただし、この後の宿で鍋料理の出ることはなかった(笑)。
ここの主人はいつもタバコを吸い、ちょっと怖そうな雰囲気なのだが、歩き遍路について話をするとどんどん話し出した。四国を知り尽くしたベテランという感じである。奥さんは温和でなんだかとてもいい夫婦のように思えた。
食事が終わり部屋に帰っても8時くらいである。こんなに早い時間から、ちゃんと眠ることができるのだろうか。でも考えてみると前日の夜はあまり寝ていないのである。PHSのアラームを6時にセットする。翌日の朝食は6時半とのことだ。道路沿いのこの宿の窓はなんと二重になっている。しっかりとサッシを閉めると外の音は入らない。
9時くらいには布団に入っただろうか。藤沢周平の文庫を読む。短編「贈り物」を読み終えて、眠りについた。
◎ 第1期 1日目:約21.5キロ / 2001年10月8日(月)
◆ 第1番 霊山寺
◆ 第2番 極楽寺
◆ 第3番 金泉寺
◆ 第4番 大日寺
◆ 第5番 地蔵寺
◆ 第6番 安楽寺
◇ 移動:JR四国 徳島−坂東 260円
◇ 買い物:巡拝用品 12260円
◇ 朝食:ひやしうどん 450円
◇ 昼食:水源 親子丼 550円
◇ 宿:民宿寿食堂 7455円
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