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四国遍路日記 第1期 8日目 
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四国遍路日記 第1期 8日目 2001年10月15日(月)


 この日の朝は6時前には起きていた。なにせ、男5人部屋である。5時過ぎくらいからゴソゴソと音がしている。僕も朝方にトイレに起きた。入口のところに寝ている人を踏まないように部屋を出て行くのが一苦労だった。

 6時からは勤行がある。ちゃんと着替えて本堂へ。昨日はこの階段を登るのに足が痛くどうしようもなかったのだが一晩寝たことでかなり回復している。

 本堂の中、畳のところに正座をする。後から来た人も含めて10人もいなかったかもしれない。初めてのことで何をどうやっていいかわからず、隣の人を見て手を合わせ、静かにお経とともにお祈りをしていた。正座の足は厳しいのだけど、たまにはこうした雰囲気もいいものだろうか。

 終わってから足が痺れてしばらくは立ち上がることはできなかった。恥ずかしいと言えば恥ずかしいのだけど、仕方が無い。このお寺からは遠くの方に海が見える。この眺めがとても素晴らしい。特にこの朝のひんやりとした空気の中での景色は特別なものではないかと思う。

 食堂に戻り、昨日と同じメンバーで朝食を取る。Hさんはもう歩くことはない。海外の航空会社に客室乗務員として勤務する彼女に有給休暇というものを聞いてみると、年に45日もあるとのこと。当然のごとく社員は全て消化するそうだ。それでも足りないと言っているらしい。日本の会社にこんな状態が来るのだろうか。45日もあれば八十八箇所は一度にまわれてしまうではないか。

 荷物を整理し、いざ出発。先に出発している人もいる。同じ部屋で同じ食事を取りながら、出かけるときには出かけるというこの距離感が僕にはとても心地よかった。Hさんと写真を撮り、最後の挨拶を行う。

 とても晴れた日で歩いていても気持ちがよかった。昨日と違って足の状態もよい。この日の予定は決めていない。どこまで歩けるのだろうか。23番の最御崎寺へは76キロほどの距離がある。2日で歩ける自信はない。3日で行くには宿がちょうどあるわけでもなく中途半端になってしまう。他のメンバーも行き当たりバッタリで進んでいくようだ。

 11時までにどこまで行けるかで決めようと考えていた。その時間までに約20キロの鯖大師のあたりまで行けるならば一日40キロ、つまりは2日で最御崎寺まで可能かもしれない。どんどん頑張って歩いた、とても調子がよい。

 前日もそうだったのだが、トンネルが怖い。狭い道路、一応歩道というのはあるが狭い。仮に転んだとすると事故に繋がるかもしれない。大きなダンプが走れば風圧が凄く、立ち止まることもあった。

 それにしてもこの辺りは景色が素晴らしかった。川沿いを歩いていたのだが、その川のきれいなこと。水が透き通っている。途中で河原のところまで降りてひと休みをする。このときには、急いでいく必要もないな。ゆっくりと、こんな感じで休み休み、風景を楽しみながら歩くことにしよう、と思っていた。しばらく川の流れを見ていると、Rさん、Fさんが来てひと休み。靴を脱ぎ、水辺に足を入れてバシャバシャさせている。

 僕は再び歩きはじめる。先のことは不安だったが、楽しく歩くことはできたのではないだろうか。脇を通り過ぎた車が少し前で止まっている。通り過ぎようとすると、お接待の人だった。凍らせたペットボトルを受け取る。冷たくありがたい。「この辺の景色は素晴らしいですね」と言うと、「これから先はもっと良いですよ」という答え。その通り、この日の後半は素晴らしい景色と供に歩くことになった。

 昨夜同じ宿のメンバーとは抜きつ抜かれつのような状態。もちろん競争をしているわけではないので、「抜きつ」という意識はまるでなく、挨拶し、がんばっているな、ということを確認するといった感じだ。

 牟岐警察署というところには、お接待場所があった。ちゃんとテントがあって椅子があって机もある。ここで休んでいる人もいたが僕は少し前に休憩していたこともあり通り過ぎる。後からここで休んでいた人の話を聞くと、いつもはこのお接待場所には担当の人がいるのだが、この日はお休みだったそうである。

 この場所のすぐ後には悩みのトンネルが。この国道を歩くときの最大の悩みがこのトンネル歩きだった。悩みというよりも恐怖と言ったほうがいい。道はそんなに広くないところもある。一応歩道のようにはなっているのだけど、そのすぐ脇をビュンビュンと車が通り過ぎていく。大きなダンプなどが走ると怖くてその場で立ち止まっていた。昨日同様にこの日もトンネルが多かった。

 無事トンネルを超えしばらく歩くと、道は海岸へと。

 太平洋は大きくキレイで素晴らしかった。この海を見て坂本龍馬は日本の将来を考えたのだ。海を見ながら歩くとなんだか足もどんどん進んでいく。今日どこまで行くか、歩き始めたときはのんびり行こうという気持ちでいたが、なんとかそれなりのところまで行けるような気にもなってくる。当初の目標では鯖大師というところまで11時までたどり着きたい、そうすれば第24番最御崎寺までこの長い距離を2日で行くことができるかもしれないと考えていた。

 鯖大師に着いたのは11時半頃だっただろうか。やはりというかそんなに速くは歩けない。でもなんとかこの日は歩けそうな気になっていた。この鯖大師の鯖瀬大福といううどん屋さんで、「ざるうどん」を注文する。普段だったら汁物の方が好きなのだけど、この旅の途中では汁物は取らないことにしていた。お腹がいっぱいになってその後体調でも崩したら大変だという気持ちがあったのだと思う。「ざるうどん」はとても美味しかったのだけど、このときの僕には、少しばかり量が足りなかったかった。追加で「おいなりさん」も注文する。食べ終わって地図を見たが、この日どこまで行くかの決心はまだつかなかった。

 ここからは海沿いではなく街中を通る道になる。それにしても疲れてきた。朝は比較的元気に歩けたのに、さすがに20キロほど歩くと足もまいってくる。ヘトヘトになっていたのだろうか、浅川というあたりでカレー屋さんの前を通ったときに声を掛けられた。「お接待します」という声だった。少し前にお昼を取ったところだし、こういうお店でお接待と言われてもちょっと気をつかってしまうところもある。どうしようかな、と思っていると思う一度声を掛けられ、休んでいくことにした。

 この「cafeふくなが」というお店の女将さんはとても思い出に残るような接待をしてくれた。お店の入り口脇にある木のベンチに座ると、近くの車が邪魔だろうとすぐに移動してくれた。手や顔を洗えるように水がすぐ脇にある。「何を飲みますか」と言われ、冷たいお茶といただくことにした。ベンチにはノートが置かれている。ここで休んだ人が、遍路をすることになった気持ちやここでの接待についての感謝を書いている。読んでいるとなんだか勇気がわいてくる。女将さんのお茶は美味しかった。少し話をしたのだが、お接待をやりたくてこの場所にお店を持ったということらしい。その話す表情がとても明るく、元気にさせてくれた。

 その時にトーストを焼いてもらう。休んでいると、後から歩いている人が通ることになる。Fさんが通ったとき僕も声を掛けたのだが、軽く挨拶をして行ってしまった。あとで、この場所について話をしたら残念がって、「やっぱりお接待は素直に受けなければ」と言っていた。YさんとRさんが来る。2人はここで休むことに。  僕は入れ替わりのように、2人にノートを差し出して出発することにした。ほんとうに良い休憩だった。なんだか凄く嬉しい気持ちになり、この日の残りを頑張って歩くことになる。

 歩き、道はまた海岸へと。歩き、ひたすら歩く。途中、Fさんが休んでいるところを先に行ったりもした。2時くらいだったろうか、そろそろ宿の予約を取ろうと公衆電話へ。なかなか電話をする場所もなかったりするので、決めたときにはすぐに電話をしなければならない。地図を見て、残りの距離と時間を確認する。現在の自分の足のペースから見て7時には着けるだろうと判断して、「まるたや旅館」というところに電話を入れる。電話の向こうはおばあさん。ちょっと回線も遠いみたいでなかなか会話がうまく繋がらない。「今どこにいるのか?」という質問に答えると、ちょっとびっくりした様子だった。できるだけ早く宿に入ってください、と言われ予約完了。あとはただひたすら歩くだけである。公衆電話を離れ再び歩き出そうとすると、Fさんも宿の予約を。ここでFさんに呼びとめられる! なんと僕は金剛杖を忘れてしまっていたのであった。今回の旅で3回目になる。教えてもらってほんとうによかった。これだけ疲れているとほんの数十メートルでも戻るのはとても辛い。

 ここから先の歩きがほんとうに辛かった。今回の旅でもベスト3に入る辛さだっただろう。7時までに宿に着くんだ、という目標がなかったら途中で挫折していたかもしれない。あたたかなお風呂。美味しい夕食を夢見ながら、ただただひたすら歩いた。

 追いついてきたFさんも同じ宿だという。途中一緒に歩いていたのだが、僕の方は完全に失速。歩いても歩いても、まだまだ先は長い。途中の海岸はサーフィンをやっていたりする。夏場であれば、かなりの人で賑わっているのかもしれない。

 ゆるやかな山を登り、ゆっくりと下り、ガソリンスタンドがあり小さな町にたどり着いた。この町に今日泊まる宿がある。6時半を少し過ぎたあたり。少し暗くなりかけている頃。国道ではなく小さな道へと入る。明徳寺という表示がある。宿はこの先にあるはず。しかし、簡単に見つかると思った宿が見つからない。おまけに辺りは暗くなってくる。ほんの5分10分の間にすっかり日が沈んでしまったのである。家はいっぱいあるところなのだが、人はいない。シンと静まり返っている。夕方の6時を過ぎたらもう外へ出ている人はいないような。目の前を軽自動車が、近くの家の車庫に車を入れようとしていた。手を上げて道を聞こうとする。ここで道を聞けなかったらどうしようとちょっと不安になっていた。

 ちゃんと車を止めて、降りてからこのおばさんは僕の質問に答えてくれた。でもちょっと困った様子。すぐに行けそうなのだが、説明するには難しいようだった。「じゃあ、車に乗ってください。すぐだから……」ここでハイと返事をして宿まで行けばよかったのだろうか。車で送ってくれるというお接待の提案を、歩き遍路の人間はどうしたらいいのだろうか。ということで僕は、す、すみませんが、とお断りする。どうしても歩きに拘っているもんで、とちょっと間抜けな言い訳にしかなってなかったかもしれない。

 教えてもらった通りに歩いていくと、なんとなく行けそうな雰囲気。井戸端会議をしている人達もいたので、ここでもう一度聞いてみようかと思っていると、うしろからさっきのおばさんが声をかけてきた。心配なので、荷物を置いてから来てくれたのだという。ほんの2、3分、宿まで話をしたのだけど、このおばさんは歩き遍路のことをとても驚いている様子だった。しかも、僕は東京からである。あまりお接待という感覚はなかったのだと思う。ただ、道を聞かれてそれで心配で親切にここまで来てくれた。こうしたささやかな出来事が僕にはほんとうに嬉しいことだった。

「まるたや旅館」は真っ暗だった。古い建物で営業しているかどうなのかわからないような雰囲気。ちなみに近くにもう一軒、地図上では旅館があるのだが、そこはもう閉めているとのことだった。

 玄関を開け、声を掛けると賑やかな会話がする。どうやら食堂の方で泊り客が食事をしているようだった。時間はちょうど7時。ちょっと腰の曲がったおばあさんが玄関に出てくる。声は電話と同じだった。しかし、ここで「連絡してもらってましかた?」と言われてしまう。えええっ、ここで断られたら僕はどうしたらいいのだろう、とちょっと途方に暮れる。

 でもまあ、おばあさんは首をかしげながらも僕を部屋に案内してくれる。旅館というよりも、昔の民家という感じだ。中庭があるので、昼間ならば光があたりとてもよい趣きがあるのかもしれない。通された部屋は、普通の旅館のようにはっきりと区切られた個室というものではなかった。奥の部屋への襖が開いていたが、人形が置いてあったり、すぐ脇の廊下には本棚がありぎっしりと本がつまっていたり、まったくの普通の家の普通の部屋だった。服を着替え、ちょっとの間、横になる。とにかく、長い道程を歩いたのだ。生まれて初めての40キロを越える距離を歩いたのだ。

 ちょっと待ったところでお風呂に入る。先にFさんがお風呂に入っていたところだった。ひとりしか入れないような小さなお風呂だった(湯船がもうひとつあったがこの日は使われていなかった)が、僕はゆっくりと汗を流した。

 食事はちゃんと出るのだろうかという不安はあったが、風呂あがりにちゃんと用意してもらっていた。Fさんはほとんど食べ終わり、残りのビールを飲んでいるところだった。食事には煮魚があった。考えてみるとこれまでこうした魚料理が出たことはなかったような。美味しかった。だいぶ昔の頃になるけれど、実家でおばあさんのつくってくれた料理を食べたときのような懐かしさを感じた。

 Fさんは自宅に電話をするために、外にちょっと出るという。僕もジュースを飲みたくなり、夜風にあたることにする。音のないといっていいほどの静かな町だ。街燈というものもほんの少ししかない。自分がどこにいるのかわからなくなるような暗さだった。その中で自動販売機で缶コーラを買う。甘く冷たいものを身体に入れたかった。ガッシャという音が町中に響き渡るようだった。


◎ 第1期 8日目:約44.1キロ / 2001年10月15日(月)
◇ 昼食: 鯖瀬大福 ざるうどん・おいなりさん 600円
◇ 宿:まるたや旅館





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