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四国遍路日記 第1期 2日目 2001年10月9日(火)


 一回は夜中に起きたのだろうか。でもけっこうちゃんと眠ることができた。良く寝て、良く食べる。これが今回の旅では何よりも大切なことなのだろう。

 顔を洗い、6時半になり、食堂へ降りていく。他の人はまだ来ていなかった。女将さんが他の客を呼びにいく。テーブルの上には、食事の他に、この宿のマッチと5円玉が置かれていた。

 生卵、鰯の佃煮、筍の煮物、何かの和え物、漬物、梅干し、のり、ご飯、味噌汁という朝ご飯。もちろん僕は元気におかわりをし、全てを食べる。昨日の夕食と同じ席だったのだが、僕の後ろの席の3人組は、アレルギーなどの理由で生卵を焼いてもらっていた。朝食の生卵はこの先の遍路で、やや悩みとなる。生卵は好きではあるが、お腹の調子に響いたりする。それにしても、この宿はこうしたリクエストにも快く応えてくれて、とても感じがよかった。

 テレビのニュースを見ながらの食事だったのだけど、同じテーブルの男性はニューヨークのテロ事件で、友人2人が亡くなったということだった。食事が終わったら、足を揉んであげるから部屋においでよ、と言われる。すぐに出発したかったのだが、断るのもなんだか悪いし、終わってから行くことにする。

 朝食の終わったところで会計を済ませる。その後、隣の部屋で横になり、足を踏んでもらったり凝っているところをほぐしてもらう、こうしたことにはかなり詳しい様子だった。ちょっと話をして、お互いに頑張りましょう、と言い合い、部屋を後に。

 玄関で3人組の男性と一緒になった。ひとりは、かなりの数の小銭を入れた布袋を持っていた。この遍路のために溜めたものだという。いよいよ出発である。ご主人が外で送ってくれる。僕はほとんど話をすることはなかったのだけど、12番は上で何もないから宿でオニギリをつくってもらうように言うんだよ、と声を掛けられる。

 前日戻ってきた道を逆に歩き出す。なんだか新鮮でないけれど、仕方がない。第6番に行く小道を通り過ぎ、第7番の十楽寺を目指す。地図では近そうだったのに、なんだか時間がかかってしまったようだった。まだ朝が早かったからなのか、この十楽寺では人は少なかった。たまたま団体さんがいて、納経帳に書いてもらうときにはけっこう待たされてしまった。納経帳というのは、その寺を回ったという印と考えればいいのだろうか。ある意味でスタンプラリーのようなものでもある。だいたいどこの寺も1人か2人、その場に係の人が座っている。納経帳を差し出すと、その寺の頁に筆で文字を書いてくれる。そして朱印を押してくれる。このときに書いているのを見るのが僕は好きだった。すらすらすらと、その人その人によってリズムは書き方が違っている。力強い人もいたし、とても繊細な人もいた。

 宿を出てから第8番礼所熊谷寺までの道のりが実はかなりきつかった。ずっと幹線道路。車がどんどん通っている。広い道で広い歩道もあるのだけど、アスファルトの道を歩くのはけっこう辛い。また、こうした道には「へんろ道」の道標もほとんどなかったりしている。車の標示と同じに、「熊谷寺○○キロ」という案内を見て歩くことになる。まだまだ午前中だというのに、かなり疲れて熊谷寺へと着いた。ここは納経所、本堂、大師堂とがかなり離れた場所にある。長い石段を登っていくのである。こんなところで弱音を吐いてはいけないのだが、けっこう参った。登って行こうとすると、第1番霊山寺で見かけた女性が下りてくる。軽く挨拶をする。

 特に一番上にある大師堂は静かな雰囲気だった。しばらくここでのんびりとしていたいような。でもこの日はそれなりの距離を歩かなければならない。

 次の第9番礼所法輪寺へは、2.4キロの道のり。ここからはこれまでの幹線道路ではなく、わりと普通の一般道になる。逆に言うとそれだけ道がわかりにくいところがあったりもする。前の方にはさっきの歩き遍路の女性の姿が見える。途中で道を聞いていた。僕もそのまま、あとをついて行く。追いついたところで、お互いに話をしていく。彼女も第1番から一緒だったことを気づいているようだった。

 どこから来たとか、世間話をしながら、田んぼ道を歩いていく。彼女はHさんというカナダに住む日本人で、この遍路のために休みをとって四国まで来たということだった。テレビで歩き遍路を見て、どうしてもどうしても自分もやってみたかったのだと言う。東京から四国まで来たというのは全くもって遠いうちに入らなくなってしまった。

 途中道がわからなくなって、どちらに行こうかなどど悩みながらもなんとか法輪寺へと辿り着く。Hさんとはここでお札の交換をした。名刺交換のように、この遍路ではお札の交換をするのである。

 僕の方がHさんより一足先に出発する。この遍路のよさは、基本は1人なのである。一緒に歩くこともあり、また1人になることもある。そしてまたどこかで出会う。この出会いがまたいい。

 静かな一般道を歩いていく。たまに車は通るのだが、そんなにスピードを出して走っているわけではない。周りの景色はほとんどうちの実家と同じような雰囲気である。途中、道路から脇の田んぼのところに降りて、座って少し休んだりもした。空を見上げたり、気持ちがいい。足はけっこう疲れてきていて、座ったり立ったりするのはけっこう辛くなってきた。

 第10番礼所切幡寺へは最初小さな道を通る。お土産屋さんがあったりして、すぐに着くのかと思ったら、とっても大変だった。ちょっとした山にこの切幡寺はあった。坂道を登り、その後には333段の階段がある。車で来ている人も本堂まで行くことはできず、途中からは歩きになる。お年寄りとか、かなり大変みたいだった。

 途中で出店のような形で、参拝用品などを売っているお店があった。お茶をどうぞとお接待してもらう。お接待というのは聞いてはいたが、こんな感じでお茶をご馳走になるのは初めて。疲れていただけに、とても嬉しい。東京から来たのだとう言うと、その人の娘も東京で暮らしているとのこと。僕は普段こんなふうに初めての人と話をしない人間なのだが、この四国では口もなんだか滑らかになっているようだ。

 やっとのことで切幡寺へ。ほんとうに、やっとのことだった。歩き遍路というのは大変なんだと実感してしまう。自動販売機で爽健美茶の500mlを買いぐいぐいと飲む。本当は少しずつ飲まなければ身体によくないのだそうだが、飲みたいときもあるのだった。

 この旅ではこの爽健美茶にとても世話になった。いろいろ試してみたが、他は甘かったり咽喉にひっかかったり。また自動販売機なら一番多く置いてあったということで、この爽健美茶が一番だった。500mlのペットボトルを切らさないようにし、残りが少ないときには新しいのを買うことにしていた。この日の道のりはまだ先が長い、次の第11番礼所藤井寺までは9.8キロもある。出発しようとしたところで、Hさんが到着。彼女との再会はこの数日後、5日目での第18番礼所恩山寺になる。

 歩き始めてからどこかお昼ご飯を食べるところはないだろうかとキョロキョロしていた。でも、なかなかないのである。地図ではしばらく歩いたところにうどん屋さんがあるようだ。次の目標はこのうどん屋さんである。常に目標を持っていなければ歩けないのかもしれない。その目標は宿での夕食だったりとかだいたい食べることだったりするが。

「うどん亭八幡」という店は、隣が旅館になっていて外から見た感じではけっこう大きなお店だった。店内に入り席に着くと、男性の店員さんが歩きでまわっているのですか、と優しい声を掛けてくれる。大変ですね、と言われるだけで実はけっこう嬉しい気持ちになったりしている。今にもぐったりと倒れたいような気持ちなのだが、少しはシャキっとしなくては、と引き締まったりもする。

「牛丼セット」を頼む。うどんを食べたかったのだが、うどんだけではちょっと物足りないような。でもご飯ものも食べたいなぁという気持ちだった。なかなか美味しいうどんと牛丼だった。それにしても、前日の親子丼と同様、かなりのツユダクの牛丼だった。四国はツユダクが好きなのだろうか。

 1時頃にこの店を出る。それにしても、今思い出してもこの日は辛かった。でも他のどの日も辛かったのだが。とにかく、思い出した日それぞれに大変さがあった。この日の最後の藤井寺まではなかなか辿り着かなかった。

 前の方に2人で歩いている人を見かける。ちょうと川のところで追いついたのだが、少し話をすることになる。2人は夫婦でこの日の宿が同じで後からもいろいろと話をすることになる。Mさんという方で、もう仕事も定年退職したような雰囲気だった。最後まで行くのですか?と聞くと、「一応はそのつもりだけどね」と笑って答える。途中で嫌になったら止めるかもしれないとのこと。あまり無理をすることなく、自然な気持ちにまかせてということらしい。こういう遍路もあるのかと、とても嬉しい気持ちになる。

 潜水橋という形式の橋を渡る。橋脚の低いシンプルな橋である。車は一台が通れる広さで途中いくつかのすれ違いのスペースがある。歩道や手すりとははないのでちょっと怖くはあったのだけど、下を見下ろすととてもきれいな川で、魚の泳いでいるのが見えたりもする。自然がいっぱいで周りの景色もとてもよかったりしている。橋を超えると、途中ずっと田んぼの中の道路を歩く。ほんとうに広いところだ。その後また橋があり、町中への道へと行く。

 実はこの橋のあたりから雨になってきた。菅笠を被っているので頭の方は濡れることはないのだが、身体はどうしても濡れてしまう。ポンチョ型のビニールカッパを持ってきているので、それを頭から被る。しかし、菅笠があるので一旦菅笠を脱いで、カッパを被り、また菅笠を被り、と雨の状態に合わせ何度かこの行程を繰り返すことになる。やはりカッパは暑いので、できればなしの状態で歩きたい。

 道はだんだんと細い道へと変わる。雨はだんだん強くなってきた。遍路シールを確認しながら歩くのだが、なかなか藤井寺には着かない。なんだかとても遠く感じられた。民家の裏にあるような小さな道を歩いてようやく第11番礼所藤井寺に着いた。雨の中の参拝はけっこう大変だった。お線香やローソクを取り出し、火をつけるのもひと苦労だったりする。

 宿のふじや旅館はすぐ隣といっていいほどのところにある。旅館という名前だけど、大きな看板があるわけでもなく、普通の、ちょっと大きめの家だった。

 濡れているので、できれば早くお風呂に入ってゆっくりしたかった。名前を名乗るとすぐにわかってくれた様子。「金剛杖は外のホースのところで洗ってください」と言われる。その時になって、この金剛杖を忘れたことに気がつく。藤井寺で納経帳を出したときに置きっぱなしにしたのだった。雨の中を納経所のところまで戻り、金剛杖も持ってまた宿へ。洗って、やっとのこと部屋で横になる。ほんとうに、ほんとうに疲れた。こんなに「疲れた」を連発すると自分でも情けなくなるのだが、本当に疲れたのであった。用意されているお茶を飲む。美味しい。お風呂のことを聞いてみると、もう少し待ってくださいという答え。まあ、仕方がない。

 例えば東京のレストランなどについて、どこの店が良いか悪いかというようなことの書かれた雑誌などがよくあったりする。ホテルでも、設備やサービスについて、いろいろと書かれたものもある。僕もこの歩き遍路をする前には、四国のこういう情報がないものかと思っていた。宿だったら、どこの宿のサービスが行き届いていて、などといった感じで。このような日記のようなものを書くことで、その情報が共有できれば便利かもしれないな、などという考えも持っていた。

 しかし、自分の考えがいかに浅はかだったのかが、この2日目で知ることとなった。このようなことを書くと、この宿にはとても失礼なことになるかもしれないが、ここは隣の部屋との仕切りが襖一枚で声が筒抜けだったりしていた。しかし、この宿だけでなく、この遍路の宿はどこも一生懸命やっているのである。ここはおばさんが一人でやっているような感じだった。あとパートの人もいたが、基本的にどの宿も若い人が切り盛りしているところというのはほとんどないように思えた。この藤井寺の近くには以前は他にも旅館があったとのことだが今はここ1軒になってしまっている。朝早く起きて食事の仕度をして、かなり大変なことなのだろう。続けていく、ただそれだけで精一杯でやっているように思えた。遍路を歩く者にとっては、こうした宿は無くなられては困るのである。地図には載っているがもう止めてしまったという宿もいくつかあった。例えば、何年か後に僕は2回目の遍路を始めるかもしれない。その時も、続いていて欲しい。もちろん、いろいろな事情があってやもなくというケースもあるかもしれないが。

 お風呂が沸いたということで、入りに行く。そんなに広くはないけれど、湯船は3人ほどが同時に入るくらいの大きさだった。僕はお風呂が好きなので、けっこう長く入っていた。

 夕飯は座敷である。浴衣を着て、座敷に15、6人くらいいただろうか。席はここに座ってくださいと指示された。だいたい歩き遍路の人で固めてくれているみたいだった。僕の隣の席に座ったのはTさんというもう既に定年退職した人だった。一人で歩いている。八十八箇所の目標は年内とのこと。途中休み休みゆっくり行くよ、ということだった。このTさんは、元元は遍路に興味のある人ではなかったとのこと。来る前に般若心経を練習したと言っていた。定年退職した後、自分の会社を作り仕事をしていたが、奥さんが病気になり2年ほどその奥さんの看病をしていたとのこと。その奥さんが亡くなってしまった。奥さんが遍路を夢みていた、一緒に遍路を歩こうと話をしていたのだと言う。Tさんは一人ではあるけれど、奥さんと一緒に歩いているのである。正面の席には、途中で一緒になったMさん夫婦が座る。

 僕の39歳という年齢はここでは圧倒的に若い方になってしまう。どうして遍路に来たのかと聞かれてもうまく答えられない。そんなに大した理由があるわけでもなかったのだ。僕はある意味での目的を持った旅行なんだ、というような話をしたと思う。今思い出しても何も伝わっていなかっただろう。例えば、沢木耕太郎の深夜特急の旅のようなものではないかと思っている。今という現状に満足しているわけではない。何か、と決めるのは難しいけれど、この旅を通して何かを得られるのではないかと。

 食事は、お刺身に天麩羅にというよくあるメニューだった。とても美味しかった。他のテーブルの人が食べ終わり部屋に戻っても、この4人でいろいろと話をしていた。

 Mさんの話で印象深いものがあった。Mさんはこの四国で育ったとのこと。学校の先生が昔からの四国の教育について話をしてくれたのだという。昔この四国での子供の教育はお遍路さんをお接待することがとても重要なことだったらしい。昔は今のように旅館があったわけでもない。お遍路さんは一般の民家に泊まるなどして長い道のりを歩いていた。その時にその家でも子供がお遍路さんにお接待をしてくれていたのだという。お接待をし、遍路というものを身近に感じて育つならば、人の気持ちを考えられる素晴らしい人として育って行くのかもしれない。

 子供の話はこの後、他の歩き遍路の人との会話でも出てきた。元気に声を掛けてくれる子供はとても多かったのである。その声に大きく励まされた。

 話題は天気のことへと変わる。この時間も外はだんだんと雨足が強くなってきている。翌日のコース、藤井寺から第12番・焼山寺までは「遍路ころがし」と呼ばれる登りの難所である。距離としては約13キロなのだが、健脚で4〜5時間、並足で6時間、ゆる足で8時間と地図には書かれている。雨の中歩くならば、もっと時間が掛かるだろう。それよりも道のないようなところである。雨が降って歩けるのだろうかという不安もある。  今晩降るだけ降ってもらって、明日止んでくれればいいだろうという希望を胸に抱き眠りにつく。


◎ 第1期 2日目:約22.7キロ / 2001年10月9日(火)
◆ 第7番 十楽寺
◆ 第8番 熊谷寺
◆ 第9番 法輪寺
◆ 第10 番切幡寺
◆ 第11 番藤井寺
◇ 昼食:うどん亭八幡 牛丼セット 976円
◇ 宿:ふじや旅館 6600円(お弁当付きで)





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