四国遍路日記 第1期 3日目 2001年10月10日(水)
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夜中に何度か起きた。凄い雨のようだった。6時に朝食ということで5時半くらいに起きる。朝食は、生卵、納豆、のり、漬物、梅干し、ご飯に味噌汁というもの。僕はこの日は生卵は食べずに納豆と梅干しで2膳のご飯を食べる。
雨は少し小雨になってきただろうか。6時40分くらいにM夫妻は出発した。Tさんはテレビを見ていて7時のニュースでの天気予報を見てから出かけると言っていた。
僕もここで出発する。宿のおばさんは笑顔だった。ビニールカッパは着ないで行く、なんとか大丈夫そうだ。藤井寺から入る、完全な山道である。道というより、前夜の雨でほとんど川となっている。道の真ん中に川が流れ、その両脇に足を置き、かろうじて登っていく。途中は木の倒れていることろもある。前夜の雨風なのかはわからないが、いくつかこうした場所があり、身体を曲げてくぐったりして通り過ぎる。わりとすぐにM夫妻に追いついた。しかし、その後にTさんに追いつかれてしまう。この4人の中ではTさんが一番の年長者になるのだが、最も元気で歩くのが速かった。一番遅かったのが僕になるのだが……。
別に競争しているわけではない。1時間に一箇所くらいになるのだろうか、休憩所のようなところがあり、そこで休んでいると後からの人が追いついてだいたい4人が一緒になる。ただ、この状態はこの日の前半だけだったのだが。
柳水庵という泊まることもできるという休憩所のようなところまで来る。ここで嬉しかったのは飲み物のあることだった。この遍路ころがしは途中に何もないという話だったが、ここには冷蔵庫があり、お金を自分で箱の中に入れて、飲むことができるようになっている。なんと、ビールもあるのである。ビールを飲みたい。ここで飲んだら最高に美味しいだろう。でも我慢してスポーツドリンクにする。これはこれで美味しかったけど。
この時にはまだ遍路ころがしというところを甘く考えていた。そろそろ距離的には半分ほどのところなのだが。本当に大変なのは、これから先だった。
登りは次第に急になっていく。もう雨はすっかり晴れて心配はないようだ。階段の登りが特にきつかったりする。腿をあげなかればならない。ハアハアと心臓の鼓動が激しくなってくる。大丈夫かと不安になってくる。そしてやっと一本杉庵にたどり着く。Tさんがここで待っていてくれた。とても元気である。それでも大変だと言っていたが。写真を撮ってもらったりしてしばらく休憩。残りはあと4.1キロ。あとひと踏ん張りか。
しかし、これからだった。途中で民家のあるところに出る。空も明るく遠くの方まで見渡せる。川の脇を通ったりもするが、流れに勢いがあり、それはそれできれいである。この辺で実は一度道を間違えた。でも、庭先で仕事をしていたおばあさんに「そっちじゃないよ」と声を掛けられる。すぐに遍路道に戻ることができたが、ほんとうに助かった。しかし、ここからの登りが急になった。ひどいところは5分登って5分休んでという感じだった。あるときには、10分か20分、横になって休んだこともあった。のんびりしながら登るのもいいもんだと自分に言い聞かせても、あきらかに体力のなさが響いている。お腹は減ってきたが、焼山寺に着いたところで食べたい。しかし、後から聞くと他の人達はその前にみんなお昼をとっていた。
最後の方ではM夫妻にも抜かれてしまった。かなりふらふらになって、なんとか焼山寺へと続く道路のところまで。でもそこからまた長い階段がある。やや不安はあったが、それはなくなんとか到達することができた。
そこは、少しばかり趣のある場所だった。別の世界にいるような。空中の寺といったら大げさかもしれないが、雲の上にあるような雰囲気だった。
Tさんは笑って迎えてくれた。少し休んでからお参りを済ませる。その後で食べたおにぎりの美味しいこと。ここは景色もよい。人も少ない。静かでよいところだった。
でも、何も食べるものはないよ、と言われていたのに売店はあり自動販売機もちゃんとあった。そういう意味ではけっこうちゃんと色々なものが揃っているところだった。30分くらいはここで休んでいたのだろうか。他の人はもう出発してしまった。まだ雨で地面が濡れているために、実はこれからの下りが大変そう。この日の宿はこれから10キロほど先にある寄井という町にある。
宿の予約はこの日までしかしていない。ここの公衆電話からその次の第4日目の宿へ予約の電話を入れた。
ここでずっと休めればいいのだろうがそういうわけにはいかない。出発することにする。登りと比べて、下りは道がわかりにくい。ところどころに道標はあるにはあるが、かなり注意が必要だ。ぬかるんだ地面。転びそうになる。アスファルトの道路のところでは体重が足の前の方に掛かるために、マメのできているあたりが痛い。それになによりも滑りやすい。雨で濡れている上にたくさんの葉っぱなどがあるからだ。2、3度は転んでしまったはずである。ジーンズは泥んこになってしまっている。林の中を掻き分け、次第に暗くなりかけている中をただひたすら歩く。まだ時間はあるが、このまま陽が暮れてしまったらどうしよう、という不安があったりする。
ようやくこの山を降りたときには、ほんとうにほっとした気持ちだった。小さな町があり、Tさん、M夫妻はこの町にある旅館に泊まるようだった。この先、川沿いをずっと歩いていく。バス通りでもあるので不安はないはずなのだが、歩いても歩いても寄井の町に着く気配はない。かなり遠かった。町の見えてきたときはもの凄く嬉しかった。なんだか、毎日こういう気持ちの繰り返しのようだ。
ただ、安心したのか、宿はすぐには見つからなかった。ちょっと道を戻ったりしてようやくこの日の宿である「桜屋旅館」へ到着。
金剛杖は玄関のところに置く。その宿その宿によりこうしたことは様様だった。この旅館はとてもきれいだった。新しさもある。旅館と一緒に割烹料理もやっているようだった。まずはお風呂に入る。一人分の小さなお風呂だったが、ゆっくりと汗を流す。一日中汗を流しっぱなしだったことを振り返る。過ぎたこととは言え、よく乗り越えたと思う。風呂から上がり、洗濯機を借りる。宿によって、洗濯機・乾燥機の揃っているところと、そうでないところがあるが、ここはその中間くらいだろうか。コインランドリーではなく、外の駐車場のところに普通の全自動洗濯機が一台置いてある。女将さんに洗濯させて欲しいのですが、といったら快く貸してくれて洗剤もどうぞどうぞと入れてくれた。特にこの日は転んだりして着るものが泥んこ状態だったので、この洗濯機はとても助かった。それから、薬屋さんの場所を聞き、足にテーピングするテープを買いに。ついでにスーパーにより、アイスクリームを買って食べた。コロンコロンと旅館のゲタスリッパで歩きながら食べるアイスクリームは冷たくて甘くてとても美味しかった。この旅では何でも美味しく食べられる。
旅館に戻るが洗濯はもう少し時間がかかるようだ。夕飯の準備がちゃくちゃくと進んでいるようで、よい香りがしている。どうやら炊き込みご飯のようだ。洗濯物を取り出し部屋に干して、夕飯を食べに1階奥の部屋へ。
この日泊まっていた客は少なかった。ぜんぶで6人くらいだったのではないだろうか。みんな遍路の人で、僕を含めて内3人が歩き遍路だった。全員が揃って食べるという雰囲気ではなく、来た人から空いている席に座り、食べていく。遅れてきた人は、やっと宿に着いたような雰囲気だった。
ひとりひとつのお釜の炊き込みご飯である。刺身に天麩羅、茶碗蒸もあっただろうか。今回の旅ではかなり美味しいほうの料理だった。この旅館はお値段がちょっと高めだったのだが、この料理では納得するしかないだろう。
遅れて食事になった歩き遍路の人と話をする。ひとりは昭和3年生まれという函館から来た人だった。なんとこの人は僕が3日で来た行程を2日でここまで来ていた。地元の歩く会に所属していて、毎日健康の為に歩くことをやっているのだという。「実は」ということで話をしてくれたのだけど、数年前に癌で胃を切除しているとのこと。それから歩くことを始めて、今回の旅はその集大成のようなものだと言っていた。30何日かで八十八箇所を回ることを目標にしているのだという。
もうひとりは、後で2回ほど同じ宿になるKさん。多分僕より年下だったのではないだろうか。この時はほとんど話をすることはなかった。翌日宿の女将さんに聞いたところによると、焼山寺からこの宿までタクシーで来たとのこと、翌日の朝タクシーを呼んでまた戻ってそこから再スタートしたらしかった。
疲れてはいたが、お風呂に入ったり美味しい夕食を食べたりして、大分疲れは取れたようだった。部屋ではこれから先、どのように進んだらいいのか地図と睨めっこする。正直なところ自分が一日にどのくらい歩けるのかまだわからないでいるのだ。翌日予約している宿はここから23キロくらい。もっと進もうとすると中途半端でどこに泊まったらいいのかわからなくなってくる。この歩き遍路という旅はある意味でゲームの要素もあるのではないだろうか。ちょうど歩ききったところに宿があるわけではない。宿がないために足止めをくうということもある。いかに速く先へ進むかは、早めにちょうどよい宿を予約することでもあるのかな、と思い始める。
◎ 第1期 3日目:約19キロ / 2001年10月10日(水)
◆ 第12番 焼山寺
◇ 昼食:ふじや旅館で作ってもらったオニギリ
◇ 宿:桜屋旅館 7500円
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