四国遍路日記 第1期 4日目 2001年10月11日(木)
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4時か5時くらいには目が覚めたのだろうか。この旅のあいだ、眠ってから朝まで一度も起きることなく寝ていたことはなかったかもしれない。いくら疲れているとは言え、9時頃には寝てしまうのである。そんなに長く眠れるわけはないのだろう。トイレに行くときに、向いの部屋からはゴソゴソという音が聞こえる。昭和3年生まれの人の部屋だ。あとから女将さんに聞いたら、かなり早い時間に出発したということ。
6時半に朝ご飯を食べ、部屋に戻るときに会計を済ませる。出発の準備をして、7時には宿を出る。この朝の短い時間でのやることには、ようやく慣れてきたのかもしれない。
玄関では宿の女将さんが見送ってくれた。この宿の玄関はけっこう広い。もちろん、ホテルという名前から想像したものからは狭いのだけど、今回の旅で泊まったこうした宿の中では一番広く、きれいだった。女将さんの声もやさしかった。
朝の小さな街を歩くのはとても気持ちがいい。空気が新鮮とでも言ったらよいのか。家の前で掃除をしたり、仕事の準備をする人もいる。歩いていくにつれて、通学の学生さんたちにも出会う。コンニチハ、と声を掛けてもらうことが何よりも嬉しい。こちらからも自然に声を掛けるようになってきた。
神山温泉という街を通る。ここにもいくつかの宿がある。歩き遍路でこの街に泊まっている人もいるだろう。しかし、焼山寺に登った昨日にここまで下りてくるというのはかなり辛いかもしれない。
12番焼山寺から13番大日寺までの道は2つのルートがある。後から聞いたら北の方になる石井神山線という道を歩く人の方が多かった。泊まった宿によってコースに違いがでるのだろうが。地図を見ると川沿いでいい風景なのかもしれない。僕が歩いたのは、南の方、鬼籠野国府線という道。山の中の道路である。一応ちゃんとした国道なのだが、通る車は少なかった。山があり畑があり、ところ所に民家がある。静かで、この道を歩くのはとても楽しかった。足は疲れてはいるけれど、昨日の山登りに比べるならば随分と楽だった。
歩いていて何がよかったかというならば、晴れていたことだった。昨日の雨のため、道路のところどころが川になっていたりもする。でも、その水が陽の光に照らされて光っていたりもする。こういう道を歩いていくと、元気になる。通る車も少なく、のんびりとした気持ちになれる。4日目でようやくこうした風景に出会ったような気もする。考えてみるとこれまでは市街地と山か、そのどちらかだったようだ。
とはいえ、朝の7時から歩き通し。歩けど歩けど、景色は変わらない。大日寺には着きそうもない。腹が減ってきた。
ようやく、家が立ち並び、街という雰囲気になってきた。車の量も多くなる。大日寺は近い。大きな交差点にきて、どう行けばいいのか地図を見ていたときだった。突然電話が鳴った。電話のスイッチをオンにする。それは図書館からのものだった。予約している本が入ったとのこと。わかりました、と言い電話を切る。
ちょっとびっくりした。電話というのは僕のPHSのことである。僕はこの四国に普段使っているこのPHSを持ってきていた。東京では、携帯もPHSもあまり変わらない。ビルなどに入ると多少は違ってくるかもしれないが、駅などでは逆にPHSの方がよく入るみたいだし、なにより音もいい。しかし、この四国に来てからは、PHSの繋がらなさにほとんど諦めていた。最初の徳島ではアンテナが3本立っていたのだが、ちょっと市内の中心地から外れてしまうともう全く繋がらなかった。山に入ったときなどは、当然繋がらない。この辺はちょっと甘かったのだが。もちろん、こうした携帯の類は何も持たずに旅をするのが一番いいことなのだろうが、何か緊急の電話があるかもしれない。自宅の電話を転送にして、PHSに繋がるようにしておいた。
しかし、繋がらないPHS。腕時計は持ってきていないので、ほとんど時計と、目覚まし代わりとしての役割、繋がるときに留守電のチェックをするという程度だった。
この旅を終えてからなのだが、「携帯電話を持って歩き遍路をするのですか?」と友人から質問を受けた。確かに、携帯電話と遍路というのは雰囲気として、似合わないかもしれない。でも、宿で話をしたりした人は、わざわざこの遍路のために家族から持たされたという人などもいた。旅をしているわけで、連絡を途絶えるということは仕方のないことだけど、それでも携帯電話という文明の利器を利用しない手はないだろう。持っているだけで安心でもある。毎日、寝る前に家族と話をするという人もいたし、話はしなくてもメールを打って元気でいることを知らせている人もいた。
急な図書館からの電話で、僕は現実に四国という場所にいることを改めて実感してしまった。東京と四国では遠い。あれほど不安だったこの旅も4日目になりなんとか軌道に乗り、東京での日常とは違った時間にいることを感じた一瞬だった。
狭いが交通量の多い道路を歩き、大日寺へ到着する。道路沿いにある小さな寺だった。今回の旅でまわった中では一番小さかった方かもしれない。小さいだけでなくお参りしている人も少なかった。車でまわっているのだという人と少し話をする。歩いているというだけで、「大変ですね」と声を掛けてくれる人もけっこういたりする。お寺に着くということは、ちょっとした目標を達成したことであり疲れと嬉しさが一緒になったような状態になり、その辺がいかにも歩き遍路という雰囲気なのかもしれない。
地図を見ると、すぐ近くに食べ物屋さんがあり、そこに行ってみた。この四国の遍路道沿いには食べるところが少ないというのが実感だった。コンビニのような店もあまりなかった。地図にはけっこう詳しく店の名前までがでていたが、正直なところ地図の店以外にももっと何らかの店があるものだと思っていた。実は逆に営業していないところも多かったりして、困ることも何度かあった。
この店ののれんをくぐり戸を開けると、中には何人かの人がいる。しかし、僕は入店を断られてしまった。団体の予約が入っているのだという。時間は12時を過ぎたくらいだっただろうが、かなりお腹が減っていた。僕は唖然としてしまった。なんだか腑に落ちない気持ちで店を出る。ちょっと歩いたが、他には食べる店はなさそうだった。
お昼の食事については、パンを持って食べる人や、中には食べないという人もいた。でも僕はお昼ご飯を楽しみにして、午前中の道のりを歩き、夜のご飯とお風呂を楽しみにして午後の道のりを歩いていた。これからどうしようか。地図を見て、食事のできるところを探すだけでなく、この日の泊まるところまでを考えてみた。
一応、宿の予約はしている。しかし、この時間でここまで来れたことから考えるならば、宿まであと1時間くらいで着いてしまうような雰囲気。宿のキャンセルを決意する。「決意」というのはちょっとオーバーかもしれないけど、当日になってのキャンセルは失礼のような気もする。電話をする。話をしている途中で切れてしまった。どうやら電波が途切れてしまったようだった。もう一度、電話をする。名前を言い、一応要件は伝わったみたいだった。なんだか、気持ちは沈んでいる。このころから、イライラし、元気がなくなってきたのかもしれない。この日の、これからの予定を決める。
歩けるところまで歩く、だ。
地図を見ると、17番のから先は大きく2つのルートに分かれる。徳島市内を通るルートと、南側のほとんど店も宿もないような、県道鮎喰新浜線という道路を歩くルート。僕は徳島市内に行くことを決める。これから歩くだけ歩いて、着いたところで宿を取る。市街地にはビジネスホテルが多くある。泊まるところはいくらでもある。自分がどのくらい歩けるのか試してみたい気持ちになった。
大きな橋を渡り、15番の国分寺へと向う。足はかなり疲れてきた。例えば信号で止まったとする。足の動きをほんの少しでも止めてしまうと、ふたたび動かすまでに時間が掛かってしまうのである。歩き始めるときは、けっこう辛い。腿のあたりが痛くて足が普通にあがらなかったりする。しばらく歩くと、動くことは動くようになっていくのだが。
ちょっとした池の脇を通り、階段を登り(実はちょっとした階段を登るのも辛かった)国分寺に到着。本堂の前の石が印象的だった。続いて16番の観音寺へと向う。田んぼの中の、静かな道をただひたすら歩く。16番を過ぎれば、食べるところがありそうだ。食べることを考えると元気になるのであった。
観音寺のある場所は、住宅街の路地のようなところだった。よくわからなくて、歩いていた人に「すみません16番はどちらなのでしょうか」と聞くとやさしく教えてもらった。道を聞くときにはお寺の名前ではなく、ほとんどお寺の番号で言っていたようだ。街の人も聞かれることに慣れているのだろうか。ほんとうにやさしい声だった。
この観音寺というところも小さなところだったように思う。どこの町にもあるような、近所にあるお寺のようなところだった。でも、静かな雰囲気がとてもよかった。
この場所から5分くらい歩いたところにある『中華料理華扇』というお店でお昼ご飯にする。テーブル席と座敷があったが、靴を脱いで座敷に座る。腰を曲げて靴を脱ぐのは大変なのだが、足を楽にさせたかった。「麻婆豆腐かけご飯」(正式な名前はちょっと違っていたかもしれません)を注文する。なんとびっくり、このお店の「麻婆豆腐」は珍健一さん直伝、と書かれている。お店の壁には、主人であろう人と珍健一さんとの一緒の写真もあったりしている。
けっこう期待して、この「麻婆豆腐かけご飯」を食べた。とても美味しかった。とても嬉しかった。再び靴を履くのはとっても大変だったけど。
第17番井戸寺へと向う。この日は4箇所ものお寺をまわることになるので、確かにちょっと忙しい。実はこの頃、けっこうイライラしていた。交差点では僕が停まっているのに、僕のことを待つ車がいたりする。先に行ってくれよと思うし、合図をするのだけど、動いてくれない。急に歩こうとしても足が動いてくれないので、歩けないのである。こうしたほんの些細なことでも、なんだかよくわからないイライラした気持ちが僕を襲っていた。
でも、そうしたときに僕を慰めてくれたのは、「コンニチハ」という声だった。もちろん全ての人が声を掛けてくれるというわけではないのだけど、自転車ですれ違う女子高生とかが声を掛けてもらったりすると、こんなんではいけないのだろうな、がんばろう、という気持ちになっていた。
井戸寺はのどかなところだった。車椅子の老人の人達が何人もいた。どこかの施設の人達のようだった。世話をする人が「よかったねえ、おじいちゃん」と声を掛けていた。
いつものように、お線香を上げ、ロウソクを立て、納札を入れ、本堂と大師堂にお参りをする。納経所へ行き、記入してもらう。この納経所の係の人は1人だけでとてもキレイな若い人だった。他のお寺のほとんどはけっこう年配の人だったので、なんだかとても印象に残っている。その人の書く文字も、とても細い繊細なものだった。筆の動きがとてもよかった。納経帳に書いてもらうとき、僕はじっと見るようになっていた。その筆の動きはひとりひとり全く違っていて、ほんの数秒のことなのだけど、とても楽しい時間だった。
この井戸寺を出てから徳島市街地までは、大きな国道をただひたすら歩いた。四車線くらいにはなっていただろうか。長い橋を渡り、たぶん、日本のどこの町にもあるような(バイパスを想像してもらうとわかりやすい)景色だった。
次第に、郊外の景色から市街地へと変わっていく。コンビニも数分に一軒くらいあったかもしれない。四国歩き遍路ではこのルートはあまり使われていないのかもしれない。たぶん、南のルートを使う人の方が多いようにも思える。あとで、同じ宿の人と話をすると、ほとんどは県道鮎喰新浜線を通っているようだった。
でも、何年も東京という街で暮らしている僕にとっては、この市街地ルートを通ったのは正解だったのかもしれない。正直なところ、コンビニや、多くの店が並び、人がすれ違う場所が懐かしくもあった。急に人里離れたところばかりというのは、僕にはちょっと辛かったのかもしれない。4日目でこうした景色に触れたことによって、なんだか落ちつけたような気もする。
この後、ビジネスホテルに泊まるのだが。ソファーに座り、ユニットバスに入ることも、実はリラックスできたいい時間だったのかもしれない。
なんとか徳島駅前までたどり着く。どのくらいの距離を歩いたのだろうか。30数キロは歩いた。ほんとうに疲れた。間違いなく、僕の人生の中で最も歩いた一日だった。
駅は数日前に着いたのと同じだった。当たり前だけど。
駅のすぐ前にあるビジネスホテルに電話をする。なんと僕は「男性1人お願いしたいのですが」などと言ってしまっていた。遍路の民宿などに泊まるときには、一応、男性であって歩いてまわっているといったことを言っていたので、その癖がでてしまった。1人部屋のビジネスホテルなので関係ないことだ。だいたい5時くらいだっただろうか、このホテルはいっぱいだと断れらる。次に『ビジネスホテル近藤』というところに電話を入れると大丈夫ということで、ここに決める。夕食も取ることは可能だったのだが、せっかく大きな街に来たのだから、宿の食事とはちょっと違ったものを食べたくなっていた。
ホテルの部屋に入り、しばしの時間ぐったりする。
Tシャツ姿で食事に出かける。10月の夜だというのに、この姿でも寒くはなかった。何を食べようか。無駄に歩きたくはないのだけど、あちこちと歩き回る。デパート(なぜか、この街にはSOGOがあった)の上にも行ったが食べたくなるようなものはなかった。流れ流れて駅ビルの回転寿司の店に入る。ついつい、こうした俗世間と言えるような場所に入りたくなった。天麩羅とかハンバーグとか、とても寿司とは思えないようなメニューがありついつい手にとってしまう。ここ数日の晩御飯とはとっても違った食事だった。たまには、違うのもいいものである。
宿に帰り、地図を見て今後の計画を練る。宿に予約の電話を入れる。しかし、もう満室だということで断られてしまう。かなりショックを受ける。実は、この翌日、その次の日をどのように歩いてどの宿に泊まればいいのかよくわからないでいた。山登りにもなってしまう。一日のどのくらい歩けるかもよくわからない。また、宿もほんの数箇所にしかない。どう考えても宿から宿への距離が一日分だったりしている。まさか山の中で野宿をする準備なんてしていない。泊まろうとしていた山のふともの宿は泊まれない。
仕方なく、その宿は翌翌日、その途中にもうひとつ宿を入れることにした。一日分、停滞することにもなる。
ある意味でこの歩き遍路というのはゲームみたいなものかもしれないと思う。ただただ歩けば速く先へと行けるわけではない。どこの宿に泊まるか、泊まりたい宿に泊まることができるかが実は大きかったりするかもしれない。正直なところ、うまく予約できなかったことにちょっとがっかりしていた。
しかし、この後歩いていくことで、この旅には失敗ということはないということを知る。時には速く進むこともあり、時には足止めをくらいゆっくり進むこともある。どちらにも、同じように何らかの出会いがあったりしている。自分よりずっと先に進んでいた人と再び会うかもしれないし、後になっていた人との出会いがあるかもしれない。
結果として僕にはいい出会いがあった。もちろん、宿が取れて先に行っていたならば、また別の出会いがあったのかもしれない。でも、たぶんそれはどちらが成功とか失敗とかと判断できるものではないのではないだろうか。どちらも成功なのだろう。
時には、歩けるだけ歩くときもある。時には、のんびりと休み休み歩くときもある。どちらも振り返れば同じように楽しい。
この四国を歩くとことは、実は人生を歩くことと、同じようなものかもしれないと思う。毎日の生活で、うまくいったりいかなかったり、いろいろなことがある。うまく行くように頑張ったりもする。しかし、実は成功も失敗も、そんな隔たりはないのかもしれない。
のんびりとユニットバスにつかる。テレビを見ながら足の手当てをする。ノートに日記を書く。藤沢周平の文庫本を読む。フロントに電話をして、明日の朝食の時間の変更をする。少しばかり寝坊をしてもいいかもしれない。寄り道をしてもいいかもしれない。次の日の歩く距離は10数キロくらいのものだ。こんな日があってもいいだろう。
ホテルの窓からの景色は、これまでの数日とは全く違ったものだった。街のネオン、すぐ隣のビルの部屋の様子までもが見える。ベッドの感触もここ数日の布団とは全く違っていた。でも、なんだかほっとできたのも確かである。
◎ 第1期 4日目:約33キロ / 2001年10月11日(木)
◆ 第13番 大日寺
◆ 第14番 常楽寺
◆ 第15番 国分寺
◆ 第16番 観音寺
◆ 第17番 井戸寺
◇ 昼食:中華料理華扇
◇ 夕食:徳島駅ビルの回転寿司
◇ 宿:ビジネスホテル近藤 5500円(夕食なし)
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