四国遍路日記 第2期 7日目 2002年3月13日(水)
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5時半に起きる。身支度をして、6時には宿を出る。静かに、誰もいない建物の玄関のドアを1人で開け、外へと出た。まだ薄暗い。通りの車はかなり走り出している。寒い。少し歩いたところで、自動販売機でホットの紅茶家伝ミルクティーを買う。心の中までがあったまるようだった。
しばらく歩くと「道の駅」というドライブインのようなところがあった(この当時、僕は「道の駅」という存在自体をあまり知らなかった)。この先もこの「道の駅」はいくつかあって、トイレなどお世話になることになる。でもこの時はまだ朝早く、お店は開いていない状態だった。
市街地から山道へと入っていく。けっこう曲がりくねった道だったような気がする。時どき、線路が見えてくる。左手には海が見えてくることもあった。
ドライブインに入り、朝食を取ることにした。入った店は親父さんが1人でやっているようなところだった。モーニングはあるのかと尋ねると、あるということで注文する。普通のコーヒーに普通のトーストだったのだが、とても美味しかった。厚切りのトーストにバターを付けて食べたのはいつ以来のことだろうか。コーヒーも、普段はほとんど飲むことがないので、こうしたお店の味というのは久しぶりのことだった。
値段は350円くらいだったろうか。こういう場所で朝食を取るのもいいものだと思った。店を出るときもこの親父さんは笑顔で気をつけてと声を掛けてくれた。
この日は今回の旅の最後だった。たった7日間歩くだけで遍路というものを体験したことになるのだろうか。区切りではなく、通しで歩きたい。そういうことを考えながら、この日ずっと歩いていた。今回僕の休みは9日間だった。でも、この日数を休むということだけでも会社員であれば大変なことだ。定年退職後に、時間のできたところで遍路を歩く人もいる。しかし、歩きたいときに好きなだけ歩きたい。そうしたことは贅沢なことなのだろうか。一生に一度の人生、どこかにまとめて40日くらいの休みを取ることは、そんなに難しいことなのだろうか。こうした休みを取ることのできる状況というものを、自分で作らなければいけないのかもしれない。気持ちが高ぶりこんなことを考えていた。
特産品の売っている店があった。これまでも、道路沿いにこうした店はいくつもあった。お土産を買うにはこうしたところから箱で送るのがいいだろうと考えていた。しかし、その日歩くのに精一杯で余裕がなかったり、余裕があったときにはお店がなかったりとタイミングが合わなかった。この店でお土産を買って送ることにする。文旦というグレープフルーツのような大きなみかんを買うことにする。相場がどのくらいなのかよくわからないが、大きなダンボールひと箱で4000円だったか5000円だったか。ビニールに入っているのだと、かなり安いのだけど。悩んだ末、小さめのダンボールの2500円を2つ買って、実家と職場とに送ることにする。さすがにここは四国で送料がけっこうな値段になった。でもお土産としては喜ばれて、なおかつ、とっても簡単なのである。お店のおばさんは宅急便の用紙と某宗教団体の雑誌を僕に渡してきた。こんなところで宗教の勧誘をされるのだろうか、と思ったのだが、そうではなく書くときの下敷きにしてということ。
お金を全部で7730円払う。とにかくやろうと考えていたことをやって、少し気持ちが楽になった。
しばらく歩いたところで、焼坂トンネルという長い長いトンネルに入った。このトンネルは大変だった。長いということだけでなく、空調の関係なのか、音がすさまじいのである。両手を耳にあてて歩いたりしていた。次回の旅からは耳栓を持ったほうがいいのかもしれない、などと思う。でも、音を聞こえなくするというのもそれはそれで不安である。それに僕は耳に持病があるために、あまりうるさい音は苦手というだけでなく、悪くなってしまうのではないかという不安もあった。ようやくこのトンネルを抜けたときには、ほっとしたのだった。
山の中の車道を延延と歩く。そして、この日のメインとなる道、そえみみず遍路道というところに入ることになる。地図を見てどこからこの道に入るのか何度も確認する。この遍路道にどのくらい時間がかかるのかよくわからないので、お昼ご飯になるものを買っておくことにする。ファミリーマートいずみというところで、炊き込みご飯210円を購入。道を曲がって、農道というようなのどかな景色の中を歩いていく。そして、そえみみず遍路道へと入っていった。
この道は、古くに賑わっていた本来の遍路道である。地図には「当会ではこの道を復元し」と書かれている。ほんとうに山の中を、人ひとりが通れるだけの道である。例えばあるところでは、木が道を遮っているところもあった。でも、脇を車がどんどん走って行くアスファルトの道路よりも、こうした道の方がずっと楽しい。特にこの道はそんなに急な登りでもなく、汗だらだらに疲れるということもない。
静かだった。この道を歩いている人はこの日どのくらいいるのだろうか。たぶん、10人もいないのではないか。前を見て、後ろをみても、全く人の気配とういものが感じられない。1人の世界を、感じながら歩く。
朝食が軽かったためか、お腹が空いてきた。まだ12時にはなっていないが、早めのお昼ご飯にする。座って休むようなスペースはなく、通り道にそのまま座っての食事である。パックに入った炊き込みご飯はまだほんのりと暖かい。スーパーで売られているものにあまり期待はしないのだが、この炊き込みご飯はとても美味しかった。
また歩き出す。この道には赤い「遍路道」という表示だけでなく、ちょっとした言葉が添えられているものがよくあった。その中でとても印象に残ったのは、「そえみみずは先祖の足音が聞こえる道です。」と書かれたものだった。確かにこの遍路道にはそうした不思議な雰囲気があった。しかし、この表示のあった場所に関して言うなら近くに車道が通っているようで車の音がかなり響いていた。正直なところ、この文の雰囲気とはかなり違ったものだった。
この遍路道も終わり、また車道を歩くことになる。道がよくわからなくてややウロウロする。地図で確認しても方角がよくわからない。ガソリンスタンドが書かれているのだが、名前が違っている。4年以上も前の地図なので仕方がないのだけど。なんとか、大丈夫だろうと歩き出すと、歩き遍路の人が僕を抜いて歩いていった。歩く速度が速く、どんどん先へと消えていった。実はこの人は5日目の宿で一緒になっていて、この後の岩本寺宿坊でも一緒になり話をすることになる。僕の前後に誰も居ないように感じていたが、そえみみず遍路道には、歩いている人はいたのだった。
この日の歩く距離はあと13キロくらい。時間的には十分に余裕がある。お昼ご飯がやや軽かったためか、またまたお腹が空いてきた。この辺りの道にはけっこう食べ物やさんが多かった。セルフ手打ちうどん中村というお店に入ってうどんを食べる。「セルフ」と名前の付くお店に入るのは初めてなのでややドキドキする。この高知では、徳島に比べうどん屋さんが多くなったという感じを持っていた。味もなかなか美味しい。この先、本場と言われる讃岐に行くのが今から楽しみだ。セルフというお店も多くなるのかもしれない。まあ、よくわからないままに、お店のおばさんに「ひとつ、ふたつ?」と言われ、「ひとつ」と答え、天麩羅を取り、うどんを楽しんだ。
次第に、岩本寺のある窪川という町に近づいて行く。道路とほぼ平行してJRの線路が走っている。それにしても、のどかである。単線なのだが、その線路のすぐ脇は普通の家の庭だったり、おばあさんが畑仕事をしていたりしている。道の駅で少し休憩をする。ベンチでみかんを食べる。それと店の前に置かれてあったチクワを食べる。このチクワは最初な何なのかよくわからなかった。枝豆の入ったチクワを買ったのだが、他にもチーズが入ったりいくつかの種類がある。あつあつで食べるのだが、これはほんとうに美味しかった。この土地の名産なのだろうか。また食べてみたい。それにしても、この日は食べてばっかりいるような。
ずっと歩いたあとに、もうひとつ道の駅があった。はっきり覚えているわけではないが。トイレに入ったときに、おじさんに「どこから来たの?」という感じで声を掛けられた。区切りで歩いて、今日が最後であることを言う。大変だね、と言われても歩くのはあとほんの1時間ほど。なんだか声を掛けてもらって申し訳ないような。歩いていると車が少し前で停まった。何かと思ったら、先ほどのおじさんで「これ四国のみかんでデカポンっていうんだ。咽喉が渇いたときにでも食べてよ」とお接待をしてくれた。助手席には奥さんが座っていた。とてもいい笑顔をしていた。疲れていた僕はこのデカポンをちゃんと受け取ることができずに落としてしまう。車の下になってしまったのだが、がんばって拾って、別れの挨拶を。ほんとうに、ささやかな出会いと別れというのだろうか。
窪川の市内に入るところで道がわからなくなってしまった。地図を見てもこの場所がどこなのかよくわからない。自転車に乗る多分中学生の2人に道を尋ねる。ちゃんと自転車から降りて、とても元気に、やや緊張していたようだったが、親切に岩本寺までの道を教えてくれた。この窪川という町をこれで急激に好きになってしまった。
ようやく今回の旅の終点と言える第37番礼所岩本寺へと着く。寺の前には宿があったりして、趣のある街の景色だった。中は小さなところだった。人もまばらである。本堂のすぐ正面には宿坊となっている建物もあった。本堂でお参りをしていると、遍路の人に見覚えのある顔が。3日目の宿である旅籠土佐龍で一緒になったMさんだった。それにしてもどうしてここで会うのだろうか。彼女のペースは僕よりも遅かったはず。訳を聞いてみると、途中で足を痛め、いくつかの交通機関を使ってここまで来たとのこと。
少し元気がない様子だった。歩こうと思っていたのに、足を痛めたという。この遍路の地において、歩くことは辛いけれど、もっと辛いことが歩けないことかもしれない。どのような形になるかわからないけれど、行けるところまでは行きたいんだ。そう彼女は言っていた。2人で話をしていると、みかんを売っているおじさんが「食べてください」と持ってきてくれた。
5時少し前になったところで宿に入る。この岩本寺の中にこの旅の最後になる宿、宿坊がある。Mさんも当然のようにここに宿を取っていた。
八十八箇所の中で宿坊になっているところはそんなに多くはない。しかし、宿坊は安く泊まることができるというメリットがある。安いといっても、他より1000円くらいかもしれないが。宿に泊まりながら歩いている人は、お約束のように宿坊に泊まろうとするのではないだろうか。ちょっとした中継地点のような気分で。
ほとんどの場合、宿坊というのは団体さん用に作られているという印象がある。この宿も、広い畳の部屋。襖があって、小さく個室にしているという状態。まだほとんど他の客はいなかった。
部屋で軽くごろりとくつろいだところでお風呂に入る。ひとりでのんびりとお湯につかる。一週間ほどの旅の最後のお風呂になる。少しすると他の客が入ってきた。湯船で声を掛けられる。歩き遍路だというと、いろいろと話をしてくれる。その人は、歩きはこの季節までだね、と言っていた。やったとしてもゴールデンウィークまで。その後は暑くてとても歩ける状態じゃない、と。もちろん、夏に歩いている人もいる。でも、年に何度か楽しみで遍路を歩く者にとっては、その季節というのも重要だろうと思った。
部屋に戻り、夕食へと。広い部屋なのに、ガラガラの状態のように思えた。20人くらいの団体さんがいた。個人客というのは7、8人くらいだったろうか。他には、後から10人くらいの作業服の団体さんが来ていた。この宿坊はユースホステルにもなっているので、遍路客だけでなく一般の泊り客もいるようだった。
個人客の中で歩きは僕を含めて3人だけだった。Mさんと、もうひとりいた男性は5日目の宿、汐浜荘で一緒になった人だった。主にこの3人でこれまでの遍路について話をしながら食べた。料理はおかずもいっぱいあり、とても美味しいものだった。通常のこうした宿での夕食時ではかなり年上の人と一緒になる。でもこの3人は年齢的にも近いこともあり、わき合い合いとリラックスして話をしていた。
途中から隣の席に車でまわっているという夫婦が席についた。香川県に住んでいて逆からまわっているのだという。それにしてもこの夫婦が強烈だった。奥さんの方がガンガンに強い雰囲気で、旦那さんの方はただただニコニコしていた。ほとんど夫婦漫才のボケとツッコミの状態だった。なんで遍路をまわっているの、みたいな話になった。この奥さんはMさんのことが気になったみたいで、たたみ掛けるように彼女に質問を浴びせてきた。そして「途中でいいからこの旅をやめて、帰って見合いして結婚しなさい」だのと、次から次へと語りかける。文章にするととても失礼に感じるだろう。もちろんMさんも口を膨らましていた。しかし、旅の宿の夕食の場での、まあ漫才みたいなもので、僕達男2人は笑い転げていた。この夫婦はちょっとおせっかいだけど、親身に心配してくれる人という感じだった。もちろんMさんも大人であり、これはこれで楽しい夕食だった。でも、とにかく強烈だったね、というのが共通した感想だった。
食事が終わって、3人で僕の部屋でデジカメで撮った写真をみたりしながら、ずっと話をして盛り上がっていた。まるで修学旅行のような感じだろうか。僕の今回の旅の最後の夜だった。この男性は最後まで歩いてまわるのだと言っていた。Mさんは、この後何日か交通機関を使って、行けるところまで行こうとしていた。
それぞれの部屋に別れ、またひとりになる。
寝る前にトイレに行こうとすると、他の女性客が歯を磨いていた。この宿のトイレと洗面所は完全な男女共用。少しばかり恥ずかしかったりする。
夜、といってもまだ9時くらいだ。ゆっくりと眠りについた。
◎ 第2期 7日目:約32キロ / 2002年3月13日(水)
◆ 第37番 岩本寺
◇ 昼食:セルフ手打ちうどん中村
◇ 宿:岩本寺宿坊 6000円(2食付)
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