四国遍路日記 第2期 帰り道 2002年3月14日(木)
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起きた時間は確か6時くらいだったと思う。ここは宿坊ということで朝食の前に本堂で勤行がある。正座をするのは辛いが、これも普段は経験できないことで遍路のよい思い出となるだろう。
お経が始まる。実をいうとこの2度目の旅でも僕は般若心経を覚えることはなかった。次はどうなるだろうか。わからなくても旅はできる。お経を唱えるのはやや抵抗もある。自然に覚えたい気持ちになればいいだろうと思っている。
前回の旅のときに行った朝の勤行では、前の方に出てお線香をあげるということがあった。ここでもやるのだろうな、と不安があった。正座をすることはできるのだが、途中で立ち上がるのはとても辛いのである。足が痺れてどうにも動けなくなる。情けないことではあるけれど、これが僕の実態なのである。しかし、この勤行ではこの必要がなかった。ちょっとホッとした。
代わりにお坊さんのお話があった。昔の遍路について。今は交通機関が発達して随分楽になったという。
朝食を食べる。後ろの方の席では作業着の団体さんがガヤガヤと食べている。宿のご飯はほんとうに美味しい。あたたかく、これからがんばろうという気持ちになる。でも、この日は歩くことはない。少し寂しい気持ちで食べていた。
この日のことはあまり詳しくは決めていなかった。このまま東京に帰るという方法もある。翌日も1日休みはあるので、夜行バスで帰るという方法もある。日程に1日余裕を持たせたのであった。もちろん、もう一日歩くこともできた。けれど次の第38番には3日ほどの行程がある。やはり礼所で終わり、札所から次の旅を始めたいという気持ちがあった。
とりあえず高知市に行くことにする。ただ帰るにはもったいない。半日くらいは時間が取れそうだ。桂浜の「坂本龍馬記念館」を見てみようと思う。なにせ歩きながら通ったときには全く余裕がなかった。時刻表を見ると、まだ出発まで時間がある。昨夜いろいろと話をしたMさんは夕食時に一緒になった漫才夫婦(?)の車に乗せてもらい第38番金剛福寺まで行くことになり出発していた。この宿に泊まっていた他の客もみんな出発したようだ。まだ、朝の8時くらいのことである。僕は部屋でごろりとしていた。
宿を出て窪川駅まで歩く。場所はわからないのだが、適当に歩いて行く。小さな駅が見つかった。自動販売機でオレンジジュースを買い、ぐいぐいと飲み込んだ。歩いているときにはこういうことはしなかった。特急の南風に乗り込む。短い編成の列車なのだが、ちゃんとした特急列車である。ちゃんとしていないというわけでもないのだけど、とても驚いた。なんと、そとのカラーリングだけでなく内装までもが「あんぱんまん」のデザインになっていた。あのアニメの「あんぱんまん」である。これから商談をまとめるために仕事に出かける人なんかは、どうにも調子がおかしくなってしまうのではないだろうか。東京にもいろいろなペイントの車両があるが、こういうのは初めてでちょっとびっくりだった。
特急南風はどんどんスピードを上げて走っていく。窓から見える景色は僕が歩いてきたものだ。そうした道路の脇をあっという間に。
高知駅に着く。この南風は岡山行きなのだが、この高知駅で降りる人も乗る人も多くいた。降りようとすると、乗るほうの人がどんどん車両に入ってくる。降りられない。なぜかはわからないが、降りる人が優先という考えがないようだった。もちろん、ここでの出来事が稀なことだったのかもしれないが。歩いていた旅が終わり、別の世界に入ってしまったことを実感させられたようだった。この高知駅において、違う点でびっくりしたのは、改札口の駅員さんだった。全員が女性で、とても柔らかでよい雰囲気だった。
駅を出て、とりあえず東京までの長距離バスがあるかどうか確認することにした。とはいえ、なかなかバスの案内所というものが見つからない。桂浜までもバスで行こうとしているのだが、そのバス乗り場もわからない。ようやく、案内所を見つけた。ガラリとしたところでカウンターが2つ。どうやら別の会社の人が並んでいるようだった。片方で乗ろうとしたバスのことを尋ねると、隣のカウンターだと言われる。隣に行ったのだが、係りの人はずっと電話で話をしている。ケタケタと笑いながら話をしていて、まったくこちらのことは無視した状態。ようやく話をすると、もう売り切れています、と愛想のないひと言で終わり。また、電話でなんだか楽しそうに話をしていた。やれやれ。歩いているときに、道の標識とかが不親切だったり、この高知市についてはよい印象を持っていなかったが、この対応でますます悪くなってしまった。高知市の観光は大丈夫なのだろうか。
東京までの長距離バスのチケットを取ることは、あまり期待していなかったので、新幹線を使って帰るだけなのだが、どうにも歯がゆい気分だった。
桂浜までのバス乗り場もよくわからなくてウロウロしていた。ようやくこの駅から少し歩いた「はりまや橋」のあたりにバスターミナルのあることを知る。5分ほど歩く。どこにでもあるような地方都市の駅前の風景。
ようやくバスターミナルを発見する。しかし、桂浜とはどこにも書かれていない。仕方なくここの案内の人に聞いて、別のところのバス乗り場を教えてもらう。やっと、桂浜に向うバス乗り場まで来ることができた。並んでいる人の何人かは観光で来ているような雰囲気だった。しかし、バスはなかなか来ない。僕の前にいた大きな鞄を持った女性2人組はこないバスに痺れを切らしタクシーに乗ってしまった。正直言って僕もタクシーにしようかとも悩んだ。若干のお金よりもこの日は時間の方が大切だからだ。悩んでいるうちにバスが来たので乗ったが、この高知市を訪れた多くの人はどのように桂浜まで行き着くのかとても疑問に思ってしまった。
バスに乗って遍路の旅を続ける人もいる。しかし、僕なんかにはとても出来ないことかもしれない。歩いた方が気持ちの面でとても楽なことだ。これは間違いない。
バスでの道のりはけっこう遠かった。数日前に歩いた場所を窓越しから見るのは不思議な気分だった。桂浜は小さな半島のような場所になっている。公園があり、旅館などの観光施設がある。ちょっとした別世界という雰囲気である。
「坂本龍馬記念館」はとても個性的な建物となっている。一見、坂本龍馬というイメージとは合わないような気もする。けれど、とてもよく考えられたデザインのようだ。「柔軟な発想」「世界に目を向けた見識」「豊かな人間関係」「果敢な行動力」などが意図されているのだと言う。静かな記念館だった。もちろん、他にも人はいたし、こうしたところで騒ぐ人はいない。けれど、静かな時間がこの建物の中にはあったように思う。
司馬遼太郎のメッセージが書かれている。とても長いものだ。『竜馬がゆく』を読んだときのことを思い出す。
短い映像と共に展示物がある。いくつかの手紙も置かれてあった。ときどき外の海の景色を眺める。
もう一度、坂本龍馬の銅像を見にいく。砂浜に下りて、しばらく歩き回った。数日前とは違い観光客も多くいて、写真を頼まれたりもした。
お昼ご飯を食べようと、お店のある方へと移動する。お土産やさんがいくつもあり、巨大な観光センターという雰囲気となっている場所だった。
食事の店はいろいろあったが、悩んだ末「加茂屋」という店に入り、鰹の叩きの定食を注文した。宿で何度も鰹は食べたが、最後にしっかりと食べておきたかった。分厚く切られた鰹はとても美味しかった。鰹の叩きというものはスーパーでも安く売られている。でも、美味しさが全く違う。どうしてなのだろうか。
満足したところで、買い物をする。食べ物は鰹だけでなく、くじらのころ(クジラの皮)、くじら照煮なんてものもあり、いろいろなものを買ってしまった。
バス乗り場で高知駅までの切符を買う。自動販売機はなく、受付でまさに「切符を買う」という雰囲気だった。午後の2時くらい。バスに乗る人は少なかった。
途中でバスに乗る人は普通にこの町で生活をする人達だった。そんな中でも途中2人ほど、遍路の姿の人が乗り降りしていた。
高知駅での少しの待ち時間を得て、岡山行きの特急南風に乗り込む。自由席で座れるかやや不安だったが、なんとかギリギリで席はあった。走り出し、少し時間が過ぎたところで、窓に雨粒がかかってきた。今回の旅はほんとうに天候に恵まれていた。室戸岬からの初日から快晴だったわけだが、その前日は雨だったのだという。ちょうど晴れた日から雨の降る前日まで歩いていたことになる。
まだ見ぬ風景の中を走り抜けていく。香川県に入ってからは、外の景色を見ようかどうかどうか少し迷った。ついつい目に入ったというか、ずっと見ていたのだが。いつになるかわからないけれど、この先歩くであろう景色を見たくなかったという気持ちがあったのだ。
瀬戸大橋からの海は雨のため少し雲っていた。しかし、いつか晴れた景色を見ることもあるだろう。
岡山駅から新幹線に乗り換える。ここから東京まで帰る。自由席で座っていくことを考えるのだが、どのように乗っていったらいいのか時刻表を見ながらしばらく悩む。東京までの直通というのはほとんどないようだった。「レールスター」という初めて聞くような名前もある。新幹線と言えども東海道新幹線と山陽新幹線とでは少しばかり勝手が違うようだった。
レールスターで新大阪まで行き、そこで始発の東京行きに乗り換えた。けっこう混んでいたが、なんとか自由席に座ることができた。しかし、しばらくしてから失敗したことに気がつく。この車両は喫煙車だった。普段あまり列車に乗ることはないので、喫煙車と禁煙車を意識したりしないのだが、周りの人のタバコの煙にちょっと困ってしまう。出張の帰りであろう、仕事の話も僕を急に疲れさせた。席を移動しようかと禁煙車の方を歩いてみたが、席は空いていなかった。駅で買ったお弁当を食べたが、あまり美味しく食べることができなかった。途中何度か席を立ち、デッキのところで立って休んでいたりもした。
東京駅に着き山手線へと乗り換える。それにしても東京駅は大変な賑わいだった。この日は3月14日。ホワイトデーのプレゼントを買う人で溢れていた。平日の夜の通勤電車の中、菅笠と金剛杖は似合わなかったのかもしれない。
この旅の様子はデジタルカメラでいくつかの映像として残すことができた。何人かの知り合いに見てもらった感想は、「とても人が少ない」というものだった。多くの人がいるところではデジカメを使うことはなく、ほんとに誰もいないような景色の中で、ちょっとひと休みをしたときに撮っていたので特に人が少なかったのかもしれない。
四国の景色は何も特別なものではなかったのかもしれない。実は東京でも、よく見ると違って見える景色もあるのだろう。少しばかり角度を変えて、歩くことによってほんの少し違った時間の中で。
◎ 第2期 帰り道:0キロ / 2002年3月14日(木)
◇ 昼食:加茂屋 鰹の叩き定食 1150円
◇ お土産:土佐闘犬センター 6700円
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