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四国遍路日記 第5期 1日目 第65番 三角寺
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四国遍路日記 第5期 1日目 2004年6月10日(木)


 バスはどうやら四国に入ったようだ。そんなに眠ったわけではなかったが、身体を休めることはできたような気がする。高松駅では数人が降りた。元々少なかったバスの乗客はほんの数人となる。高松駅前は不思議な風景だ。以前四国から帰るとき、夜の景色を眺めたことはある。朝にはよりこの高松駅周辺の異様さが際立つ。わかりやすく言うならば、幕張駅前の景色に似ている。とても人工的な眺めに感じられる。四国の表玄関とも言える場所なのだろうが。

 高松からは窓から朝の風景を眺めていた。ふと気がついたのは道路だ。交差点には、自転車用のラインが引かれている。もちろんこの時間には自転車なんて走っていない。歩いている人だっていない。ときどき、クルマがすれ違うだけだ。

 6時25分頃、坂出駅前に着く。高架となっている駅、東京の景色とあまりかわらない。ただただ、静かだ。ここからJRの電車に乗り、伊予三島駅へと移動する。そこから僕の今回の遍路旅が始まるのだ。

 駅のコンビニ(ミニストップ坂出駅店)で、パンを買う。この日か翌日かの昼食のためと考えてのものだ。食事のできる店があれば、そこで食べればいいのだが、そうでないことが予想される。早めに予備の準備をしておこうという、これまでの反省を踏まえたものだ。賞味期限が一番長い14日となっていた「Sスナックパン9本入り」というものにした。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 実は、この坂出駅ではけっこうな時間があるはずだった。特急のいしづち5号という電車に乗ろうと思っていたのだが、その出発時間は7時50分。つまり1時間30分近くも待ち合わせの時間となるはずだった。ところが、駅で時刻表を見ると、普通電車の伊予西条行というのが6時45分に出発することになっている。特急と比べればのんびりとしたスピードだが、25分ほど早く伊予三島駅に着くようで、こちらに乗ることにする。

 ホームに上がって電車を待つのだが、どの電車に乗っていいものかやや不安な中にいる。なにしろまだ頭はぼんやりとしている。そして、この四国のJRの路線というものがいまいち飲み込めていない。伊予西条行という電車に乗るわけだが、伊予西条というのがどこにあるのかもわからないのだ。同じ「伊予」という名前が付いていることで、伊予三島と同じ方向だろうという安易な気持の中にいた。

 電車の中で、僕の変身が始まる。ビニール袋に入れていた菅笠を取り出し、布袋に入れていた金剛杖を取り出す。靴と靴下を脱ぎ、足にテーピングする。最後に白衣を着る。やはり、着替えることで、少し気持も変化する。

 電車はボックス席だったので、こうした準備もやりやすかった。しかし、空いていた電車は次第に混んでくる。通勤の学生が多くなってきたのだ。しかも、最後の方にはまわりは女子高生ばかりになってしまった。冗談抜きで僕の乗っていた車両の9割以上は女子高生ばかりだった。遍路姿は歩いてこそ様になるが、電車の中にひとりで女子高生に囲まれてしまうのはどうにも恥ずかしいものだった。

 8時10分、電車は伊予三島駅に着いた。外は晴れている。1年3ヶ月ぶりの場所だ。改札口では女性の職員で、四国らしさが思い出された。kiyosk三島駅店で朝食を買う。どこかの店があればその方がいいのだが、探している時間ももったいない。おにぎり2個(手巻かつお昆布・たこ飯おにぎり)と特性鯛ちくわを買う。おにぎりだけでなく、なんとなく四国らしさを朝から感じたかったのだ。駅のベンチでゆっくりと食べる。そんなに食欲も無かったが、お昼もどうなるかわからないわけで、ここでちゃんとエネルギーと取ろうと思ったのだ。

 8時35分、いよいよ歩き始める。まずは第65番三角寺まで、約5キロほどの道のりだ。

 1年3ヶ月前は雨の中、まわりの景色を見る余裕もなかったが、この日はキョロキョロとまわりを見渡し、その景色を楽しもうとする。それに、駅からの道というのは遍路道ではないわけで、本来のコースに戻るまで、地図を見て間違うことのないよう、特に注意をして歩いていた。

 大通りを左へ曲がり、ちょっとした住宅地を通る。すぐ近くには交通量の多い道路があるのに、静かな雰囲気の住宅街で、ここを歩くことは楽しかった。住宅のすぐ脇には田んぼがあったりする。ちょうど田植えをやっている風景があったりする。小さな田んぼでは機械を使わないで、手でやっているところもあった。

 遍路の初日というのは足が痛いことはほとんどないわけで、楽と言えば楽で、余裕があるから景色を楽しむなんてことができるのかもしれない。けれど、なにせ1年3ヶ月ぶりの遍路だ。毎日のように考えていた四国を歩くことができて本当に嬉しかったのだ。

 松山自動車道を越えたところで、山の景色へと変わる。ちょうどそこには「へんろ道と道しるべ」という説明があった。多くの遍路がいて、そうした人が道しるべをつくって、今の道があることを感じる。ここで来ていたトレーナーを脱いで、Tシャツに白衣という姿になる。トレーナーを持っていくべきかどうかはとても悩んだのだ。四国の気候はまさに夏で、ほとんど必要のないものだった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 道はしばらく松山自動車道を平行したような状態で進んでいく。遍路道のシールもあちこちにあり、安心して歩いていった。しかし、ある交差点となっているところを超えたところで、すれ違った地元のおじいさん2人に声を掛けられる。何を言っているのかよくわからなかったのだが、「どこへ行くの?」といった雰囲気。よくよく話を聞いてみると、僕の歩いている道は違うのだという。行けないことはないらしいのだが、ちょっと前の交差点を右に曲がっていく道が普通のコースなのだという話。交差点を過ぎたところには、真っ直ぐ行けばいいというシールがあったのに。でも、交差点に戻ってみると、小さく右へ曲がるようにという張り紙もあった。確かに、ここで右に曲がるのが間違いのない遍路道だ。おじいさん達に礼を言い、山の方へと歩いて行く。少し歩いたところで、戸川公園というのがあった。自動販売機で爽健美茶を買い、トイレに入り、少し休憩を取る。

 この辺りからは、やや登り道がきつくなってきた。ときどき山の中の遍路道に入ったりもした。急な道ではあるのだが、そのまわりには田んぼがある。段々畑のようになっているのだ。

 後ろを振り向くと、ちょうと伊予三島の街全体が見渡せる状態となっていた。街の先には瀬戸内海が見える。快晴とまではいかないので遠くまで見渡せなかったが、いい景色ではあった。けれど、残念に感じたこともあった。海岸となるところには、多く工場がある。高い煙突があり、煙を吐き出していた。

 向こうから車が来て止まった。なぜか運転手が降りて僕の方に歩いてきた。今日の宿泊は決まりましたか、と聞いてくる。しばらく話をしたのだが、この人は雲辺寺を超えたところにある民宿青空屋の人だった。チラシを受け取る。まだ民宿を始めて2カ月ということだった。この辺には泊まるところが極めて少ないようだったので、こうした民宿が出来たということは歩き遍路にとって嬉しいことである。後になってから、2人ほどからこの宿に泊まったという話を聞いた。雲辺山を越えるにはその前に民宿岡田に泊まるしかないと思っていたのだが、この2人の話では、前日に伊予三島駅近くに宿を取り、三角寺、雲辺寺を歩いたということだった。確かに、手ごろな距離になる。2人とも、民宿青空屋をとてもいい宿だったと言っていた。近くの民宿岡田の評判が良いだけに、かなり気持を込めたサービスでがんばっているのではないかという話だった。

 道は緑の木々の中を通り、ようやく三角寺に着いた。全身、汗でびっしょりとなっていた。時間は10時半を少し過ぎたところだ。

 長い階段を上り山門を過ぎる。あまり人はいなく、静かだ。こうした山の上にあるお寺というのは実に雰囲気がいい。観光地化されていないという感じがするのだ。参拝をすませ、納経をしてもらう。若いお坊さんは、僕を歩き遍路だと確認すると、「道は右へ進んでください」と教えてくれた。

 この日の宿の民宿岡田までは、ここから約13キロ。あとは下り道になるわけで、時間的にはかなり余裕があるはず。しばらく、この寺で写真を撮ったり、椅子に座って休んだりしていた。そうしていると、団体の遍路の人達が来て、けっこうざわついてきた。4、50分ほどゆっくりしたところで、歩き出す。

 三角寺を出てからの30分くらいの道は、実に楽しいものだった。車が一台通れるくらいの舗装された道路。ほとんど僕ひとりしか歩いていない。まわりは山の木の景色、ときどき瀬戸内海が見渡せる。遠くの方まで見渡せる状態ではなかったが、からりと晴れていたならば、最高の景色だったのではないだろうか。

 三角寺から1時間くらい歩いたところで、分かれ道の標識があった。右へ行けば別格の仙龍寺、左がこれも別格の常福寺(椿堂)となる。左へ曲がったところに、平山というバスの停留所があり、そこに歩き遍路であろう人が休んでいた。僕もそのベンチに座り挨拶をして少し話をする。そんなに詳しく話をしたわけではないが、定年退職後の人で、通しで歩いているとのこと。ただ、足を痛めてしまい、この何日かはかなりゆっくりのペースになっているという。途中からはバスなどの交通機関も利用するようになったという。「一度使ってしまうと、どうしても次もということになってしまったね」と話していた。この日の宿を聞くと、僕と同じ民宿岡田だった。あとでまた話をしましょうと言い、彼は先に出発する。

 僕はこのベンチで少し遅めの昼食を取る。近くの自動販売機で缶コーヒーを買い、坂出駅で買ったパンを食べる。しかし、こうしたところでのパンというのは、あまり食べられないものだった。どうにもパサパサしてお腹に入っていかない。コーヒーで無理やり流し込むようにして食べた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 歩き出したほんの2、3分のところに、なんと遍路用の休憩所があった。「ゆらぎ休憩所」というのはキレイでなかなかいい雰囲気だった。トイレだけ借りて休むことなく先へと歩いていく。

 ちょうとこの6月というのはアジサイの季節だったのか。今回の旅ではアジサイの花を多く見かけた。この日の道でも、家の脇にはアジサイがキレイに咲いているところが多かった。四国には四季折々の景色があることを感じながら歩いた。

 途中でバスの停留所で会った歩き遍路の人を追い抜いてしまった。彼の歩き方はとてもつらそうだった。

 椿堂に着く。別格霊場の常福寺という名前があるのだが、この辺りの表示にはほぼ椿堂と書かれていた。小さなところだったが、ちょうど団体の遍路ツアーの人達が巡礼していたところで、けっこう混雑していた。このように別格もまわっている団体もあるのかと、ちょっと驚く。ときどき2巡目の遍路旅のことを考えるが、そのときにはぜひ別格霊場もまわりたいものだと考える。

 この椿堂を出て少し歩いたところだった。民家の脇の普通の通りなのだが、なんと道路にヘビがいるのを発見。しかも2匹も。この暑い季節にヘビと出会ったらどうしようかと心配していたのが、初日から見てしまうとは。この場所はどちらかというと街中、普通に人がいて生活している場所である。だから問題がないというわけではないが、山の中の誰もいないところで目の前にヘビがいたらどうしようと不安な気持ちになる。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 道は国道192号へと移る。あとはこの道を真っ直ぐ歩いていけばいいだけだ。残り6.5キロほど。たいしたことはないと思っていたのに、ここから先の道のりが実はけっこうきつかった。初日に余裕を持ったスケジュールにしておいて良かったとつくづく感じながら歩く。商店のベンチのところでアップルジュースを飲みながら休む。冷たいもの、そして甘いものが飲みたくなったのだ。しかし、飲んだことによってかえって疲れが増幅されたような気もした。汗を掻いた分、ちゃんと水分を補充することを心がけていたが、それが急だったり、大量だったり、冷えすぎていたりしたならば、当然のことながらあまり良くはないのだ。この日の最後の難関というか、目標物でもある境目トンネルを通る。長い長いトンネルだった。途中で自分の手を見ると、妖怪人間べムにでもなったような気がして恐くなる。トンネル内の灯で肌の色が変わって見えるのだ。できるだけ、前を前を見て歩く。あまり交通量は多くなかったが、大型の車が通るときには、立ち止まった。これもけっこう恐いことだった。

 ようやくトンネルを抜けたところで、腰を下ろして少し休む。これで徳島県は超え、最後の香川県に入ったことになる。涅槃の道場だ。

 境目トンネルの少し先にあったユートピア水車というコンビニでパンを購入する。まだ今朝買ったものが残っていたが、翌日の昼も、その次もどうなるかわからない。念には念を入れてということだ。

 ここからいくらか歩いたところの小さな町に、民宿岡田はあった。3時35分頃だった。実はどこから入っていいのかよくわからないでした。表側は岡田商店と書かれていたからだ。遍路客用の案内書きがあるのに気づき、裏の方へとまわる。別の建物がありそこに玄関はあった。脇には座るところがあり、遍路客用の伝言板があった。

 その玄関で声をかける。そうするとさっきの商店と書かれてあった建物(母屋?)の方からご主人が出てきてくれた。名前を言うと、今日からの人ですねとすぐにわかってくれたようだった。予約の電話をしたときに、「前泊は」と聞かれたのでこの日からの区切り打ちとなることを伝えていたのだった。ご主人は、杖をくださいと言って、洗ってくれた。疲れているだけに、なんとも嬉しかった。まだ他の客は来ていない様子。2階の一番奥の部屋に案内される。窓からはすぐ隣の小川の景色を見下ろすことができ、たぶんこの宿で一番いい部屋ではないかと思った。お風呂もすでに準備が出来ているということで、さっそく入った。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 四国で歩いたあとの、お風呂というのはどうにも嬉しいものだ。湯船で足をもみ、疲れをほぐす。部屋に戻ってからは横になりのんびりと過ごした。小川の流れがとてもいいBGMとなってくれている。テーブルの上には、何冊かの遍路関係の本その他の資料が置かれている。外国人の人の書いた、新聞に連載されていた記事をずっと読んでいた。

 食事は5時45分に声が掛けられた。1階の食堂に行くと、昼間一緒にあった歩き遍路の人がいた。後からもう1人歩きの人が来て、客は全部で3人だけだった。この民宿岡田は予約を取るのが大変だと聞いていたので、この人数にはちょっとびっくり。梅雨時ということで少ないのかとも思ったが、翌日はすでに満室ということであった。

 話の中で、どこで終わりにするのか、というものがあった。つまり、第88番の大窪寺で終わりとするのか、第1番霊山寺までお礼参りに行くのか。そして、高野山へ行くのか。僕にとってはこの日が初日だが、四国遍路の長い旅はいよいよ残り数日という雰囲気があった。

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 食事は、白いご飯が何よりもおいしかった。ハンバーグ、煮物、刺身、サラダなど、嬉しい食事だった。ご主人は聞き上手というのだろうか、こちらの話を相槌を打ちながら丁寧に聞いてくれていた。ちゃんと座って、ご飯のおかわりなども気を使ってくれていた。

 宿帳に、名前と住所を書くと、それを見たご主人はある写真集を見せてくれた。山形の、元教員だったという女性の四国遍路をテーマとしたものだ。普通、遍路の写真というとどうしてもお寺が中心となる。でもこの写真集は途中の景色が中心となるもの。歩きながら感じられたものが、写真の中に表れているようで素晴らしいものだった。僕が何よりも嬉しかったのは、宇和島城が写っていたことだった。遍路の途中でわざわざこの城に登る人は少ないと思うのだが。僕もこの城の中まで見たが、昔からのそのままの城でとてもいいところなのだ。その城から見る宇和島の街の景色も素晴らしいものだった。そうした写真が、大切に載せられていることが嬉しかった。この写真集を作られた方は、毎年遍路に来ているのだという。ほんとうに楽しんで四国を歩いているのだろう。

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 僕がこの写真集を見入っていると、73番の捨身ヶ獄禅定に行ってみれば、という話をしてくれる。お大師様が修行をした厳しい山のあるところで、なかなかよい景色なのだという。その場所で遍路客が身動きできない状態となりヘリコプターが出動し大騒ぎになったことなども、話してくれた。実はこの時点ではこうした寄り道をするつもりはあまりなかった。どのような日程で、八十八番の大窪寺まで行こうかまだ決めかねていたのだ。

 一応予定ではこの日も含めて6日間で大窪寺まで行きたいと思っていた。距離数を考えたならば、可能であるようだった。ただ、1日だけはどこかで無理をしなければならない。これまでの遍路でも、どこかで無理をする日がどうしても出てきて、それはクリアしてきた。けれど、今回は身体に不安があった。余裕をもって7日間で大窪寺までにしようかと考えたり、いつまでも決めかねていた。

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 ご主人は他にも、この宿に届けられた遍路客からのものを見せてくれた。評判の良くない宿の書かれた文章なども(笑)。あちこちの宿の評価なんてものもあった。ご主人から「どういう宿が良かったですか?」と質問されたが、返事には困ってしまった。少し考えて、「やっぱり、民宿のような小さな遍路宿がいいんです」と答えた。時には大きな温泉のある旅館に泊まったりもしたい。でも基本としては、四国遍路だからこその、宿に泊まりたいというのが本音だった。このとき、他の客の人から「若竹旅館は泊まった?」と聞かれる。すぐには思い出せなかったが、明石寺と大宝寺の間の小田町にある、おばあさんがひとりでやっている古い建物の宿で、僕のお気に入りだったところだった。思い出し、こうした名前が出てきたことが嬉しくなってきた。この民宿岡田も、ご主人がひとりでやっているみたいな雰囲気だった。こうした宿が間違いなく歩き遍路を支えてくれているのだと思うし、宿というものを感じるのも遍路のひとつなのだろう。

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 四国遍路の旅日記などは、悪いことはあまり書かないということが基本だと僕は思っていた。でも、このご主人は、ちゃんと聞いたわけではないが、悪いことを書くことが必ずしもマイナスではないという考えを持っているのかもしれない。何よりも、自分の宿での仕事に確固たる信念を持ってやられているように感じられた。

 食堂の壁には、この宿に泊まった人の写真が多く貼られていて、それも見せてもらう。「菊水へんろ館」の串間洋さんが夫婦で写っている写真があり、そのことをご主人に言うと、「この人が最初にホームページをやったようなものだからな」と言っていた。

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 部屋に戻り、持ってきた文庫本を読んだりして時間を過ごす。すると電話が掛かってきた。家からだった。僕宛の郵便物があるという。それは請求書のような葉書で、親は僕が未納なものがあるのでないかと心配になっているようだ。電話でその文面を読んでもらったのだが、具体的なことが書かれているわけでなく、どう考えても身に覚えがない。けれど、何らかの犯罪に巻き込まれたのかもしれないし、心配になる。正直なところ、2、3日このことが頭から離れなかった。遍路旅が終わり家に帰ってよく見ると、「電子消費者契約通信未納利用料請求最終通達書」というもので、調べてみると最近よくあるサギのようなものらしかった。

 布団に入って眠りについたのは9時頃だった。一度トイレに起きたが、ぐっすりと眠った。


◎ 第5期 1日目:約21キロ / 2004年6月10日(木)
◆ 第65番 三角寺
◇ JR坂出駅−JR伊予三島駅 乗車券 1060円
◇ 朝食:kiosk伊予三島駅店にて購入 おにぎり等 375円
◇ 昼食:ミニストップ坂出駅店にて購入 パン 179円
◇ 宿泊:民宿岡田 6000円





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