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四国遍路日記 第5期 6日目 2004年6月15日(火)


 6時半頃に起きて、準備をする。朝食はこのホテルのレストランである「フライパン」というところで7時からのモーニングセットを食べる。和風と洋風とがあったが、洋風の方を選択する。ホテルの雰囲気の中で納豆を食べるのは変な感じがあったということと、コーヒーを飲みたい気分だったのだ。普段の生活ではなるべく卵は食べないようにしていたのだが、2個の卵の目玉焼きを食べてしまう。コーヒーは美味しかった。なぜか四国遍路ではコーヒーを飲みたくなる。

 食べ終わったところで、一度部屋に戻り、すぐにチェックアウトする。フェリー乗り場の方に歩いていき、しばし海の景色を眺める。いくつものフェリーがある。東京の埠頭だってこんなに数はない。こうした景色を見るのは初めてのことだ。ちょうど港に入ってくるフェリーがあり、その動きを見入ってしまう。

 ちょうどフェリーが岩壁に着くことに歩き出す。といっても、すぐ近くの玉藻公園を目指したのだ。高松城のあるところだ。しかし、僕の歩いた場所が悪かったのだろう。どこから入っていいのかわからない。そのうちに、ほとんど通り過ぎてしまった。ぐるりと一周すればどこかに門はあったのだろうが、かなり広さのある公園で、気持が砕けてしまった。勿体ないような気持もあったが、先へと歩くことにした。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

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 自分がどの道を歩いているのかはよくわからなかった。けれど、東側の方向に歩いていけば屋島へは行く。途中で屋島大橋というところを渡る。地図に載っている遍路のコースからは北側を歩いていることになる。いくらかでも海の近くを歩きたかったのだ。特にこの屋島大橋は、左手は海、そしてその前方には屋島が見渡せるという特別な景色だった。雰囲気の良い高松琴平電鉄の小さな駅の脇を通り、いよいよ道は登りへとなる。勾配は少しずつ急になってくる。前方に高い山があるわけで、これを登るのかと思うとかなり辛い気分となる。途中からは歩きだけの遍路道へとなる。地面は舗装されているので、楽と言えば楽なのだろうが、どうにも急なところでかなり大変だった。

 それでも何人かを追い抜き、降りてくる何人かとすれ違う。普通の靴、タオルなどの汗を拭くものも持っていない人もいた。僕はほんとうに汗だらだらで必死になって歩いていた。後ろを振り返ると高松市内がとてもきれいに見渡せた。

 急な登り道を30分ほどは歩いただろうか。第84番屋島寺へと着く。10時10分頃だった。広く、静かな境内はとてもいい雰囲気のところだった。展示館のようなところはあったが、そんなに観光地化されているという感じもしない。ほんとうに、山の上にひっそりと建てられた寺という印象だった。

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 けれど、歩いてきた道とは違った山門を出ると、雰囲気は全く違っていた。広い駐車場、いくつかの大きな店があり、大きな観光地のような。しかし、よく見るとそこには寂しさがあった。一番手前にあった一軒のお土産屋は営業していたが、他の大きな休憩所のような建物は運営していなかったりする。かつては賑わっていただろう雰囲気があるだけに、なんとも言えない複雑な気持があったりした。

 海側へと歩き、道を探る。地図の上では、観光用のドライブウェイがあり、かなり先まで行けるようになっていた。歩いていく道があるのかどうなのか、よくわからないでいたのだが、その道を発見する。

 「遊鶴亭見はらし台」というところまで行ってみることにする。往復で約1時間以上はかかる道だ。たぶん、相当余裕のある遍路でなければここは行かないような気がするが。僕のこの日の予定は、距離的には20キロほどなのでかなり余裕のあるものと踏んでいた。この日の宿の予約を入れる。携帯電話は通じなかったので、公衆電話を利用した。問題なく予約が取れる。その時、料金は向こうから言ってきた。民宿などと比べれば少し高めではあったが、逆に言えば、それだけ豪華な夕食を期待できるとも言える。

 海へ近づく道を歩いていく。屋島は半島のようになっている。その一番真ん中の高い峰のようなところに道があり、半島の先へと歩いていくのだ。道は舗装され、サイクリングロードといった雰囲気。実際に自転車を走らせている人もいた。ここまで自転車でどうやって来たのかはわからなかったが。

 ところどころ、海が見える。右に見えることもあれば、左に見えることもある。僕は全くもって詳しくないのだが、右手の海が壇の浦ということになる。しだいに両側の景色が海となっていくのは、特別な気持の良さであった。

 遊鶴亭という場所、そこは特別の見晴台だったように思う。まだ半島の先端まで行く道はあるようだったが、この高い場所から見渡す瀬戸内海の景色がいいのだろう。270度くらいが海の景色なのだ。数分間ではあったが、椅子に座り、この空と海の中に身を置いた。たぶん、この場所には車で来ることはできない。歩いてこその場所だった。自分ひとりで居たかったのだが、他にも人が来る。半島のもっと先端から戻ってきた人がいた。その人もこの場所で休みに入ったのだが、ラジオをずっと鳴らしていた。なんだかこの場所にそのラジオから流れるDJの声は合わなかった。僕はこの場所を去った。

 帰りの道では左側の景色を楽しむ。ところどころにベンチのある休憩所がある。壇の浦、そして五剣山が見渡せる。しかし、五剣山はあまりいい景色ではなかった。かなり削られてしまっているのである。その削られ方の景色が言いようのないものとなっていた。

 先ほどの広い駐車場のある広場へと戻る。お土産屋さんのところにあるレストランで昼食を取る。この日も讃岐うどんにした。この日はこれからもうひとつ山を登らなければならない。そんなことを考えると、冷えたものはお腹にも体力にも良くないような気がして、「ゆだめ」という温かいお湯につかったうどんを食べた。

 12時20分頃に歩き始める。「血の池」と書かれた池の脇を通っていく。どこが歩き遍路の道なのかよくわからないので、やや不安な気持ちもあった。少し歩いたところにかつてホテルだった建物があった。ホテルの前はベンチなどの置かれた見晴らし場所になっている。家族連れがそこで休んでいた。いい景色ではある。けれど、その背後が廃墟となったホテルである。たぶん、このホテルに泊まったならば、その部屋からの景色は素晴らしいのだろうが。

 この後、心配していた通りに、道を間違ってさまよってしまった。この先を左に曲がり遍路道に入るのだが、この曲がり道がわからない。実は先ほどのホテルのほんのすぐ先だったのだが、僕は気づかずにどんどん歩いていってしまった。どこにも遍路道の案内は無いし、ずっと歩いていけばケーブルカーの乗り場に行ってしまう。とりあえず、戻るという選択をして、なんとか曲がり道を見つけることができた。

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 ここからの降りの遍路道はかなり大変だった。この四国遍路は「かなり大変」の連続であるのだが、この急な降りというのは特別だったように思う。直線距離としては500メートルくらいのところを、300メートル近い標高から一揆に海の近くまで降るのである。しかも、そんなにちゃんと整備された遍路道という印象でもない。なおかつ、暑さと疲れで僕自身もかなりへばっていた。午前中であれば、「もう少しでお昼ごはんだ、頑張ろう」という目標がある。正直なところ、札所を目指すというよりもチカラ強い目標であった。けれど、昼食を食べ終わってからの時間は、ちょうどいい目標というものがなくなってしまう。宿のお風呂と晩御飯はまだまだ先だし、札所が目標であっても、目の前にこれから登らなければならない山を見ながら、その前の山を降っている状態なのである。気持の面で、なんとも中途半端な辛さがあったように思う。

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 それにいても変わった遍路道だった。途中で車道を横切るのだが、そこは自動車専用道路なのである。注意を促す立て看板はあったが。山を抜けて、最後に民家の脇を抜けて急な坂が終わりとなるところがあった。舗装された車も通れる道なのだが、それはかなりの勾配となっている。階段になっていてもおかしくないようなその坂を、もたついた足がどうにかなるのではないかと思いながら降りていった。

 5キロほどになるだろうか。しばらくは平地の車道を歩いていた。山から山への途中を歩いていたわけだ。そんなとき、不思議な気持になる。ほんの数十分ほど前に、あの山を歩いていたのだ、と振り返る。過去はどんどん遠くへ離れていく。これから登るべき山は、まだまだ遠いままなのに。

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 第85番八栗寺へと近づいてきた。ケーブルカー乗り場に着く。これからケーブルカーに乗って八栗寺に行くのであろう人が何人かいた。その乗り場のところにあったベンチに座り、少し休憩する。エネルギーを蓄えて、これからの登りに備えようと思ったのだ。これまでも四国の山にはいくつかのケーブルカーがあった。しかし、その乗り場を通ることはなかったので、何とも僕には珍しいもので、ちょっとばかり見入ってしまった。ケーブルカーから上の方を見上げると、かなり急になっている。地図上では、ほぼこのケーブルカーと平行した道を歩くことになる。

 午後1時40分、歩き始める。かなり余裕があると考えていた1日だったが、そんなにゆっくりもしれいられない雰囲気になってきた。舗装された車も通る道ではあったが、その勾配はかなり急なものだった。登れるのだろうかと、やや不安な気持ちにもなった。少し歩いたところで、やや体格の良い女性2人が勢いよく降りてきた。急なために、普通に歩いてもそれなりに速度は出てしまう。この2人はお寺の関係者のような雰囲気だった。ひとりが、もうひとりに話をしていた。「これって、無料でできる有酸素運動だよね」と。

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 汗だくで気持の緩んでいた僕を一気に緊張状態へと変えさせた出来事があった。道の右側には小さな側溝があった。そこで黒いものが動いていた。ヘビだった。それから僕は道のほぼ真ん中を歩くことにした。噛まれる可能性を考えること以前に、何よりも見ることさえも嫌だった。

 道の途中にはいくつかのベンチがあった。陽の照っている場所では休む気にはならない。けれど、木陰となっている場所は大抵草むらにあったりする。座って休むのはいいが、草むらからヘビが出てきたらどうしようかと不安が過ぎる。

 そんな中、やっとの思いで八栗寺へと着いた。時間は25分ほどだったが、かなり長い時間だったように思う。木陰となるベンチに座り、しばらくボーっとしていた。本堂の背後には険しい断崖が見える。

 本堂での巡拝を終え、大師堂へと移る。場所は別のところにある。陽が強く照っていて、ちょっと移動するだけでも辛かった。

 大師堂には何人かの人がいて、甘茶のお接待をしていた。おばさんが、「こちらで、甘茶をかけてやってくださいな」という。何のことかわからずに、キョトンとして、「すみませんが、どのように」と聞いてしまう。

 この日は、6月15日。お大師様の誕生日のお祝いということで、このように何人かがお接待をし、大師堂での世話をしているらしかった。「(大師堂の)中を開けているのは善通寺とうちくらいでないかね」と言っていた。大師堂の、ふつう手を合わせるところの前には、小さなお大師様の像があった。下は水が溜まっている。「甘茶」をかけるというのは、その下の水(甘茶)を小さな杓子のようなものですくって、お大師様の頭からかけてあげることだった。おばさんが、「こうやればいいんだよ」と自分でやってくれたので、それに倣って僕も甘茶をかけ、手を合わせた。

 終ったところで、ずらりと並べられたプラスチックのコップに入った甘茶をいただく。とても甘いのだけど、疲れている僕にはちょうどいい飲み物だった。そして、ビンに入れられた甘茶、ワンカップの日本酒、「鈴の音紀行」というお菓子をいただく。

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 頑張ってこの日に結願したならば、ちょうどお大師様の誕生日だったのかと、少しばかり後悔の気持が過ぎったりもした。この日、この八栗寺に来たからこうしたお接待があったわけで、どうやってもそこに縁というものがあるわかだが。

 本堂の方に戻り、納経を済ませる。歩きの遍路道を聞くと、説明用の地図を持って丁寧に教えてくれた。先ほどの大師堂の前と通り、山を降りていった。次の第86番志度寺までは焼く7キロ弱だ。登ったときとは違って、ちゃんとした自動車道となる。この八栗寺に用のある車両しか通らない道なので、たまに車が通り過ぎるだけだったが。

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 淡淡と、ひたすら淡淡と歩く。何を考えながら歩いていたのだろうかと後で思い出しても、明確なものはなかったのだと思う。疲れたな、道を間違えないか、暑い、そんな程度だ。何もないと言っていい。

 四国遍路というものが紹介されるとき、どうしても「お接待」ということの話になる。僕の場合、それが多かったのか、少なかったのか、よくわからない。そもそも回数で語る問題でもないのだが。嬉しい、ありがたいと思うことはもちろんある。けれど、歩いている1日のほとんどは何もない。汗だらけで、焦点がぼやけたような感じで、ただただ疲れきって歩いているだけだ。

 そんな風に歩くことが楽しいのか? 改めて聞かれたならば返事にはいくらか躊躇する。でも、四国に来ることが出来ずにいた数ヶ月、僕はずっとこの四国を歩くことを思い描き、初日に実際に歩いたときには嬉しくて涙を流しそうになったのだ。

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 市街地の景色の中を歩く。牟礼町から志度町(さぬき市)の街並みの景色はとても落ち着けるものだった。JR高徳線と琴平電鉄志度線とがほぼ平行して走る。近いところを交通量の多い国道11号線が走り、すぐ近くは海岸である。旧道であろう道を僕はそれらの走る景色とときどき交差しながら歩いた。昔風の建物が多いような気がした。別の時代を歩いているかのような。そんな通りに、平賀源内邸というのがあった。源内さんは昔テレビで見たことがある。その発想、センスがこの町から生まれたのかと思うと、嬉しいような気持になった。ほのぼのとした雰囲気が、とにかく良かったのだ。

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 4時20分頃、第86番志度寺へと到着。予約した宿はすぐ近くにあるはずなので、嬉しい。もう夕方の境内は参拝客も少なく、とても静かだった。このお寺、あまり言いたくはないがやや苦情があった。たぶん、この1日がもう終わりに近いということだったのだろう。お賽銭箱が開けられ、お金が回収されていたのである。お賽銭というある意味での神秘的な感覚と、現実的なお金という感覚が、僕の頭の中でどうにもこんがらがったような感情があった。

 参拝のときには、個人的な問題もあった。僕は必ず本堂と大師堂に1本づつロウソクを立てるということをしてきた。僕の場合、ちゃんとした参拝でもなかったのだろうが、やろうと決めたことには拘ってきた。けれど、ロウソクが切れてしまったのである。箱入りのまとまったロウソクを買ったなら、そのほとんどが余ってしまい荷物になる。数本だけロウソクを買いたいが、バラ売りではけっこう高かったりする。ここでは1本50円の立派なロウソクを買ってしまった。翌日のロウソクはない。次の長尾寺に手ごろなのがあればいいのだが。

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 夕方らしい静けさの漂うこの寺は、なかなか良い雰囲気だったと思う。五重塔があったのだが、強く主張しない控えめな良さがあった。

 山門の前の自動販売機で缶コーヒーを飲む。ペットボトルの爽健美茶も補充して、宿へと向かった。

 予約した「いせだ旅館」というのはけっこう小さなところだった。でも、民宿ではない、旅館という雰囲気は持っていた。玄関の近くに行くと、中から僕が来たことを仲居さんに知らせる声が聴こえた。まだ新しく建物のようだった。すぐにわかってくれて、部屋へと案内される。実は、夕食、夜の雰囲気からいって、この日の宿泊客は僕ひとりのようだった。この志度寺から結願の寺となる大窪寺までは23キロ弱。1日の歩く距離としてはやや少ない。大窪寺に宿を取るのであれば、前日はもう少し前のところに宿泊となるのが普通だろう。そういう意味ではこの志度寺周辺にはあまり歩き遍路は泊まらないのではないかと僕には思えたのだが。

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 2階の「鯛」という部屋に案内される。それぞれの部屋に魚の名前が付いていた。部屋に入るなり、感激してしまう。畳の部屋なので、オーシャンビューという言葉は似合わないかもしれないが、窓の外はすぐ海の景色だった。

 正確に言うと、2階の窓の外には道路が1本ある。ちょっとした人が通れるだけの道だ。何人か歩いている人の話し声も聞こえてきた。その脇にはちょっとした防波堤があり、港となっていた。港といっても、この旅館の近くに何か大きな建物があるわけでもなく、小さな船が停まっているだけの静かなところだった。少し先には、港の長い防波堤があり、小さな灯台があった。

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 洗濯機と乾燥機があったので、洗濯をする。お風呂に入る。湯船は3人くらいが入れる大きさとなっていて、のんびりとそのお湯につかった。

 お風呂からあがったところで、夕食にしますかと言われ、すぐに1階で食事を取った。冷たいお茶がテーブルの上に置かれていたが、「温かいお茶もありますから」と仲居さんが言ってくれる。温かい方をお願いする。部屋が暑いだろうということで、クーラーをかけてくれた。客は僕ひとりしかいなく、申し訳ないような気持でもあった。

 この料理は、運ばれてきたものだった。近くの栄荘という旅館が本館となっていて、このいせだ旅館は新館という位置づけのようだった。旅館が2軒と、料理屋が1軒あるのだという話。この夕食の料理も盛り付けが立派で、さすが旅館なんだというものだった。けれど、1点だけ文句を言いたい気持もあった(笑)。冷やしうどんがあったのだが、そのうどんはどうにも物足りなかった。讃岐の本場であったわけで、何か中途半端なものがあった。とにかくお腹いっぱいで満足の夕食だった。

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 部屋に戻り、枕を窓の近くに置いた。畳の上に横になり、ずっと僕は海の景色を見ていた。防波堤には何人かの人影が見える。学生、そして魚釣りをしている人。そして、そこから楽器の音が聞こえてきた。トランペットか何かの楽器だった。ちゃんとした演奏が流れているわけではない。練習しているのだろう。演奏は途切れ途切れで、ところどころ間違えたりということもあった。けれど、この夕陽の景色の中、素晴らしいBGMだった。

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 部活の練習なのか、プロを目指しているのかは、もちろんわからない。けれど、これ以上ないという練習場所なのではないだろうか。音楽のことはよくわからないが、演奏の土台となる大切なものがこの場所にはあったように思う。

 陽の沈むまでをずっと見ていた。残念ながら太陽は海に沈むわけではなかったが、五剣山方向に沈む夕陽はほんとうに素晴らしいものだった。

 そもそも、夕陽というものを見たのはいつ以来なのだろうか。どこかの旅先で見たことがあったか、遠い子供の頃まで遡ってしまうのか。それにしても不思議なものだ。夕陽というものは、どこにいたって、その気になれば見れるもののはずなのだ。その景色がどんなものであれ。東京のどこかで、こうした夕陽を見ることができたならば、僕はもう少し違った暮らしをしていたのではないか。

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 この夕陽を見るために、はるばる四国遍路の旅をしてきたのではないか。そう思えるほどの夕陽だった。この場所は何も特別な観光スポットではない。普通の旅館の「鯛」という名前のひと部屋だ。この部屋に泊まることにになった縁にただただ感謝だ。

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 夕陽が沈んで辺りが暗くなっても、しばらくのあいだ演奏は続いていた。僕は布団を敷いて、そのBGMで眠りについた。8時前には寝てしまったと思う。当然のように夜中には起きた。少しの眠れない時間はあったが、いつの間にか眠り、かなりの時間眠りについていたようだった。


◎ 第5期 6日目:約25.3キロ / 2004年6月15日(火)
◆ 第84番 屋島寺
◆ 第85番 八栗寺
◆ 第86番 志度寺
◇ 朝食:「フライパン」(高松ターミナルホテル)洋風モーニングセット 770円
◇ 昼食:「屋島ドライブウェイ レストラン」ゆだめ 550円
◇ 宿泊:旅館いせだ 7875円





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