四国遍路日記 readingfields.com
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四国遍路日記 第5期 3日目 2004年6月12日(土)


 この日は朝7時に納経したいと思い、6時過ぎに起き、準備をして6時40分に出発する。鍵は受付の箱に入れるという、とてもシンプルな旅立ちだった。橋を渡り、第70番本山寺へと。このお寺は五重塔があるため、遠くからみるととてもいい雰囲気で、しだいに近づいていくことが嬉しかった。10分もしないで到着する。この日は雨は上がり晴れている。快晴とまではいかないが、前日は全く違った天気だ。

 境内は静かで、ほとんど1人で参拝を済ませる。7時10分頃に次へと歩き出す。

 しばらくは国道11号線を車の通る脇を歩いていく。どこにでもある郊外の景色ではあるが、ところどころに池が見えたりする。

 1時間ほど歩いて休憩をしようとするが、なかなか適当な座るところがない。橋のあるところに、河原に降りる階段がありそこに座り込み、朝食の時間とする。食事といっても食べるものはちゃんとしたものではなく、リックに入っている残り物のパンなのだが。これから数日は昼食には困らないような雰囲気があり、買っておいたパンなどは食べてしまおうと思ったのだ。

 このときに、携帯のメールを使おうとする。ところが、なぜか送ることができない。電話はなんとか通じるみたいだが。この日は何度かメールの送信にトライするが、結局送ることはできなかった。僕の持っているのは、ボーダフォンなのだが、使えないのだろうか。人口の少ない山の中だったら電波の問題もあるのだろうが、このまわりの景色は普通の都市部である。メールが使えないからといって、この旅に大きな問題があるわけではないが、繋がると思っていたものが、繋がらないのはどうにも不安であった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

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 ただひたすら国道11号を歩いていく。ある意味で単調な道であり、面白くはない。地図ではあるところから左折することになっている。ローソンを超えて少ししたところからなので、注意しながら歩く。ローソンに着いたならそこで昨日落としてしまったタオルを買おうと思っていた。

 ところが、ローソンが見つかる前に別のコンビニを発見。そこでとりあえず、タオルを買うことにした。そこから少し歩いたところで、何か変なことに気がつく。よく地図を見ると、本来左折するべきところから、だいぶ先に行ってしまっていたのだった。はたしてローソンはあったのか、ただ見落としただけなのか。道を間違えたといっても、後戻りするような必要もなく、ちょっと行ったところで左折して地図に書かれているルートに戻ることができた。

 狭い住宅地の中を通っていったりする。楽しいと言えば楽しいのだけど、道を間違える可能性もあるわけで、遍路シールがどこにあるかを必死になって探しながら歩く。あるときには、地元のおじいさんに、「こっち、こっち」と大きな声で教えてもらったりした。

 道はいくらか山道に入り、駐車場と思われるところまで来た。ちょうど、団体ツアーの遍路がいて、弥谷寺へ向かっているところだった。その団体はかなりの大人数。できれば、行列のうしろに入って歩きたかったが、そうもいかず行列の中に入り僕もその集団の1人となってしまう。何人かのおじいさんおばあさんと、ひと言ふた言、会話を交わしながら歩いていく。この団体ツアーは神戸から来ているということだった。話をしたおじいさんは、月に一度の週末遍路なのだと言っていた。泊まりではなく、日帰りなのだとのこと。

 それにしても、弥谷寺まではけっこう歩いた。長い階段があるのだ。団体の遍路はみんなかなりの年齢なのだが、元気に歩いていく。僕の方が息を切らしているくらいだった。ようやく、大師堂のあるところまでたどり着く。僕はここで水を飲み休みたかったが、団体の遍路は、ほんのちょっと休んだだけで咽を潤すこともなく、もっと上の本堂へと歩いていく。彼らが去ったところで、僕はペットボトルを取り出していた。

 本堂に行く階段も、それは急で大変なところだった。やや狭い本堂ではあったが、そこからの見晴らしは素晴らしいものだった。まだ曇ってはいるが、少しずつ青空へと変わっている。本堂での参拝を終えたところで、団体遍路の人達は脇の岩壁のところに移動して、その壁面にお金を貼り付けだした。どうやら、この岩壁には多くの小銭が張られているといるのだった。僕も、落とすことのないよう細心の注意をして、1円玉を貼り付けた。

 大師堂へと戻る。靴を脱いで、建物の中にあった。狭い中、団体遍路の人達がお経をあげている隣で、小さくなって参拝をすませる。納経したところで、次への遍路道を教えてもらう。

 来た道とは全く違った、山の遍路道だった。途中、竹林を通る。ここはとてもキレイなところだった。しかし、竹の子の皮があちこちに落ちている。人間が皮をむいでいったのか、それとも何かが動物が食べたのか。なんだか不思議な感じだった。竹林の次は、草地を歩く。一応、道にはなっているようなのだが、草の丈が高く、歩くのは大変だった。正直言って恐くもあった。足元が見えないわけで、ヘビでも踏んでしまったならば……、なんて考えるとどうしても足早になる。

 池の脇を通ったり楽しくはあった(ヘビの不安はあったにせよ)。けれど、どうにも残念なのが、高松自動車道の下を通るということだった。仕方がないのだが、急に四国の遍路の世界から東京の社会へと戻ったような感じがしてしまう。遍路道を歩くことで、山の中の静かな景色の中にいるようではあっても、ほんのすぐ隣は高速道路という現代社会の象徴がある。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 大池というかなり大きな池を通る。この頃からある山が気になってきた。その山の上の方には、神社のような建物があった。

 11時55分頃に第72番曼荼羅寺に着く。こじんまりとして静かなところだった。ここからすぐ近くの第73番出釈迦寺へ。ここで納経をしたときに、「歩きですか」と聞かれる。お接待しましょうと、150円を頂く。何か飲んでください隣の自動販売機で、と。このときに、捨身ケ獄禅定に登ってみては、という話をされる。危ないところにはいかなけれは、いい景色だという。危ないというのは、過去にヘリコプターが出動したお遍路さんの話であった。この先の山にあるのが、民宿岡田のご主人が話をしていた捨身ケ獄禅定なのだった。行くのであれば、荷物を置いていっていいですよ、と言ってくださる。どうしようと心が動く。

 自動販売機で缶コーヒーを買って少し休んだ後、お昼ご飯を食べることにする。この出釈迦寺の山門の前に、お土産やさんのような小さな店があり、そこでうどんなどの食べるものも出しているようだったのだ。

 お店に入り、ぶっかけうどんとおにぎりを注文する。これで350円の安さに驚く。うどんもおにぎりも美味しかったのだが、テーブルに置かれいる温かなお茶が美味しく、何倍もおかわりをしてしまった。この店には何枚ものお遍路さんの写真が張られてあった。遍路にとって嬉しい店でもあった。ご主人と少し話をする。やはり捨身ケ獄禅定についてだ。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 僕が悩んでいたのは、この日の宿も含めてであった。この時点での時間は1時15分頃、問題はこの日どこまで進むかだった。捨身ケ獄禅定に行けば往復で1時間半ほどかかるという。僕の足であれば、2時間は掛かるかもしれない。あとはほんの少ししか先へ進めないことになる。そうなると、この日のの宿は善通寺周辺ということになる。それは6日で大窪寺というのを諦め、ゆっくりペースにするということだ。少しずつ固まっていた結論ではあったが、決定するには少しの時間が必要だった。この店のご主人には、宿のことも相談してみた。せっかく話を聞いたりしたので、いい宿があれば教えてもらおうかと思ったのだ。いっぱいありますから、という返事。山本屋旅館や、魚勘旅館という名前を言われるがその後で、善通寺にも泊まれますから電話してみたら、ということ。ただ、今日はお祭りだから混んでいるかもしれませんがね、という話もあった。

 恥ずかしながら僕はこの善通寺というところが、どのようなお寺なのか、全くわからないでいた。あとになってわかったのだが、それはそれは大きなお寺で、街ぐるみといっていいような祭りが開かれていた。そして、この日は6月12日、お大師様の誕生日は6月15日。誕生日に関してのお祭りのようなのだった。

 せっかくだから善通寺の宿坊に泊まるのもいいな、と思い、電話をしようとする。しかし、携帯電話は通じない。メールだけでなく、通話もできなくなっていた。この店のご主人も荷物を置いていっていいですよ、と言ってくれて、荷物をお願いし、捨身ケ獄禅定へと向かう。出釈迦寺の中にある公衆電話で善通寺に予約の電話を入れると大丈夫だということ。夕食は5時半からで、早めに来た方がいいですよ、という話だった。

 急な登り道を歩いていく。舗装されている道路なので、楽と言えば楽なのだが、その勾配はほんとうに急なのであった。歩き始めたころ、降りてくるアベックがいた。走っているのだ。普通に歩いたなら加速がついてスピードが出てしまうのだろうが、転んだらどうなるのだろうかと思ってしまう。晴れているからいいが、雨で地面が濡れていたなら本当に危ないはずだ。

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 金剛杖と、ペットボトルとは手に持っていたのだが、背中の荷物がないということは何と楽なのかと思いながら歩いていく。もちろん、急な坂のため、ものすごい汗が流れてくる。けっこうきつい。けれど、がんばろうというところで、ちゃんと前に進むことができた。

 途中にはアジサイの花がきれいに咲いている。今回の旅ではあちこちでアジサイと見たが、特にキレイなものだった。

 山から見下ろす景色が広がってくる。何しろほんの数分で250メートルくらいの高さに登ることになるのだ。さいほど歩いてきた大池が遠くの方に見える。とても気持がいい。かなり辛くはあったが、捨身ケ獄本堂というところまで着くことができた。約20分だった。途中で何人かすれ違った人はいたが、この場所には誰もいなかった。しばらく、ひとりでこの世界を満喫できる。

 本堂にお参りをして、そのちょっと上の鐘のあるところに登り、しばし、山から見下ろす風景の中に身を置く。  急いで先へと歩く旅だったなら、この場所に来ることはなかった。ほんとうに良かったと思う。山の方には、弘法大使が修行したとされる険しい岩場が見える。本堂の脇からはその修行場に行く通路があった。登らないまでも、近くまで行って見てみる。こうした修行の場所は、以前、奈良の大峰山で経験したことがある。かなり恐いところだ。

 山を降りる。正直なところ、かなり大変だった。たぶん、転んでしまったならば、ずっと止まることなく落ちてしまうのではないかと思ったくらいだ。慎重に、慎重に、歩いていく。他の山とは全く違った、大変さだった。戻ってくるなり店のご主人は「やっぱり早いね」と言ってくれた。行って帰ってくるまでちょうと1時間だった。この時点で2時10分ほど、次の甲山寺、善通寺と行っても1時間ほどということだったので、かなり余裕ができたことになった。

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 第74番甲山寺までの道はとてものどかなところだった。田植え仕事をしているおじさんが、ご苦労様、と声を掛けてくれる。ひっそりとした甲山寺へ入る。本当に小さく静かな寺なのだが、こうしたところが落ち着けたりする。その札所それぞれの特徴があるのだ。ベンチに座り、けっこうゆっくりとしてしまった。

 本堂のお賽銭箱のところに、張り紙があった。「ばばちゃんへ」という子供の文字。「元気ですか?」というたぶん遍路旅をしているおばあさんへの孫からの手紙なのだった。現在の遍路旅には携帯電話というものがあり、いつでもどこでも連絡を取ることができる。しかし、そうではない、このような張り紙の手紙というものを読んだならば、どんなに嬉しいことかと思ってしまった。

 この甲山寺を出ると、先ほど来た道からは見えなかった姿が目に入った。小高い山のふもとにこの甲山寺はあったのだが、この山の一部はかなり削られ不自然な形で岩場が露出していた。複雑な気持の中、この場所を後にした。

 善通寺への道はそんなに遠くはないのだが、僕は迷ってしまった。途中で地元のおじさんが「こちらの道だよ」と教えてくれたのだが、その道は地図に載っているものとは違ったものだった。そうしたこともあり、途中からわからなくなってしまったのだ。すぐ近くに来ているのはわかるのだが。どっちに進もうか悩んだとろで、自動車用の案内があったので、その通りに進んでしまった。たぶん、本来の入り口の裏側になるのだろう、巨大な駐車場の方へと着いてしまった。

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 かなり驚いた。駐車場の入り口には大きな受付があり、お寺というよりはどこかの公園、いや遊園地へでも来たような雰囲気だった(実際、後からこの善通寺のパンフレットを見ると「遊園地」という名前の場所も存在していた)。大きな土産やの前のベンチに座り缶コーヒーを飲む。この善通寺という場所の巨大さ、人の多さを呆然として眺めていた。四国を歩いて何度も思ったことでもあるのだが、なんで八十八ヶ所でこんなにも違いがあるのだろうか。遍路からすれば、八十八ヶ所の全てを参拝するわけなので、その賑わいというものもほぼ同じではないかと思うのだが。もちろん、遍路以外の観光客が多く来ているということが違いなのだろうけど。

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 腰をあげ、参拝へと向かう。境内に入るが、寺と言うべき建物はあちこちにある。どれが本堂でどれが大師堂かはよくわからない。お祭りというだけあって、いくつもの屋台の店が出ていた。広場となるところでは学生のブラスバンド演奏のようなもの行なわれている。僕の遍路姿が場違いなものにさえ思えてきた。とにかく賑やかだ。僕はこの善通寺というところの全体像を把握したかった。そのため、まずは本来の入り口である山門を探し、歩き回ることにした。

 道路を渡り、別の境内へと行く。その先には五重塔があった。ようやく山門を発見し、一度外に出て、手を合わせる。とにかく、ここから始めなければ、善通寺に入った、という感覚は持てなかった。

 なんとか、本堂を発見する。名前は金堂となっていた。小さく、お遍路さんを意識した感じで「本堂」と書かれてあったのだ。この本堂での参拝を終え、先ほど歩いてきた道を戻っていく。

 一番大きく、人が集まっているところがあった。御影堂という。そこが大師堂だった。全く恥ずかしながら善通寺のことは全く知らなかった。パンフレットには「弘法大師御誕生所 総本山 善通寺」と書かれてあった。翌日のお勤めのときの住職の話では、ほんとうはこの善通寺が四国遍路の一番であるはずだが場所の関係で今のようになってしまった、ということだった。

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 とにかく、弘法大師の御誕生所ということだけあり御影堂は大きく立派なものだった。けれど、この御影堂はこのときかなりごちゃごちゃしていた。そのように見えた。本来階段となるところは、何かが置かれて歩けないような状態となっている。その上には、楽器やスピーカーなどが置かれて、ちょうど演奏されていたところだった。僕が脇の通路から上へとあがり、お賽銭を入れ手を合わせていたとき、背後から「さくら(独唱)」のオカリナ演奏が聞こえてきた。ちょうどそこがステージとなっていて、このときリハーサルが行なわれていたようなのだった。周りの参拝者の般若心経を聞きながら手を合わせるのが普通のことなのに、「さくら」で手を合わせるとは。なんとも不思議な雰囲気だった。

 納経所もここは他とは違ったものだった。OL風の制服をきた女性が納経してくれる。良い悪いではなく、この場所はディズニーランドと似ているように思えてきた。ミッキーマウスと弘法大師とを比べてしまったなら怒られてしまうかもしれないけれど、どう違うかを考えるとなかなか難しいもののように思えてくる。少なくとも、どちらも夢や希望、安らぎといったものを与えてくれる。そして、商業的にに潤っているように見える。ここで、宿坊の場所について質問する。あまりにも広すぎてどこにあるのかわからなかったからだ。

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「いろは会館」という名前の宿坊へと歩いていく。一部は工事中となっていた。かなり大きな建物なのだが、さらに拡大しているようだ。

 玄関に入ると嬉しいものが目に入った。「御杖入」というのが置かれていた。金剛杖を入れるようになっている。そこに僕の名前が書かれていたのだ。僕以外にも個人名、団体の名前が書かれている。僕は自分の名前のところに、金剛杖を入れる。待っていてもらえたような感じがして、素直に嬉しかったのだ。

 お寺の宿坊というと、受付がスムーズにいかないことが多いのだが、ここはとても良かった。対応してくれたのは、女性の若いお坊さんだった。頭も当然短く剃られている。料金を支払い、夕食の時間、翌朝のお勤めの時間などの説明を聞く。驚いたのは朝は5時半からお勤めが始まるということ。これまでいくつかの宿坊と言われるところに泊まったが、たいていは6時からだったと思う。

 部屋は3階にあった。まだ4時をいくらか過ぎた時間なので、他に客はいない様子で静かだ。部屋の前には名前の書かれた紙が貼られている。このフロアーの他の部屋はほとんど団体のツアーのようであった。

 驚いたのは、トイレだった。このフロアーの奥に男女別のトイレがあったのだが、その広いスペースに入ると自動的に電気が付くようになっていた。もちろん、この場から離れれば電気は消える。トイレの内部を観察しても、最近のウォシュレットの洋式トイレ(しかも水の流れる音のスイッチがあった)がずらりと並んでいた。

 お風呂に入りに行く。ちらりと聞いていたのだが、このお風呂は温泉なのだという。宿坊の場合、5時までに宿に入らなければならないといった制限が多かったりする。それでこれまで、他の宿と比べると早い時間に宿に入り、早い時間にお風呂に入っていた。やっとわかってきたのだが、そうしないとかなり不都合なことになる。どこの宿坊でも団体がくる。お風呂などは、多くの人数が一気に入るということになる。そうした団体の前に、風呂に入り、食事を取らなければ、ゆっくりとは出来ないのだ。

 お風呂にはまだ誰もいなかった。僕が一番風呂だとウキウキしながら、服を脱ぐ。風呂場へと入ったころに、別の客が脱衣所に入ってきた。ひとりで悠々と一番風呂を楽しもうと思っていたが、仕方がない。僕は真新しい洗い場で身体を洗い髪を洗った。ところが、後から来た客は湯船のお湯で何度か身体を流しただけで、湯船に入ってしまった。ちゃんと洗えよ、と思ったがわざわざ文句を言うことでもない。僕の一番風呂は儚く消え去ったのであった。それでも僕はこの温泉をゆっくりと楽しんだ。後からの客はすぐにあがったので、1人で広い浴槽で身体を伸ばしていた。あまり長くお湯につかるのはかえって疲れてしまうことにもなるが、今回の旅を1日余裕を持ったゆったりスケジュールへと切り替えたことで、こうした余裕もでてくる。

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 部屋に戻ってもこの3階のフロアーは全く静かだった。少しの時間、部屋の窓からの景色を楽しむ。境内の全体は見えないが、お寺の屋根、緑、きれいな中庭などが見えて、それは気持ちの休まるものだった。

 5時半を少し過ぎたところで1階の食堂へと移動する。少数の個人客はもう食事を始めていた。ただ、歩き遍路の人というのは誰もいないようだった。刺身から焼き魚、煮物、種類の多い嬉しい食事だ。僕の食べ始めた後から隣に座った女性2人は、半分も食べることなく、去っていった。なんだかもったいないような。美味しくて食べるわけだが、食べるときに十分に食べないと歩くことはできない。ご飯のお代わりもし、残すことなく全てを平らげた。

 食堂を出るときに気がついたのだが、この場所には自動販売機があった。どうやら、ここでビールやお酒などのカードを買ってその支払いをするようであった。

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 部屋にもどり、また少しゆっくりとした時間を過ごす。3階フロアーは団体客が来ていて、その声は部屋まで聞こえてきていた。携帯電話は、やはりうまく繋がらない。通話自体もできなかった。1階にある公衆電話で家に電話を入れる。テレフォンカードを持ってこなかったことに後悔する。公衆電話の場合、長距離だと多くの小銭が必要となる。テレフォンカードは普段の生活ではほとんど使うことはないが、こうしたときあればやはり便利なのだ。

 部屋でくつろいでいると、そとからいい感じの音色が聞こえている。御影堂のところでコンサートが行なわれているようなのだった。時間はまだ7時半なので、寝るには早すぎる。せっかくなので、ちょっと御影堂に行ってみることにした。一度玄関に行ったが、サンダルのような履物は置かれていない。仕方なくもう一度部屋に戻り、自分の靴を取ってくる。浴衣にウォーキングシューズという格好で、御影堂へと歩いていく。

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 幻想的な灯がとても素晴らしいものだった。御影堂の階段のところに置かれてあったのはロウソクで、いくつかの色がそこからあたたかな光を燈している。その前には多くの人が集まっている。演奏は中国人の女性なのだろう、独特の弦楽器の音が奏でられていた。こうしたお堂をステージとしたコンサートというのも珍しいのではないだろうか。独特の雰囲気のなか、僕はこの時間を楽しんでいた。

 たぶん、1年に一度しかないであろう、こうした催しのときに、僕はこの宿に泊まっている。単なる偶然ではあるのだけど、その偶然に出会うのは楽しい。もともと、この善通寺に泊まるなんて僕の予定にはなかったのだ。

 何人かのプロのカメラマン、たぶんテレビのカメラのあった。演奏はオカリナ奏者へと変わった。最後までここにいたいという気持もあったが、8時過ぎに部屋へと戻る。

 窓を開けたまま、静かに聴こえる演奏をBGMとして、僕は眠りについた。


◎ 第5期 3日目:約23.2キロ / 2004年6月12日(土)
◆ 第70番 本山寺
◆ 第71番 弥谷寺
◆ 第72番 曼荼羅寺
◆ 第73番 出釈迦寺
◆ 第74番 甲山寺
◆ 第75番 善通寺
◇ 朝食:残り物のパン
◇ 昼食:出釈迦寺手前の店 ぶっかけうどん 200円 おにぎり 150円
◇ 宿泊:善通寺宿坊 5775円





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