四国遍路日記 第5期 5日目 2004年6月14日(月)
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5時50分頃に宿を出る。Kさんはもっと前に出たようだった。この日も快晴のようだ。30分ほど山のふもとの道を歩いてから、山の遍路道へと入る。晴れていることで、遠くの方までよく見渡せる。汗は流れるが、このような景色を見ることができるのはとても嬉しい。たぶん、この朝という時間だからこその澄み切った良さがあったのかもしれない。何よりも、身体が元気だ。
途中に屋根のある休憩所があったので、そこで朝食を取る。見晴らしのいいその場所で食べるおにぎりというのも、それはそれは美味しいものだった。
7時頃に狭く急な遍路道を抜けて、自動車道路へと入る。まだ朝早いということもあり、車はほとんど通らない。木が高く生い茂っているために、道路は木陰となっていて、至福のひとときだった。途中で何か動く気配がした。この辺りには民家はなかったので、飼われている犬や猫ではないだろう。何かの野性の動物がいたのかもしれない。
道は山の中の遍路道へと入る。かなり歩き難い道が続いた。前に降った雨がまだ残っているのだろう、地面が抜かるんだ状態となっている。しかも、蠅や蚊が多い。景色も気候も良かったのに、ちょっと残念。
実はこの近辺には自衛隊の施設がいくつかあった。こうした山の中で何かの訓練なりをしているのかと思うと、不思議な感じがするのだった。
前の方から遍路姿の人が来た。Kさんだった。「いやあ、道を間違えて」と疲れた表情で言っている。僕はこの四国遍路において、先の道というものをあまり考えずに歩いていく。札所があったらまずはそこまでの道しか頭には入っていない。その次の札所への道がどうなっているかなんては、遠い先の話なのだ。Kさんがどうしてここで僕とすれ違うことになったのか、この時よくわかっていなかった。Kさんは第81番白峯寺から第82番根香寺へと行く途中だった。約1キロほどの遍路道は、行って戻る、という関係にあった。Kさんが間違えたと言ったのは、僕が車道を歩いたところを遠回りして遍路道を歩いてしまったことだった。その道は国分寺から根香寺へ行くようなコースとなっていて、かなりの距離を遠回りするようなものだった。
7時50分頃に第81番白峯寺に着く。山門に着いてからも長い階段があった。この寺は山門のところに「十二支守本尊泰安之寺」と書かれており。その干支の神社が石段のところにある。僕は自分の干支のところでも手を合わせた。
駐車場の近くからは、ちらりと遠くの方に海が見えた。よくよく地図で確認すると、この場所は海へ近いところでもあった。そんなに急がなければならないこともなかったが、足の元気のうちに、どんどん先へ歩いていきたい。先ほど歩いてきた遍路道を逆方向へと歩いていく。途中からは、その道も離れ、根香寺へ向かう遍路道へと変わる。緑が全開とでもいうのだろうか、草が生い茂り、歩き難いところさえあった。
途中、車道を歩くこともあったが、1時間ちょっとで第82番根香寺へと着く。この寺の石段は特別なものだった。樹木の緑が石段を覆いかぶさるようになっている。
本堂も特徴的なものだった。回廊式の建物の一番奥に本堂があるだが、それに行くには脇の「万体観音堂」というところを歩いていく。小さな小さな観音堂がぎっしと並んでいるのだ。どこの寺でも言えることではあるが、こうした特別な場所でひとりになれることが出来たらそれは嬉しい。まわりに参拝客がいたなら、それだけ静寂が薄れてしまう。鳥の声や、かすかに木が揺れるような音、それらは静寂を深くしてくれる。僕はこの本堂で、こうした時間を過ごすことができた。
10時20分頃にこの根香寺を出発したのだが、かなりウロウロとした時間を過ごしてしまった。山を下っていくことになるのだが、それには道が2つある。南側の自動車道に沿って歩いていく道と、番外霊場である香西寺というところを通る北側の道。南側の方が距離的にも短いわけで、多くの人はこちらを通るであろう。けれど、少し歩いたところで、僕は北側を歩きたくなった。時間的にもやや余裕があるとこの時点で考えていたこともあった。それで、根香寺に戻り北側の道を探すこととした。けれど、どこを歩いていいのかよくわからない。結果として無難な、わかりやすい道にしようと南側の道へと戻ることとなった。しかし、この選択には後になりやや後悔があった。たぶん北側の道には素晴らしい景色があったような気がするのだ。ぜひ、これは2巡目の旅で歩いてみたい。
車道を淡々と歩いていく。途中から素晴らしい景色にしばしば立ち止まることとなった。この日は何度もキレイな景色に出会ってきた。しかし、このときの景色はそれ以上と言っていい、最高のものだった。瀬戸内海の青い海、島々が目の前に飛び込んできた。それなりに距離はあるはずだった。でも、すぐそこにあるかのように見える。これまで四国を歩いて、数多く出会った景色の中で考えてみても、ほんとうに特別といっていいものだった。
四国をぐるりと歩き、山に登り、海の表情を感じるというのは大きな意味があるようにも思われる。太平洋の海はそれはそれで素晴らしい。とてつもなく広く、厳しいものが感じられる。けれど、瀬戸内海には、包み込んでくれるようなあたたかさがあるように思える。四国というひとつの島が持つ、2つの側面。例えば、陽と陰、光と影、長所と短所といったような、物事の2つの側面を、ぐるりと回ることによって、実はひとつのものなのだと教えてくれるものなのかもしれない。
そんなことを考えていると、太平洋を見たくなり、別の季節の季節を感じたくもある。四国遍路というものが四つの国をまわるように、四つの四季の全てを見てみたい。
道は、遍路道へと入り、また車道に出る。みかん畑が多い。学校などの景色を通り、住宅地へと入っていった。若干だが、道を間違えてしまうこととなった。地図の通りに歩いたならば、JR鬼無駅の右側の方へと出るはずだった。ところが線路を渡り、右へ少し歩いたところに、JR鬼無駅があった。途中で、予定を考えたときに、何度も宿泊できればと思った百百屋旅館というところを通る。
道を間違えるということはこの四国遍路では決してマイナスではない。駅の少し先に、手打ちうどんの店があり、この店で昼食を取ることにした。時間もちょうど12時を過ぎたところだった。
前の日に入った讃岐うどんの店と比べると、この「手打ちうどん北山」という店はとても小さなところだった。近所の人が、ちょくちょく来るような雰囲気がある。セルフということで、カウンターのところで、注文して代金を払う。300円のざるうどんにした。それにしても、安い。どうして「ざるうどん」にしたかというと、冷たいうどんが食べたかったが、「冷やしうどん」では食べるのに苦労するだろうということでの選択だった。
店内には「歩きお遍路さんのための高松マップ」という地図兼案内のようなものが置かれていて、それを一部もらった。
やっぱり麺は長かった。けれど、ざるに載っていることで食べやすくはあった。描いていた讃岐うどんのイメージとは違ったが、あたたかな感じのするこの店のうどんは僕の好みだった。タレが甘いのが特徴的だったのかもしれない。口に運ぶごとに、その美味しさに静かに僕に馴染んできた。特別に並ぶような店ではない。ほんとうに普段着の讃岐の本来の味がここにはあったように思えた。ずっと楽しみにしていた、本場の讃岐うどんと出会ったという満足感があった。
道はどんどん賑やかな市街地へと進んでいくことになる。広い自動車道の歩道を歩いているときだった。自転車に乗ったおばさんが声を掛けてくれた。ビニール袋に入ったみかんとチオビタドリンクを、お接待だと僕に渡してくれる。わざわざ僕の歩く姿を見つけて、自転車で追っかけてきたようだった。そして、次の第83番一宮寺への道をチカラを込めて話してくれた。別れるときには、両手を握り締めてもくれる。ほんとうに、勢いのある人だった。
この日はお接待はもう一度あった。香東川を渡り、ちょうど学校の前を歩いているところだった。まだ10代だろう。原付自転車に乗った男が僕の前で止まった。最初は道でも聞かれるのかと思った。まったくもって、遍路とは関係ないような今風の若者に見えたのだ。彼は「ご苦労様です」と言って、かなり恥ずかしそうに「よかったらこれどうぞ」とペットボトルを渡してくれた。これまで四国遍路を行なって、僕より年下の人からお接待を受けたことはほとんど無い。例外的に小学校の女の子からはあったが、それはお母さんが脇にいてのことだ。
正直なところ受け取る僕の方も恥ずかしかった。申し訳ないような、でもそれはとても嬉しいものだった。このペットボトルは「海洋ミネラルケア MIU」というスポーツドリンクで、若さが感じられ、飲んでいる途中でついつい微笑んでしまった。
よくわからない道をかなり迷いながら歩く。炎天下で疲れも出ていたのかもしれない。かなり遠い道のりだった。2時20分頃にようやく第83番一宮寺へと着いた。
駐車場のある裏の入り口から入ったからなのかもしれないが、全体像がなかなか把握できないでいた。狭いところだったのだが、一部は工事をしていたりして、よくわからない雰囲気があった。団体の遍路が巡拝をしていたのだが、ある人からは「納経所はどこでしょうか?」などと質問をされてしまう。
参拝を終えた僕はベンチで少し休んでいた。比較的楽な1日だと考えていたのだが、そうでもなかった。暑さに参っていたのだと思う。ここからは高松市内に歩くだけだ。約7キロくらいだろうか。泊まるところは数多くありそうなので、予約はしなかった。いくらかキレイそうなビジネスを、実際に外観を見て決めようと思っていた。たまにはこういう日があってもいいだろう。
最後のひと踏ん張りをと思い、歩き始める。市街地の道路は、どうにも疲れるものだった。
適当なところに、宿泊場所を決めればよかったのだろうけど、うまく決めることができず、JR高松駅まで行く。夜行バスからちらりと見ただけの駅前の景色では物足りなかったし、駅前であれば複数のビジネスホテルがまとまってあると考えたからだ。それにしても、高松の中心地に入ってからこの駅前までも、かなり遠かった気がする。駅の近くの高松ターミナルホテルというところに入る。フロントで「予約をしていないんですが」と言うと、何も問題なく泊まれるということ。よかったらどうぞと、「歩きお遍路さんのための高松マップ」を渡そうとしてくれる。持っているからと、丁寧に断る。部屋に入るともう5時になっていた。ソファーもあり、キレイな部屋で少しばかりごろりとくつろぐ。
夕食を食べに行く。フロント脇のレストランでも食事は取れたのだが、軽食くらいしか無かったように思われたのだ。後から部屋の案内を見ると、定食メニューもいくつか用意されていたのだが。ただ、駅が近くにあるわけで、駅ビルへと行ってみた。その2階にはいくつかのレストランが入っていて、そこで食べることにする。しかし、何を食べるかについては少し悩んでしまった。あっさりとした寿司でも食べたかったのだが、ここにあった寿司屋は立ち食いのスタイル。疲れている足で、立って食べる気は全くない。トンカツ屋は日本全国どこにでもあるチェーン店、蕎麦屋もそうだった。結果的に、「うどん処艶艶」という店に入る。せっかくの香川県である。飽きるほどうどんを食べようという気持もあった。ご飯も食べたかったので、「カツ丼セット」を注文した。けっこう量が多く、満腹感があった。食べ終わったところで、フェリー乗り場なりに行って海を眺めたいという気持もあった。けれど、なんだか遠いようでこの日は断念する。翌日の朝にすることに。
部屋に戻り、風呂に入る。こうしたビジネスホテルの風呂は小さいのが短所ではあるが、そのまま部屋でくつろげるということもあり、その長所に浸る。テーブルに座り、収め札を書く。お礼参りの霊山寺も含めてあと6箇所。その分まで全て書いた。
宿の予約をする。翌日分はまだ後でも問題ないだろうと判断し、このときは2日後の大窪寺の近くの民宿に電話をした。泊まれないということはないとは思ったが、この近くには宿が1軒しかない。いくら頑張っても翌日に大窪寺までは行けないわけで、早いうちに予約しておいた方がいいと思ったのだ。
電話口に出たのはおばあさんの声だった。予約は問題なかったのだが、2つのことを言われてそれがよくわからなかった。「おへんろ交流サロンに寄って、もらってくること」ということと「栗栖神社を通るようにように」ということだった。先の道がどうなっているのか全く見ていなかった僕は電話の後で、地図を見て確かめる。大窪寺までの道はひとつではなく、いくつかあるわけで、ここで教えてもらえなかったら別の道を行っていたかもしれない。しかし地図の上では「おへんろ交流サロン」と「栗栖神社」というのは全く違った道に見える。両方が同じ道の途中にあるとは見えなかったのだ。それに、「もらってくる」と言うのが何をもらってくるのかがわからない(笑)。それをもらわないと困るものなのか。もう一度電話をかけて確認しようかと思ったが、2日後のことでもあるし、途中で何かわかるかもしれないと、このときにはそのままにしておいた。
ベットの上に横になり、いつの間には眠りに入る。でも、早い時間に寝てしまえば、夜中に起きてしまう。それからうまく眠れなかった。こうしたベッドは慣れないということもあった。それだけでなく、足が熱を持ち、辛くなってきていた。
◎ 第5期 5日目:約32.6キロ / 2004年6月14日(月)
◆ 第81番 白峯寺
◆ 第82番 根香寺
◆ 第83番 一宮寺
◇ 昼食:「手打ちうどん北山」ざるうどん 300円
◇ 夕食:「うどん処艶艶」カツ丼セット 850円
◇ 宿泊:高松ターミナルホテル 6405円(素泊り)
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