四国遍路日記 第3期 2日目 2002年10月19日(土)
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朝起きて窓を開ける。少しのショック。雨が降っていた。海というのは不思議なものだと思う。晴れているときと、雨の降っているときとでは、その景色が全く違ったものとなる。
朝ご飯を美味しく食べる。ただお腹をいっぱいにするということではなく、エネルギーを蓄えるという意味もあるわけで、しっかりと食べる。
7時40分に宿を出る。この時にはまだ小雨だった。これから先の大変さをこの時にはまだ何もわからずに元気に歩き始める。
途中からは国道から離れ、海沿いの静かな遍路道を歩く。ときどき砂浜を歩く。大きな体育館の脇を通る。何かの大会をやっているようで、学生が多くいた。実は数日後にこの高知では国体が始まる。建物や道路などはどこもきれいだった。この国体に合わせたのかもしれない。
海沿いの道から出たところで道に迷い。一応、遍路の道しるべはあるので、違った方向に行っているわけではないのだろうが、自分が今どこにいるのかがよくわからないで歩いていた。四万十川を抜けるルートは3つくらいある。一番近い道を通ろうと思って歩いているのだが、国道のようなちゃんとした道路というわけでもなく、不安な気持ちでひたすら歩く。
そして、雨が強くなってきた。豪雨といったいい状態になってしまう。雨用のズボンを履き、リックにも雨用カバーをする。実は今回の旅は大失敗であった。過去2回の旅はビニールのポンチョを持ってきていた。しかし、雨の中を歩いたというのは実質1日くらい。前回の旅は全く雨が降らなかったこともあり、雨のことを軽視していた。上着は軽いもので十分で、雨傘があれば大丈夫だろうと思っていた。けれど、この豪雨は生易しいものではなく、僕はずぶ濡れになってしまう。しかも、リックのカバーも役には立たず、中身も濡れてしまうこととなった。
雨の中は大変ではあるけれど、立ち止まって休むわけにもいかないのでその分早足になる。とにかく先へ先へ、どんどん歩いた。工事の車両が走る山道、田んぼの中、いくつかの民家、雨は降り止む気配はない。とにかく、四万十川まで歩こう、休憩はその後だと思って歩いた。景色がいいと言われる四万十川は今回の旅では楽しみにしていたところであった。
その四万十川に辿り着いたのは11時くらいだった。大きなガソリンスタンドなどの脇を通り、土手のところに上がっていった。大きな川と四万十川大橋が目に入る。ちょっとした公園、屋根のあるベンチのところに歩き遍路に人がいた。ビニールの合羽に傘を指して歩いていた。ベンチで少し話をする。定年退職したくらいの男性だったろうか。
雨が降ってたということが大きかったのかもしれない。この四万十川に特別な印象は持たなかった。少年の頃によく見ていた、最上川の河口の景色と似ているといえば少し似ていたかもしれない。四万十川大橋という名前のわりには、ちょっと小さめの橋のように思えた。一応歩道はあるのだが、そんなに広くはない。車が脇を通るとその水しぶきを浴びることになる。何度か水をかぶり、辛かったりした。けれど、2度ほど、大型ダンブカーの時だった。僕のところを通るときに、十分に減速して水しぶきがかからないように気を使ってくれた。僕はとても嬉しく、行き去るダンプカーに頭を下げていた。
四万十川大橋を渡り、しばらくは川沿いの道を歩く。道は狭く、やはり車の水しぶきが辛い。
12時くらいにお昼ご飯を食べる。疲れていたのでとにかく雨のないところでゆっくりしたかった。「田吾作うどん」という店に入る。僕が濡れていたということで、カウンターの席を空けてもらう。冷たいうどんを食べたかったが無かったので、暖かな田吾作うどんを頼む。隣には先ほど四万十川大橋の入口で出会った歩き遍路の人がいた。どこに泊まるかなど、少し話をする。このおじさんの話によると、高知国体の影響で歩き遍路の人は少ないだろうということだった。あと数日経てばこの高知では宿が取れなくなる可能性があった。自分達くらいがぎりぎりくらいで、1日、2日後の歩き遍路の人というのはいないかもしれないということ。
あたたかなうどんは美味しかった。けれど、いつまでもこのカウンターの席にいるような雰囲気でもなく、食べ終わって出発する。この日の宿は、このおじさんと同じ旅館安宿に泊まることにする。この日は午前中にかなり歩いたので、この宿に着いて30キロほどの距離になる。ここまで歩けば翌日は足摺岬まで行くことができる。岩本寺から金剛寺まで3日と考えていたので、そんなに遅いペースでもないはず。宿に入るのはかなり早い時間になってしまうが、雨が降っていることだしこういう一日があってもいいだろう。
少し歩いたところ、レスト喫茶大文字というところの公衆電話から予約の電話を入れる。宿の人は「今はどこ?」と聞いてきてくれる。このまま行けば3時過ぎに宿に着きそうなのだが、もう部屋に入っている人もいるらしく早く入っても何ら問題はないということだった。
歩いている途中には長いトンネルがあった。通常はトンネルは避けたいところだが、雨の日にはこのトンネルは嬉しかった。トンネルの途中で座り込み休んだりもした。
3時10分頃に宿に着く。ここのご主人は遍路についてかなり詳しいようで、靴に新聞紙を入れて、など詳しく教えてくれる。部屋では新聞紙をもらい、バックのものを取り出し頭を抱える。疲れていたので、少し横になる。雨にあたらずに、布団の上で横になれるというのはほんとうに嬉しいことだった。
お風呂に入る。洗濯は、主人の指示により短時間で済ませる。
6時半頃より食堂にて夕食。秋刀魚、鰹、天麩羅、酢豚、漬物、和え物、炒め物、その他いろいろなメニューがあり美味しく食べた。この宿には全部で10人ほどの歩き遍路の客が泊まっていた。話を聞いてみると、どうやら半分以上はこの宿に泊まるのは2度目のようだった。ここに泊まって、足摺岬に行きそこで一泊、この宿に戻ってきて泊まって次の第39番延光寺へと行くらしい。このあたり、どのようなコースで行けばいいのか僕はよくわかっていなかったので、ちょっと意外だった。僕はどうしても戻る、ということに抵抗があったので、足摺岬から清水、月山と海側を遠回りで行くことを考えていた。約一日余分に歩くことになるのだが、そんなに急ぐ理由はない。海の景色をできるだけ多くみた方がいいと思っていた。けれど、そのコースの宿の状況などはよくわかっていない。宿の主人によれば、10人いれば、9人は打戻りコースで延光寺に行くということであった。
8時頃に眠りについた。一度起きたかもしれないが、けっこう良く寝たと思う。疲れていた分だけ眠ることができるというわけではないのだが。翌日も雨だったらどうなるのだろうか。気分は少し冴えなかった。
◎ 第3期 2日目:約32キロ / 2002年10月19日(土)
◇ 昼食:田舎作うどん 500円
◇ 宿泊:民宿安宿 6000円
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