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四国遍路日記 第3期 9日目 2002年10月26日(土)


 朝起きて、窓を開けると景色はどんよりとしていた。小雨が降っていたのだ。晴れの日もあれば、当然雨の日もある。仕方のないことだ。今回の旅では最後の遍路の日となる。9日目になるのだが、あまりそうした感じはしていなかった。37番からはじめて、43番で終わるというのは、お寺の数としても旅の中では最も少ない方だろう。この日の歩く距離は約23.5キロ、今回の旅では最も少ない。余裕だと思っていたのだが、余裕を持ちすぎたということもあり、結果的に大変な一日となった。

 時間の余裕もあるということで、1時間ほどこの宇和島で時間を潰そうと思っていた。すぐ近くには公園、宇和島城があった。どういう城なのかはわからない。けれど、ちゃんとした天守閣が残っているようで見てみることにしたのだ。またここは小さな山になっていて、市内を見渡すこともできるだろうと思った。雨ということできれいな景色を見ることはできないが。

 朝食を食べ、少し部屋で休んでいた。ひょっとしたら雨は晴れないかと思ったのだが、観念して8時少し前頃に宿を出る。玄関で靴を履き、途中で買った雨具(ビニールのポンチョ)を着て準備をしていると、おばあさんが顔を出してきた。この宿の大女将という人になるのだろうか。気をつけて歩いてください、と声を掛けてもらった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 どこからこの宇和島城の入口になるのかわからずに少しウロウロする。そんなに観光地という雰囲気はなく、地味な入口の案内だったように思う。早い時間ということもあり、登り道にはほとんど人がいなかった。前の方に歩いている男の人がひとりいるだけだった。少し登ったとこで広場があり、石垣の脇を通り、また上に登った。思っていたよりも大きなところだった。やっとこの山の頂上という場所、天守閣のある場所に着く。芝生の広いスペースがあり、景色も最高に良い場所だった。3階立ての天守閣の近くまで行ってみる。この時、まだ8時半頃。中を見ることが出来るようにもなっているのだが、9時からの拝観の時間にはまだ早く、僕はただ外から眺めることができればいいと思っていた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 けれど、入口にいるおじさんに声を掛けられ、中を見ていくようにと言われる。この人はここの係の人だったのだが、時間はまだ早いけれど構わないということだった。おじさんからこの宇和島城の話をいくつかしてもらう。古い状態で残っている城というのはかなり珍しい方でこの宇和島城はなかり貴重なものということだった。築城以来、約400年というのだから凄い。今年のお祭りのときには入りきれないような人が来たのだという。

 靴を脱いで拝観料を払う。天守閣の中に入ると、その暗さは独特のものがあった。木の窓から入る朝の光が穏やかで、時間を超えた空間のようなものを感じることができたように思う。途中で僕の前を歩いていた男の人も、この中に入っていたのだが、ほとんど僕ひとりでこの天守閣のスペースにいたことになる。狭く急な階段を登る。壁の白さ、障子の白さが美しい。砲弾か槍のための、穴のようなものもあり、確かに城であったことを感じさせる。また階段を登り、天守閣の一番上に上る。こういう場所を見ることができたということ、自分ひとりでこの空間を中での時間を持てたということは、僕にとって特別な、貴重な時間だっとと思う。こうした城などの古い建物なのには何ら興味もなかったのに。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 この宇和島城を出て市内を歩き出したときには9時頃になっていた。この後、道を迷ってしまう。市街地を抜けて県道57号を通って第41番龍光寺に向うわけなのだが、どこをどう歩いて県道に出るかがわからなかった。とりあえず宇和島駅を目指すのだが、これもよくわからない。あちこち歩いてようやく宇和島駅まで辿り着く。この頃はまだ時間的にも余裕があると思っていて、近くの番外霊場である龍光院というところに立ち寄る。石段を登ったところにある高台の眺めのいいお寺だった。遍路の人も何人かお参りをしていた。番外とはいえ、他の霊場と変わらない雰囲気。納経所もあった。八十八箇所以外に番外まで歩いて納経している人もいることを実感する。前に宿で一緒になった人でも番外までまわっている、という人がいた。例えば2順目の遍路をやるときには、番外まで歩くのもいいかもしれないと思ったりした。

 石段を下り、歩いている人に道を聞いてみる。ここから県道に出るには少しばかりわかりにくいみたいで、ちゃんとした答えは返ってこなかった。あそこの書店で聞いて見てください、と言われて聞いてみると、キョトンとされてわかりませんと言われたりしてしまった。わからないなりに、遍路マークを辿りつつ、なんとか県道57号に入った。

 しばらく歩いたところの右手に大きな建物、クワライフ宇和島クワホテルというのがあった。旭屋の女将さんと話をしたときに、宇和島からちょっと先に行ったところのホテルに泊まる人が多いみたいです、という話を思い出した。実はこの日の夜、同じ宿になった歩き遍路の人はこのホテルに泊まったということで、とても良かったと言っていた。雨はなんとか晴れてきた。ビニールのポンチョも脱いでしまう。

 道路は民家の少ない景色へと変わる。ところどころにバス亭がある。自分の歩いている位置を確認しながら、歩く。余裕のある一日とはいえ、予定よりはかなり遅れてしまっていることは確かで、あまり立ち止まることなく龍光寺までの道のりを急いだ。道は車の多く走っていた県道から外れ、田んぼの中の細道へと入る。右手の方には列車の走っているのが見える。1両編成で走っているその姿は微笑ましい。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 12時15分頃にようやく龍光寺に着いた。細い長い石段を登っていく。白衣を着た団体の人が多かった。お参りをして、細い石段を下りる。車道に出る前の道の両側にはみかんが売られていた。左手の方に売っていたおばさんが僕に1個、みかんを持たせてくれた。そう言えば職場へのお土産はまだ買っていない。どうしようかと思ったが、その前に昼食を取ろうと急いだ。すぐ近くにうどん屋さんが1軒あったのだが、団体の遍路の人の前に店に入って食べた方がいいと急いでいたのだった。「とうべや」というこのうどん屋さんで、あたたかなうどんを食べる。広い造りなのだが、夫婦でやっているようだった。店内には写真が何枚も貼られている。遍路の人が多く立ち寄るような店だった。

 店を出たところでポケットに入れていた先ほどのみかんを取り出し、ひと口食べてみた。すごく美味しい。道を戻り、お願いしますとというと笑顔で迎えてくれた。椅子に座るように言われてお茶をご馳走になる。ダンボールの大きな方の箱で自分の職場宛で送ることにする。宅配便への手続きは、この近くに行ってからということでメモ用紙に住所などを書く。送料はだいたいということで、少し余分に渡してお釣りを箱の中に入れてくれるということだった。

 しかし、何より驚かされたのは、このみかんの値段である。1箱で1500円。ちなみに送料は1600円ほど。四国から東京まで送るわけでそれなりの送料は仕方がないのだが、送るものよりも送料の方が高いのである。なんとも申し訳ない気持ちだった。数日後職場に戻ってから僕は大いに後悔することになる。あまりにもこのみかんが好評で、もうひと箱をひとりで食べたい、なんてことを言われてしまう。連絡先がわかれば毎年でも直送してもらいたいみかんだった。

 僕が歩き出したときに、このみかんを売っていたおばさんは、畑仕事用の手押しの一輪車にダンボール箱を乗せて宅配便への手続きをするために、せっせと歩いていた。このときの笑顔が今でも忘れられないでいる。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 このときおおよそ午後の1時くらい。ここからこの日の予定である第43番明石寺までは14キロ弱。そんなに余裕があるわけではないが、普通に歩ける距離だと考えていた。第42番沸木寺までの道は地図の上では1本だが、もうひとつあるという。車道と池の周りを歩く景色の良いコースで時間はそんなに変わらないということだったので、当然のように景色の良いと言われた方を選ぶ。最初はちょっとわかりにくかったが、池というより湖のように大きい。右手にこの景色を見ながら、曲がりくねった小道を歩いて行った。今朝までの雨のため、やや地面が濡れていて歩き難かったりはしたが、良い景色を味わうことができた。

 この公園の小道から普通の道路に出たのはいいが、道がわからなくなってしまう。たぶん、もうひとつのコースは車が多く通るところなので、迷うことはなかっただろう。なぜか軽自動車が僕の脇に止まり、沸木寺にはどう行くのですか? と聞かれてしまう。途中で道を聞いて、なんとか大通りに出る。あとは真っ直ぐ歩けばよいみたいだった。

 大型バスの止まっているのが前の方に見えてきた。もう少しだと歩いていると、おばあさんに声を掛けられた。道路沿いの家に住む人で、お茶を飲んでいかないかと。正直なところ、このとき午後2時少し前で、時間が心配になってきたところだった。けれど、今回の旅でこんな風に声を掛けてもらったのは初めて。断りたくはなかった。

 広い玄関のようなところで、お菓子と昆布茶をいただく。東京から来たのだけどこの日でいったん遍路は中断なんです、みたいなことを僕が話したときだっと思う。このおばあさんは、壁のところに行って小銭を取る。そして「この賽銭をあげて鐘を1回ついてください。大きく」と言って僕の両手を強く握った。

 第42番沸木寺は道路沿いの小さなところだった。僕は急いでお参りを済ませた。納経所の手前に、大きな鐘があった。その下にはザルのようなものが置かれている。そこに先ほどおばあさんから手渡された小銭を入れて、大きく鐘をついた。その響きが鳴り止むまで、僕はその場にいた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 時間は2時17分、次の第43番明石寺まで地図の数字では10.8キロ。納経所の閉まる5時まではまだ2時間40分もある。

 頑張って歩き始めようと思っていたその時、門前でアイスクリームを売っていたおじさんに声を掛けられる。どうやって歩いていけばいいのかなど、アドバイスを受ける。とても詳しい様子だった。あそこから左へ曲がって歩いて行くと遍路路に入るからと指を差して教えてくれる。地図ではぼんやりとしかわからなかったのだが、ひと山越えることになる。道路を真っ直ぐ車道を行くことも可能だけど、大きく曲がって時間が掛かるという。けれど、最後におじさんは、ぼそりと言った。「今日中の納経は無理だね」と。ここから明石寺までは3時間は掛かるという。現在の時間から計算したならば、全く無理である。しかし、この距離から考えるならば歩けないこともないように思える。着かなかったら着かないで、翌朝に納経をすればいいのだが、今回の旅の最後の頑張り所だと自分に言い聞かせ歩き出した。

 自分でもびっくりするほど、早足で歩いた。遍路路は狭く、急で、しかも地面は濡れている。汗がどんどん流れてくる。けれど、ほとんど休むことはなかった。最後にこんな難所があったとは。トンネルのところが山のほぼ頂上だと、おじさんに言われていたので、とにかくそこまで必死になって歩く。トンネルに辿り着く。15時ちょうど。少し休憩して歩き出す。下りでは、大きな石で滑りそうになったりした。何度か両手を地面につけた。急な下りはほんとうに怖かったりもした。晴れていれば、素晴らしい空気の森の中なのだろうが、暗く湿っていた。

 歯長橋というところの少し前だった。3人の歩き遍路の人がいた。ちょっと挨拶をしただけで、僕は追い越して先へと急いだ。あとは普通の車道を歩くだけで、なんとか5時までには着くだろうとう気持ちになる。でも、早足のままどんどん歩いた。自転車に乗ったおじさんに声を掛けられる。どこから来たの、みたいなありきたりの話をする。そのおじさんも以前は東京に住んでいたということで、懐かしそうに話をしていた。ずいぶんとゆっくりした自転車の漕ぎ方で、別に一緒に行こうと意識しているわけではないのだが、結果として10分ほど並行して進んでいた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 小雨が降ってきた。かなりショックを受ける。カッパを着るがこのちょっとした時間もこの時の僕にとっては大きなロスだった。また、掻いている汗の量が半端でなかったので空気の通らないビニールのカッパを着るのは辛かったのだ。それでもなんとか、残り2キロくらいのところまで来た。実はここからも難所だった。道がわからない。狭い住宅街の路地を歩いたりする。遍路マークがあるので間違ってはいない。凄いところでは、家と家の間のほんの1メートルくらいしか無いようなところも歩いた。不安そうに歩いていると、その家の台所仕事をしているお母さんの声が「そのまま、大丈夫ですから」と聞こえてくるのであった。このお母さんは、何年も、多くの歩き遍路の人に、こんな風に声を掛けていたのだろう。

 途中で少しばかり道を間違い、戻るようなこともあった。けれど、なんとか今回の旅の最後となる第43番明石寺に着いた。時間は4時30分くらい。3時間は掛かると言われたところを、結果として2時間10分くらいで歩いたのだった。雨ということもあったのだが、かなり暗くなっていた。この暗さの似合うような建物だったような気がする。とても趣きのある場所だった。納経をしてもらったときに、縁結びの御守りを買った。今回の旅の自分に対して、何かご褒美をあげようと思ったのだ。

 途中で出会った3人も着いたようだ。そんなに急がなくてもよかったのかな、と後になって思ったりした。

 雨は止んできたのでカッパを脱ぐ。宿へと歩きだす。宿は少し離れたところ、この町の中心部、駅の近くにある。けれど、道がわからなく30分ほどうろうろしてしまう。ちょっとした山をぐるりと回ったところにあったようだ。わかりにくい地形になっているのだろうか。道を聞いたときに答えてくれた人も、ちょっと困っていたようだった。

 かなり賑やかな通りを、うろうろしながら歩いていた。どこに宿があるのかわからない。誰かに聞いてみようかな、と思っていたところで丹前を着てコンビニのビニール袋を持った男の人に声を掛けられる。どこに泊まるのですか、と。この人は僕の今晩の宿である松屋旅館というところに泊まっている歩き遍路の人だった。自分も宿の場所がわからなくてうろうろしたので、僕のことも同じではないかと思ったそうだ。この人の案内で宿へと歩く。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 こちらの方が近いから、みたいな感じで裏側の方から宿へと入る。古く、趣のある建物だった。迷路のような廊下を歩く。そこが良いのだろうと思う。後でこの宿のパンフレットを見ると、江戸時代から続いているとても由緒あるところのようだった。

 部屋も少し古いという感じはする。けれど、清掃は行き届いており、日本の旅館という雰囲気がして落ち着いた気持ちになった。さっそくお風呂に入る。この日はほんとうに疲れた。今回の旅は少しばかり楽をし過ぎたかな、という気持ちもないではないが、この最終日は辛かった。お風呂はちょっと変形になっている。広く、湯船は2つあった。まだ他に入っている人はいなくて、ひとりでゆっくりと時間を掛けてお湯につかる。お風呂というのはあまり長く入る過ぎると逆に疲れてしまうこともあるのだが、この日はもう翌日のことを考える必要はなかった。

 夕食はひろい宴会もできるような畳の部屋だった。20席くらい用意されていただろうか。まだほとんど人は来ていなかった。宿まで案内してもらった歩き遍路の男性が来て、話をしながら食事をする。たぶん、50歳くらいの人だったろうか。大丈夫でしかた? そんな感じでこの人は話をしてきた。何のことかわからなかったのだが、ここまでの宿のことだった。

 この人は徳島県を歩き、高知県に入ったところで国体のために宿が取れなくなり、高知県を飛ばして列車に乗って愛媛県に来て2日目ということだった。高知県は役所の方まで電話を入れたが、泊まるところを確保するのは難しかったという。宿によっては遍路客のためにと部屋を取っているみたいだが、当然すべてがそうではなく、かなり悩んでこういう選択をしたのだと言う。仕事のことなど、詳しいことは聞かなかったが、あとから歩くとはいっても少しばかり残念なことだったろう。どうやら僕はギリギリでこの国体の期間の前に歩いたようだった。

 食事は品数が多く、十分に楽しめるものだった。翌日の体調を考える必要のないため、美味しい美味しいとご飯を3杯もおかわりして食べていた。

 席はだいぶ埋まり賑やかになってきた。食事を写真に撮っている人もいた。交通機関と歩きでの遍路のおじいさんが元気に話をしている。宗教についてなど、これまでの体験を含めて声を高めて、本当に嬉しそうに。かなり足腰は弱っている様子だったが、こうして自分ひとりで遍路を旅するということは、この人の残り少ない人生にとって特別なことなのだろう。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 部屋に戻り、翌日の列車の時間などをチェックする。東京行きの夜のバスを予約しているので、松山市での観光にしようと思っている。

 まだ時間はあるのでもう一度お風呂に入った。夕食前に入ったときと、男女の風呂が入れ替わっていた。少し小さめの風呂になったが、これはこれで楽しい。 部屋でのんびりとしていると、宿の係の人がドアごしに声を掛けてきた。何か御用はないでしょうか、ということだった。とてもゆっくりできた夜だった。


◎ 第3期 9日目:約25.3キロ / 2002年10月26日(土)
◆ 第41番 龍光寺
◆ 第42番 沸木寺
◆ 第43番 明石寺
◇ 昼食:お食事処長命水 うどん
◇ 宿泊:松屋旅館 7875円





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