四国遍路日記 第3期 4日目 2002年10月21日(月)
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ドタドタドタ……、廊下を歩く人の音がうるさかった。ここは宿坊になっているので、6時から勤行がある。10分ほど前に布団から起き出し、着替えを済ませる。団体さんの後ろについて、勤行の行われる部屋へと向う。他のお寺では本堂が離れていて一度外へ出るのが普通(だと思う)。外はまだ雨が降っていて、僕は傘を持っていたのだが、ここでは外へ出ることはなかった。広い広い宿坊内を歩く。たぶん、昨日お参りした本堂とは違うのだと思うが、広い部屋(本堂)があり、座布団を敷きそれぞれが座る。40人位の人がいただろうか。お経をあげるお坊さんも3人ほどいた。
終わったところで、お坊さんのお話が始まる。ぼそぼそという声でちょっと聞き難かった。かなり長い話だった。人間というものは、若いときには、その容姿やお金があるかどうかなどで判断されるのだという。けれど、人生の最後の方になって判断されるのは、やさしさといった人柄なんだという話だった。そのときになって、本当に話をしたい人、付き合いたい人というのが大切なんだということを、僕はぼんやりと聞いていた。
6時40分頃から朝食を取る。ワンプレートのお皿にはメロン、リンゴ、ブドウといったフルーツが多くあった。団体さんの方は、この日の予定などが話されていた。
雨はまだ降っている。こらから先のコースは、宿が多くあるわけではなく、一日の距離というものがけっこう決まってくる感じだった。おおよその泊まる街は頭の中で決めていた。3日で延光寺に行き宿毛という町に泊まるという計画である。一日の歩く距離は約30キロほど。そんなに急ぐわけでもないので、この日の朝は少しのんびりとしていた。
7時30分頃に宿を出る。せっかく来たわけなので岬の周辺を歩くことにした。有名な足摺岬の灯台の近くは散歩できるコースになっている。何組かの団体旅行の人達がいて、添乗員の人が案内をしていた。僕はあちこちと歩き回り、写真を撮ったりしていた。歩きながら、同じ四国の岬である、室戸岬のことを思い出していた。室戸岬も同じように歩くコースはある。景色はいい。けれど、観光客の差は歴然としていた。たまたま、だったのかもしれない。けれど、この足摺岬には多くの人がいた。
1時間ほど歩いたところで雨は止んだ。嬉しかった。歩く元気が出てきた。
土佐清水の町を目指して歩く。道はそんなに広くはないが、左手に海が見え、とても眺めのいいところだった。時間が経つにつれて、空が青くなっていく。まだ乾いていない納経帳を手にして歩いたりしていた。リックの中に入れていてはなかなか乾かないでの、外で陽の光をあてようと思ったのだ。それだけ晴れて陽の光が強くなってきた。
四国の地理がどうなっているのかというのは、実はよくわかっていない。高知市を中心とした、室戸岬から足摺岬までというのは地図の上でなんとなく想像はできるだろう。けれど、足摺岬から先の海沿いというのがどのようになっているのか、恥ずかしながらではあるが、ほんとに僕は足で確かめながら前へ進んだようなものだった。
いくつかの小さな港町を通り、特徴的な湾内へと入っていった。ぐるりと回ったところに土佐清水市の市街地がある。穏やかな景色だった。反対側には港があり、街が広がっている。
途中、船着場のようなところで何人か釣をしている人がいた。通り過ぎようとすると、そこで歩き遍路の人が昼休みをとっていた。足摺岬まであとどのくらいですか? と尋ねられる。本来は窪津の方を通って足摺岬に行こうとしていたのが、間違ってこの土佐清水の方の道に来てしまったのだという。まだ12時くらい。足摺岬についてもかなり時間が余るのではないですか、と言うと。これまでずっと無理をして大変だったから、たまにはこういう日があってもいいでしょう、と笑顔で言っていた。
少し歩いたところにある公衆電話で、この日の宿と翌日の宿の予約をする。その次の日に行く宿毛の町ではビジネスホテルが何軒もあるので、しばらくは宿の心配をする必要はないだろう。高知国体で宿に泊まれなかったら、という不安はあったのだが、ここを過ぎれば愛媛県に入ることになり、ほぼ順調に今回の旅が続けられそうだと安心した気持ちになった。
大きなホームセンターのような店があったので、ポンチョタイプのビニールカッパ(980円)を買う。これから先、雨が降らないとは限らない。
市街地は賑やかだった。すぐ脇には静かな湾と港がある。商店があり民家がある。子供の防犯についてのポスターが目に入った。こういうところで育つ子供が不良になるだろうか。少し疑問を持ったが、住んでいる場所がどんなにいいかは誰にもわからない。
1時になったところで昼食を取ることにする。地元の魚などの売っている土佐清水さかなセンター「足摺黒潮市場」というところのレストランで刺身の定食を食べる。魚は清水鯖というものだった。鯖は僕の大好物である。この清水鯖はちょっと違った鯖だった。でも、美味しい。地元でしかなかなか食べることの出来ない魚のようだった。ただ、これは言ってはいけないのかなと思いつつ1500円という値段はどうしても高いように感じてしまう。冷静に考えれば美味しさにみあう値段なのだろうが、四国にいるとついつい民宿の値段が基準になってしまうのであった(笑)。僕の座った席には、四国の写真集が置かれてあった。その写真で四国を感じ、コーヒーを飲み、少しの間くつろいでいた。
街の商店街になっている道路を歩く。カメラ屋さんがないものかとキョロキョロしていた。今回の旅ではデジカメを活用しようとどんどん撮っていたのだが、128MBのスマートメディアの残りがかなり無くなっていた。途中で買おうとしても売っている店がちょうどよくあるとは限らない。この街で買おうと思ったのだ。なにせ、このデジカメの写真というものは、僕だけにしか撮れない、僕の目で見たものだ。前回の旅の写真を友達に見てもらったときに、僕の視線で見て撮った写真だからやはり独特のものになっているのでは、と言われたこがあった。写真を撮るということは、そんなに好きなことでもなかったが、意義のあることだと感じられるようになっていた。
ようやく店を見つけたが128MBのものは売っていなかった。仕方が無く64MBのもの(3980円)を購入。無くなったらまたどこかで買えばいい。
しばらく歩くと、土佐清水市街地のある湾とはまた別の湾が見えてくる。このあたりは、とにかく入り組んでいる。遠くの方にはフェリーの止まっているのが見えた。綺麗に青い空と、海。陽の光が反射している。この景色を誰かに見せてあげたい。そう思いながらこの景色を楽しんでいた。不思議なことに、遍路でこのコースを歩く人はとても少ないという。
フェリーは次第に近くなってきた。どうやらこのフェリー乗船場のところは大きな公園になっているらしい。道の駅の案内も出ている。
広い芝生の公園に入ってみた。地面はまだ濡れていて、歩くには大変だった。朝までは雨が降っていたのだ。変わった形のモニュメントがある。近くに行くと、それはジョン万次郎を記念してのものだった。ジョン万次郎の銅像は足摺岬にもあったが、こちらの方が僕には良かった。子供のとき、少年、大人へと歩んで行く万次郎が表現されている。彼はこの地で育ち、アメリカへと渡り、明治維新後の日本において重要な役割を果たす。海を見ている少年の姿と、この海の光。まわりには誰もいない。僕ひとりでこの風景の中で時間を過ごした。
フェリーの近くまで行って見る。「むろと」という名前のフェリーは、この土佐清水と大阪を結んでいる。あと数分後で出発のようだった。乗船口となるところに道の駅がある。ここでコーヒーを飲んで少し休んだ。この日は休んでばかりいたような気もする。できれば、この場所からフェリーの出発するところを見ていたかったがそうもしていられない。時間は3時だった。歩き始める。この日の宿まで9キロほどはある。5時までは宿に入ろうと思っていたので、かなり厳しい状態。急がないとと、少し焦る。フェリーは動き出した。ゆっくりと湾から出て行く。早く歩こうと思いながら、そのフェリーの動きをじっと見ていた。
道はいったん山側に入り、また海沿いへと戻る。午前中元気に歩いていても、さすがに4日目の夕方になれば足も辛くなってくる。もう少し歩けば、あたたかなお風呂とご飯があると言い聞かせ、ただひたすら歩く。
宿を取ることにしている竜串という街には10軒ほどの旅館があった。けれど、いくつかの宿を通り過ぎて感じるのはあまり活気がないということ。そんなに泊まる人はいないのだろうか。「ユースホステル藤井寺」という宿を目指して歩くのだが、なかなか見当たらない。時間も5時を過ぎようとしていたので、ついつい早足で歩いていた。見つからない、困った、と思っていたときだった。声を掛ける人がいる。僕のことを呼んでいるらしい。なんと、この日の宿であるユールホステル藤井寺の女主人だった。
お昼に電話を入れたころから考えて、このくらいの時間に通るだろうということで見ていたのだという。宿に案内されたが、看板があるわけでもなくちょっとわかりにくいところだった。普通の民家という雰囲気だった。玄関でお茶をもらい少し話をする。どうやら宿泊するのは僕一人ということだった。歩き遍路の人はときどき泊まるのだという。先日は若い女性の人もいましたよ、という。実は地図に出ていない、もうひとつのコースがあるのだと教えられる。山を越えて1日で延光寺まで行くコースがあって、前に泊まった人はそのコースを行っていたという。
すぐ近くに海岸があるので行ってみて下さいと言われ、少し散歩をする。ほんの1、2分で静かな砂浜がある。すぐ先には海中公園も見える。どうやらここはちょっとした観光地になっているようだった。そろそろ暗くなってきていて、遠くの海の空は赤い色になっていた。2、3度、石を海に投げ入れる。
宿に戻りお風呂に入る。普通の家の風呂ではあるのだけど、湯船が大きなものになっていて、とてもゆったりすることができた。部屋は主人のいる建物の裏にあり、いくつもの部屋がある。一番手前の部屋に食事を持ってきてもらい、ひとりで夕食を取る。お刺身に煮物にサラダ。美味しく食べる。
この日の夜もあまり眠れなかった。早めに布団に入ったのだが、いくら経っても眠れなくて仕方なく起き出しテレビを見ていた。文庫本を1冊持ってきていたのだが、この旅では1頁も開くことはなかった。
◎ 第3期 4日目:約26キロ / 2002年10月21日(月)
◇ 昼食:足摺黒潮市場 お刺身定食 1500円
◇ 宿泊:ユースホステル藤井寺 5000円(500円ほどまけてもらった)
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