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四国遍路日記 第3期 帰り道
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四国遍路日記 第3期 帰り道 2002年10月27日(日)


 外は雨だった。朝食を食べにいくと、歩き遍路のおじさんはもう食事が終わったところで出発するということだった。挨拶を交わす。雨の中を歩くというのは、大変なのだ。なぜか、3回の僕の遍路の旅は、3回とも最後の番外編の移動日は雨となっている。ゆっくりとご飯を食べる。

 8時の特急に乗るために、7時半頃に宿を出る。会計のときに、女将さんと思われる人と少し話をする。あたたかな、感じのよい人だった。駅までの道順も丁寧に教えてもらった。ちなみにこの松屋旅館からは、年賀状をいただいた。いつの日になるかわからないが、また泊まってみたい宿である。雨の中を急いで歩いたのだが、こじんまりとした良い街並だった。

 特急宇和海に乗り込む。並んでいる人が多くいたので、座れるのかちょっと不安だったが、窓側の席に座ることができた。できれば、これから歩いて見る景色をこうした交通機関で見たくない、という考えを持っているのだが、このJRの線路の周辺は遍路路からは外れているし、仕方が無い。区切りで歩く場合は、どこで中断するかが難しい。深夜バスを利用する場合には、高知市や松山市といった大きなところに限られてしまう。ここから高知まで戻るというのもかなり時間の掛かることなわけで、今回は松山市での観光に一日をあてて、夜行バスに乗るということにしたのだ。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 窓からの景色は楽しいものだった。山や田畑があるというただそれだけのことだけど。眼を閉じて少し休もうかとも思うのだが、せっかくだから外を眺めてみたいとも思う。約1時間半ほどで松山駅に着いた。時間は9時半くらい。まずは、夜行バスの乗り場をチェックする。コインロッカーに荷物を預ける。金剛杖も入れてしまいたかったので、大きなコインロッカーを探して少しうろうろしていた。

 観光案内のパンフレットを見て、これからのコースについて思い悩む。それにしても、徳島市や高知市と比べて、観光に掛ける力の入れようは全く違っていたように思える。松山城、道後温泉と観光の名所は多くのだが、それだけでなく、楽しく観光ができるようにと案内がしっかりしているように感じた。

 ぜひ見たいと思っていたところは3つあった。松山城、道後温泉、正岡子規記念館。夏目漱石の何かがあれば行きたかったのだが、それはないようだった。案内の地図を見ると、秋山兄弟の生家というのが書かれていた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』が好きな僕としてはこれはぜひ見てみたい。

 路面電車はあるのだが、この松山の街を歩いてみることにする。時間は一日たっぷりある。松山城を目指してまだ午前中のひっそりたした大通りを歩いた。道は広く、きれいだった。大きなビルを右手に、左手には大きな公園がある。お堀になっていて、とても良い雰囲気だった。松山城に行く前に、秋山兄弟の生家というところを探す。商店街の裏道とでもいったらいいだろうか。ひっそりとした通りに、気づかずに過ぎてしまうように、石碑があった。門の入口には、「秋山好古・真之略伝」と大きな文字のあと、2人についての文章が書かれていた。その左には「柔道場の修復と生家を復元しよう。」という文字があった。何もない静かなところであれば、それはそれでよい。でも何だか中途半端なところに寂しさを感じた。

『坂の上の雲』はNHKでかなり力を入れた大河ドラマとなるらしい。主人公である秋山兄弟を知る人はまだまだ少ない。ドラマによって、この場所はどのように変わるのだろうか。変わらないのだろうか。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 商店街を歩いて、松山城へ行くロープウェイ乗り場へと向う。少し懐かしいような商店街のとろに、ロープウェイ乗り場はあった。ここから山の上に登るというイメージは沸いてこなかった。多くの観光客がいる。係の人は明治風の正装で決めている。ロープウェイには発車時刻というものがある。待ち時間があるのだろうと思っていたのだが、ロープウェイの隣にリフトもあった。スキー場にあるリフトと同じものである。こちらの方は待つこともなく、順次乗っている様子だったので、このリフトに乗ることにした。天守閣を見学できるセットのチケットで1000円だった。

 スキーを履かないでリフトに乗るということには少しばかり違和感があった。正直なところ怖くもあった。風も少し吹いていてけっこう揺れたりもしていた。下にはネットが貼られているので落ちても安全と言えば安全なのだろうか。けれど、気持ちがよかったのも事実である。5分から10分くらいだったろうか。上に昇るにしたがって、市内の景色が見えてくる。リフトから降りるときにはちょっとだけドキドキしたが、無事松山城へと到着。けれど、ここからがまた遠かった。大きな石垣の脇を通り、天守閣へと登って行く。石垣は立派というか、それだけで威厳があった。山の頂上となるところに来ると、その広さに驚く。学校のグランドといっていいようなスペースがあり、奥の方に天守閣があった。こんなに立派な城というものを見るのは初めてのことだった。多くの観光客と友に、天守閣の建物の中へと入る。

 狭く急な階段を、何人もが連なって登っていく中、僕も上の階へと進む。黒光りする木の感触。ここには余計な照明はない、窓からの松山の景色が光とともに眼に入る。この光と影は、僕のこれまで体験したことのない特別なものだった。窓のところで、外の景色をずっと見ていた。海が見えて四国であることを実感する。山の上の遍路路から見る景色も好きだが、こうした人間の造った建物からの景色も良いものだと思えた。あまり天候はよくなかったが、せでも東京の高層ビルの景色とは全く違ったものだった。

 天守閣を出て、11時20分頃、まだ時間は少し早かったが昼食を食べることにした。うどんの入ったセットを食べる。松山名物のジャコ天の入ったものである。これはとても美味しかった。まわりには若い人も年配の人も、いろいろな人がいた。すぐ近くでは若い女性だけのグループが食事を取っていた。そう言えばこの日は日曜日であった。再びリフトに乗り、松山城をあとにする。

 次に松山市立子規記念博物館へと向った。そんなに遠くはなく、のんびりと歩きながら。道後公園という大きな公園のところに、この近代的な記念館はあった。入口はひっそりとしている。300円を払い中へと入る。恥ずかしながら、僕は正岡子規という人についてほとんど知らなかった。有名な人だな、という気持ちと『坂の上の雲』に出てきたということでの親近感はあった。拝観している人は少なかった。松山城の人と比べるとやはり寂しい。静かな館内に小さな子供がいたのだが、その声が少しばかり響いていた。

 誕生から、子供時代を見て回る。成長し彼は東京へと出てくる。自分で雑誌を作ったりするなど、活動的だったようだ。インターネットの時代に彼が育ったならば、どのような人生を送っただろうかと想像する。野球に関しての興味も人一倍あったよう。まだ野球が日本に入ってきたばかりの頃、本人も野球をやり、その普及にも力を入れたという。この松山には「ぼっちゃんスタジアム」という野球場がある。本当であれば、「正岡子規スタジアム」となるべきではないのか思うような、彼の野球に対する熱意と功績があったように思う。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 記念館を出て、同じ建物内にある喫茶店で休んで珈琲を飲む。この日の考えていた観光というのは、道後温泉に入るということだけ。お土産の購入という大きな仕事もあったが、それでもまだ時間は1時過ぎ。この後、すぐ隣の道後公園をのんびりと歩いて時間を潰す。広い芝生があり、親子で遊んでいる姿が多くあった。

 ただの観光というものも疲れるものだと、思うようになってきた。遍路は道が決まっていて、とにかく前へと進まなければならない。そこに潔さみたいなものがあり、楽しめるのかもしれない。

 道後温泉という街を探し、少しウロウロする。道後温泉本館というところでお風呂に入ろうと思っているのだが、一体全体、何が道後温泉というもので、この道後温泉本館というものが何なのかもほとんどわかっていなかった。「温泉」とはいっても、小さな町のようになっているわけではない。ひとつの温泉町なのだろうが、松山市内の一部ということも言えないわけではなく、何だかよくわからない。けれど、有名な道後温泉本館という特徴的な建物の前に来ることができた。多くの観光客がいて、入口のところで立ち止まっていた。僕も一緒に立ち止まる。中に入るのにどのようなチケットを買ったらいいのかわからなかったからだ。他の観光客もよくわからいようで、入口の係の人に聞いている。僕は聞き耳を立てる。悩んだ末、神の湯2階席の券(620円)を買って中へと入る。

 簡単にこの道後温泉本館を説明するなら、昔風の趣のあるスーパー銭湯というのがわかりやすいのではないだろうか。全体の雰囲気としては、宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』の湯屋である。昔の木の建物であることが、懐かしい、ほんとうに休まる気持ちにさせてくれるのだろう。賑わう入口から廊下を通り、階段を登る。係の人に案内され神之湯の休憩所のようなところに入る。広い畳敷きの部屋に、座布団とカゴがきれいに置かれていて、ひとりのスペースとなる。浴衣の男女がお茶を飲んだりしてのんびりとしている。

 この場所が面白いのは、洋服を浴衣にここで着替えるのである。休憩場であるわけで、若い女性もいる(笑)。女性の場合は、他に更衣室があり、そこで着替えてこの部屋へと入る。浴衣なので、うまく羽織れば別に問題はないが、年配のおじさんなんかは当然パンツ姿を露にしていたりもする(笑)。でも、そうした景色も許されるのどかな雰囲気がこの場所にはあったようにも思う。例えば女性の場合、見知らぬ男性の中に薄い浴衣姿でいるというのは抵抗のある人もいるだろう。でも、ここでは自然なことであり、誰もがお湯を楽しむという雰囲気があった。

 この下の場所に男女別になったお風呂がある。僕は子供の頃、ほとんどの家庭が自宅に風呂のない温泉地に住んでいたことがあったが、そうした昔の雰囲気の銭湯を大きくしたような雰囲気だった。入っている人は多くいて、あまり落ち着いてお湯につかるという感じではなかったが、それなりにこのお湯を楽しむことはできた。

 2階の休憩所に戻り、ぼんやりと過ごす。係の人がお茶とお菓子を持ってきてくれるのだが、なぜか僕に気づいてくれなくて、いじけていた(笑)。手を上げて合図をする。係の人は気づいているのに持ってきてくれない。普段から僕はこうしたことはよくあるのだが、遍路を歩いているときは不思議とこうしたことはない。なるほど、遍路の旅は昨日で終わってこの日は番外編であったのだと実感する。

 僕の席は窓の近くだったので、外の景色を眺めていた。入口のところで佇む人、近くにはお土産屋さんなど店が多い。白衣の人が歩いていた。この通りは遍路道でもあった。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 入浴時間は1時間となっている。特に時間の書かれた何かをもらったわけではないので、どのようにこの1時間を管理しているのかわからないのだが、おおよそのところでこの道後温泉本館を出た。近くは温泉街の商店街という雰囲気で多くの店があった。いくつかの店内を覗いてお土産のことを考える。ここで買って駅まで戻るのは面倒なので、土産は駅の店で買うことにしたが、地元の名産品のようなものを見ることで楽しい時間を過ごすことができた。道後温泉ビールという地ビールがあって買いたいと思ったのだが、なぜかこれは松山駅には売っていなかった。この辺には、ホテル、旅館といったところも多いみたいだったのだが、道後温泉本館のような、立ち寄りで入る温泉は他にもあった。まだ時間はあったので入ろうかと少し悩んだが、さすがにのぼせてしまいそうな気になり断念する。

 時間は3時過ぎ、帰りのバスの時間の7時にはまだかなりあるのだが、駅に戻ることにする。路面電車の道後温泉駅は明治風の趣のかる建物だった。この松山市内では路面電車が主となる移動手段のような感じだった。僕はバスは好きではないので、こののんびりとした雰囲気はとてもよかった。バスと路面電車とでは何が違うのだろうか。改めて問われるならば、よくわからない。レールを走るということに安心感があるのだろうか。

 松山駅に着いてしまった。あとはお土産を買って夜7時のバスに乗るだけ。時間はまだ3時半くらい。もう少しどこかに行ってもよかったのだろうが、疲れてしまった(笑)。駅の周辺を少し歩き、喫茶店に入る。ちゃんと珈琲を飲ませてくれる、とても良い雰囲気の店だった。スポーツ新聞を見てときどき窓からの景色を眺める。大した景色ではない。ひと通りの少ない、小さなホテルなどのあるところ。気がついてみると、いつもの東京での暮らしではこんな風に喫茶店に入ることも少ない。スターバックスに入るのと、この喫茶店に入るのとでは明らかに違ったものだ。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 デパートの2階の店でお土産を買う。地元の日本酒を3本も買ってしまう。多くの種類が置いてあった。東京の、デパートなどの日本酒売り場に四国の酒は置いてあっただろうか。かなり少ないはずである。東京で買えないからこそ、貴重なお土産となるはず。他にもいくつかの食べ物など、総額9440円ほどを購入。

 駅1階にある、オシャレな雰囲気のレストランで夕食を食べる。確かハンバーグのセットだったような気がする。駅にあるレストランというと、あまり美味しくないという印象が強いのだが、ここは店員さんの感じもよく、美味しく食べることができた。旅の最後の食事が美味しいというのは大事なことだった。

 コインロッカーに荷物を取りに行くときに、近くのコンビニでおにぎりを買う。夜中に腹が減ってしまうことを考えて、用意しておいたほうがいいと思ったのだ。店内を眺めていると、遍路用の見開きの地図が売っていてついつい買ってしまう。もう荷物の重さを考える必要もないし、次回のことも考えてあったほうがいいかなと。

 あとの時間はベンチに座り、最後の15分ほどはバスの前でぼんやりと暗くなった駅の人の様子を眺めていた。少しずつバスに乗るであろう人が集まってくる。遍路をやっているという雰囲気の人は誰もいなかった。

 バスが来て、少しおどろく。2階立ての新型のバスだった。1階は女性専用ということだった。乗る前に荷物を預ける。金剛杖は持っていてください、と言われてしまう。お土産の日本酒は割れてしまうことを考え、席に持ち込むことにする。座席は3列でゆったりとしたもの。2階にも若い女性客は乗っていたので、予約の時に指定することになるのだろうか。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 お土産に日本酒を買ったことを少し後悔した。狭い足場が窮屈になってしまった。窓側の席だったので、外を見て時間を過ごした。席はまだ空席が多い。このバスは高松も通るのでそこから多くの人が乗るのだろう。

 シートはこれまで乗ったどのバスよりも良いものだったが、どうも身体に馴染まなかった。あと首が固定しないことが問題なのだろうか。そう言えば、旅のグッズで旅行用の枕などが売られているが、次回はそうしたものを買った方がいいのかな、などと考えたりもしていた。

 高松からは、菅笠を持ったひとりの女性が乗り込んできた。座席はほぼ満席になり、カーテンを閉め静かに東京へと走っていた。僕はどのくらい眠ることができただろうか。1時間か、多くみても2時間くらいだったろうか。正直なところかなり辛い夜だった。次の旅ではバスに乗るのは止めようか、そんなことも考えていた。何度も身体のポジションを変えリクライニングの位置を変えた。カーテン越しから明かりが漏れてきたときにはホッとした気持ちになっていた。

 東京駅八重洲口行きのバスなのだが、途中の霞ヶ関でも降りることができ何人かが降りて行った。菅笠を持った女性もここで降りていた。朝の7時30分、やっと地面へと降りる。ゆっくりと深呼吸をした。どういうルートで自分の部屋まで行けばいいのか、ぼんやりとした頭で考えていた。

四国遍路の景色 四国遍路の景色 四国遍路の景色

 振り返ると静かな旅だった。特に誰かと何かを話したという記憶もない。楽しいとか楽しくなかったとか、特別な高揚した感情もなかった。でも、これもひとつの遍路なのだろう。

 実は東京に帰ってきたこの日、午後から仕事に出た。疲れていたことは疲れていたのだが、それよりも大きな違和感があった。これは3日ほど続いただろうか。たぶん、視力が良くなっていたのだろうと思う。新しいメガネをかけたときのように、度がキツイという感じだった。同じメガネをそのまましていたというのに。最初にこの感覚に気がついたとき、早く元の感覚に戻りたいという気持ちと、そういう気持ちを持つ自分への違和感のようなものを持ったのだった。


◎ 第3期 帰り道:約0キロ / 2002年10月27日(日)
◇ JR四国特急宇和海 卯之町−松山 乗車券1410円 特急券1150円
◇ 昼食:松山城のお店 うどんの定食
◇ 土産:四国キヨスク松山デパート 9440円
◇ 夕食:駅のレストラン
◇ JRバス ドリーム高松・松山号 12000円





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